考えてみれば
この言葉も耳慣れないものだ
→「本性」
おまえの本性は…
本性がわかった
って、もし言うとしても悪いほうに使う気がする
根は優しい
根性は悪くない
などと、根っこがつくと、少し良いニュアンスになる
naturは
おそらく、
この世界に在る時の、そもそもの在り方
ということか
となると、「そもそも」って何だろう
日本語の「そもそも」は、そもそも…;^_^
土台、元来、はじめは…、
などを意味するようだ
人間の在り方が、出産によって産まれた肉体や脳の在り方の中でも、人間以外の動物には無い、人間ならではの本性というものがあると考えるとして
人間だけということなら、やはりシュタイナーが自由の哲学の始めで問いを向けていった「意識」「自意識」にそれがあることになるだろうな
自意識は自分と世界を分断するところから、つまり思考の作用が始まる時に生起する
だから「本性=自意識=思考の作用による」
ってことになり、
人間の本性のクリアーな出現は、思考の作用をどの程度受け入れたかによる
この言葉も耳慣れないものだ
→「本性」
おまえの本性は…
本性がわかった
って、もし言うとしても悪いほうに使う気がする
根は優しい
根性は悪くない
などと、根っこがつくと、少し良いニュアンスになる
naturは
おそらく、
この世界に在る時の、そもそもの在り方
ということか
となると、「そもそも」って何だろう
日本語の「そもそも」は、そもそも…;^_^
土台、元来、はじめは…、
などを意味するようだ
人間の在り方が、出産によって産まれた肉体や脳の在り方の中でも、人間以外の動物には無い、人間ならではの本性というものがあると考えるとして
人間だけということなら、やはりシュタイナーが自由の哲学の始めで問いを向けていった「意識」「自意識」にそれがあることになるだろうな
自意識は自分と世界を分断するところから、つまり思考の作用が始まる時に生起する
だから「本性=自意識=思考の作用による」
ってことになり、
人間の本性のクリアーな出現は、思考の作用をどの程度受け入れたかによる