4章をざっと読んでみたら、はじめは思考の本質的な働きを明確にし、そこから思考する存在としての人間の本質を導き出す
それから、思考とは反対側、内界ではなく外界に向かい感覚によって観察された世界が、いかに人間に与えられた条件によって左右され、限定されているものかということについて述べているようだ
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《思考の本質的な働き、本性の抜粋》
思考から、概念と理念が生じる
思考は、思考自身を基礎に持ち、他の何物からも限定されない
観察は思考を求め、思考によってはじめて、ある体験を他の体験と結びつける途が見出せる
思考は観察を越えて先へ進もうとする
思考の最も固有の本性とは主観であり、思考が自分自身の活動に眼を向けるときには、主観を客観対象として持つことになる
だか思考が単なる主観的な活動とするのは誤りで、思考は主観と客観の彼方にあり、主観と客観の概念を全ての他の概念と同じように作り上げる
思考が、概念と観察対象とを関係づけるのであって、主観が行なうのではない
主観はそれが主観だから思考するのではなく、思考する能力を持つからこそ自分を主観として表わす
思考の恩寵の下に、人間の主観は生きている
思考は私を自我の彼方に導き、客観へと結びつける
また同時に、私を主観として客観に対比させ、客観からも引き離す
以上のhasutamaまとめ
人間の二重の本性(=世界から孤立しながら、同時に世界に含まれていると感じる)は、思考する存在である故に生じる
人間は思考することによって、自分と世界を包摂し、また自分を事実と向かい合う個体にする
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世界につつまれ、同時に相対する
これを図形的にはっきりさせてみる
すると、
じゃあ、世界はどうやって人間の中に入るのかしら?となる
すっぽりと取り込まれるにしても、対峙するにしても、私の中に世界が完全に受容されるとか、理解されるということとは違うからね
今日はここまで