まだ6章までしか、それもザクっと読んだだけなのに
言葉に惹かれてモラーリッシュファンタジーについて
これまで読んだ内容から想像を楽しんでいる
道徳的想像力と訳されているけど、なんかすっきりしない
moralischについて検索してみると
出てきたのはマルクスの機械の摩耗に関する話
工場の機械が消耗したかどうかの判断基準として
moralischが使われて、「道徳的摩耗」と以前は訳されていたが
それでは意味不だということで
その後は「社会基準的摩耗」となっているのだそうだ
しかし、基本的にmorarischは個人の行動についてのことを言うらしく
私的にはそのごちゃまぜで
個人の社会的行動基準のようなイメージを抱くことにした
道徳的というともうその言葉だけで
判断基準が含まれてしまっているようなイメージを
私は持ってしまって話が見えなくなる
道徳的想像力に勝手におりこうさんイメージを持ってしまうのだ
道徳的に想像するというように、想像を枠付けするのは
シュタイナーの意図ではないのではないか?と
まだその部分を読んでもいないのに
想像してみたのだ
だってそうでないと今まで読んできた部分や
シュティルナーの考えともずれてしまう
年末にモラーリッシュファンタジーの定義づけについて考えてみるなんて
来年はさらに理解が進みそうで楽しみである
言葉に惹かれてモラーリッシュファンタジーについて
これまで読んだ内容から想像を楽しんでいる
道徳的想像力と訳されているけど、なんかすっきりしない
moralischについて検索してみると
出てきたのはマルクスの機械の摩耗に関する話
工場の機械が消耗したかどうかの判断基準として
moralischが使われて、「道徳的摩耗」と以前は訳されていたが
それでは意味不だということで
その後は「社会基準的摩耗」となっているのだそうだ
しかし、基本的にmorarischは個人の行動についてのことを言うらしく
私的にはそのごちゃまぜで
個人の社会的行動基準のようなイメージを抱くことにした
道徳的というともうその言葉だけで
判断基準が含まれてしまっているようなイメージを
私は持ってしまって話が見えなくなる
道徳的想像力に勝手におりこうさんイメージを持ってしまうのだ
道徳的に想像するというように、想像を枠付けするのは
シュタイナーの意図ではないのではないか?と
まだその部分を読んでもいないのに
想像してみたのだ
だってそうでないと今まで読んできた部分や
シュティルナーの考えともずれてしまう
年末にモラーリッシュファンタジーの定義づけについて考えてみるなんて
来年はさらに理解が進みそうで楽しみである