「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

世界内容を思考内容に作り変える

2014-12-20 18:30:37 | 第2章 学問への基本的欲求
実際、世界内容を我々の思考内容に作り変えることが出来たならば、そのとき
はじめて我々が失ってしまった内と外との関連を再び見出すであろう

この目標が達成されるためには、学問研究の課題を普通以上に深く把握しなければならない


世界観が欲しい

2014-02-03 08:34:56 | 第2章 学問への基本的欲求
人間が自分の行動の理由をはっきりわかっているときには、その理由にはその人なりな考えが反映している

その考えとは、自分が生きている世界をどう捉えているか、その人が生きて、感じて、観察して、学んで、その結果の総体の世界観ということだろう

世界観はどのように形成されるのか?
という問いを持つのは、確かに非常に重要なことだ

「このような世界観を持たせよう」と、あらゆるメディアを通じて、学校さえも、個人の考えに浸透したがっているものたちが溢れている場合には特に

持たせられる世界観から逃れることが自由だというわけではなく、自分の世界観を意識的に作る過程を大事にする、あるいは楽しむ、すでにある世界観を吟味する、ということが生き方であるような、そのような人がいたら、持たせられた世界観に気がつかずに生きる人に比べ、より自由であるだろうと思う

二章では、人には、自分の考え、行動のもととなる世界観を持ちたい、世界について知りたいという基本的な欲求、衝動があり、それはなぜなのかと問う

(それがあるから、人は不安でもある
わからない世界で自分を意識することは恐ろしいことであるから、だからとりあえず世界観を与えられて安心したい)

人間の意識は、世界を外側にあるもの、自分を内側にあるものとして認識するように構造としてある

だから人間は存在を意識した時点から、というか「意識」は存在しはじめると同時に、内世界と外世界を二つの別々なものと認識するようにできている

しかしそれは落ち着かない状況なので、世界を知りたいと思う

この意識、人間存在の自覚そのものが、まるごと欲求しているのが、世界観なのである

そして三章、世界観の獲得に奉仕してくれる思考へとつながるのは、人間存在まるごとが必要としている流れなのである

また、内世界と外世界の調和、統合をはかりたいと願う人間の意識の在り方があり

これらの欲求、意識の存在をかけた願いから、学問も芸術も宗教も科学も生まれた







自然と私のつながり/私の内の自然 その1

2012-08-23 07:17:07 | 第2章 学問への基本的欲求
2章まで読んでみて、懸案の、序文の問い1の主旨が見えてきた

2章最後に、シュタイナーが決然と言い切っている箇所がある

カッコ内はhasutamaによる

我々が自然から疎外されたことは真実でも、
我々が自然の中にあり、そこに属しているのもまた真実


我々の内で脈打っているのは、(肉体であろうと、意識内のことであろうと)
自然の働き以外の何物でもない


私たちは、自然に還る道を、再び発見しなければならない

なぜ?
それが人間にとって、「意識」はじまって以来の課題となっているから
これが2章で述べられた学問への「基本的欲求」
私と世界を結び付けたい、世界を理解したい、欲求があるから

(この、「再び」というのはどういう意味だろう?)

この道を、どのように発見できるのか?

素朴に熟慮しさえすればわかるのは、
私たちは自然から身を引き離したといっても
それでもやはり何かしらを、
自然の中から私たち自身の(内面、意識の?)本質の中に取り入れたずである

私たち自身の内側にある、この自然のあり方を、
探し求めなくてはならない

そうすれば再び、(自然と私との)つながりを見出すことになるだろう







意識という場で、「私=自然」地点を発見する

2012-08-20 07:27:50 | 第2章 学問への基本的欲求
このブログを、「ノート」としてよかった
読んでいただくためというより、
自分のちらかった頭のなかを広げてみる場となっている

行きつ戻りつ、全体性の中で部分を見ていきたい
把握した内容を、わからないまま読みすすめてしまったところにフィードバックしないと、意味が分からない

そんなわけで、夕べは2章にチャレンジした

「学問への基本的な欲求」

人間の意識に

世界を見る私
見られた世界(自然)

この二つが、分断されて現れる

私と世界をどう結びつけるか
世界をどう理解するか
それが人間の基本的な欲求としてある

宗教、学問、芸術・・
様々な形で、人間はこの課題に向かってきた

一元論、二元論、唯物論、唯心論・・

これらが、一般の人間の心にどう映ったか、それを振り返ってみると、
それぞれに満足のいかない点が残る

この分断は、どのように解決されるのだろう?

アプローチとして、

1.私 VS 世界 の土俵は、「意識」という場である

2.私は自然から孤立していると感じられても、、私が自然から成り立っていることも真実である 私の内部にあるのも、自然の働きではないか?  

この問題(私と世界をつなげる道を見出す)を探求するにあたり、
人間の意識という場に注目し、
私の内部にある自然を見つけ、
そこから外部の自然(世界)とつながるという方法をとる 
それが可能な地点においては、
私はもはや私と言うより、
私以上の何物かであるはず

私以上の何物かとは?
そのポイントは
私と自然の合致点で
この自然と言うのは自然全体なのだから
すごいパワーポイントなのかもしれないと予測される
(北極点みたいなものか)