その2・・
前の記事を書いたときに、その2の内容は決まっていたはずなのに、あっという間に忘れてしまった
そこで、今思いつくことを脈絡なくメモしてみたい
(何をメモするかというと、自由の哲学を3章まで読んで、それからしばらくたってしまって、内容の細かいことは忘れ、今印象に残っていること、気になることは何か?ということ シュタイナーが言うように、忘却に積極的な作用があるのかどうか?)
・「人間の本性」の「本性」とは、実際何のことだろう
「人間の本性の直覚」が世界認識を支え、人間の意志する自由の根拠となるらしい
「本性の直覚」という、行為を表わす言葉が主語となっている・・不思議な言い方ではないか?
・序章で、この著作により、『霊学の根拠となる「霊的な場」が存在することを示す』としている それは、本書のテーマ「人間の本性の直覚が、世界の認識を支えることを証明する」ことによって、「人間の自由」を根拠づけることと同じ意味なのだろうか?だとすれば、本性の直覚とは、人間の内面にある霊的な場を発見するということ?
・言い方の不思議さとしてもう一つ 思考に関する説明で、「思考に対する思考」のところ 『対象の観察から思考へとたどる通常の過程がある この思考の対象が、思考自身であるときには、その通常の過程はふさわしくない だがやむを得ずこの過程をたどる、そのことを意識しなくてはならない』 こういう言い方をする意味がわからない 通常の過程がふさわしくないないなら、どういう過程、手順がふさわしいのだろう この言い方の不自然さと、本性の直覚を主語にする不自然さには、共通性があるか?
前の記事を書いたときに、その2の内容は決まっていたはずなのに、あっという間に忘れてしまった
そこで、今思いつくことを脈絡なくメモしてみたい
(何をメモするかというと、自由の哲学を3章まで読んで、それからしばらくたってしまって、内容の細かいことは忘れ、今印象に残っていること、気になることは何か?ということ シュタイナーが言うように、忘却に積極的な作用があるのかどうか?)
・「人間の本性」の「本性」とは、実際何のことだろう
「人間の本性の直覚」が世界認識を支え、人間の意志する自由の根拠となるらしい
「本性の直覚」という、行為を表わす言葉が主語となっている・・不思議な言い方ではないか?
・序章で、この著作により、『霊学の根拠となる「霊的な場」が存在することを示す』としている それは、本書のテーマ「人間の本性の直覚が、世界の認識を支えることを証明する」ことによって、「人間の自由」を根拠づけることと同じ意味なのだろうか?だとすれば、本性の直覚とは、人間の内面にある霊的な場を発見するということ?
・言い方の不思議さとしてもう一つ 思考に関する説明で、「思考に対する思考」のところ 『対象の観察から思考へとたどる通常の過程がある この思考の対象が、思考自身であるときには、その通常の過程はふさわしくない だがやむを得ずこの過程をたどる、そのことを意識しなくてはならない』 こういう言い方をする意味がわからない 通常の過程がふさわしくないないなら、どういう過程、手順がふさわしいのだろう この言い方の不自然さと、本性の直覚を主語にする不自然さには、共通性があるか?