「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

お見合い会場としての「意識の場」

2015-02-10 23:15:37 | 第4章 知覚内容としての世界

観察内容と概念の出会いは、
思考する存在の
「意識という場」で起きる


「意識の場」に、
いかにして
世界の観察内容が
入り込むのか


hasutama

「意識の場に、いかにして世界の観察内容が入り込むのか」
という問いを持つこと自体に、戸惑ってしまう

目で見たり、耳で聞いたり、鼻で匂いをかいだり
目の前の世界の様子は意識するしないに関わらず、一瞬のうちに認識してしまっているのに、あらためて、「その内容がどのように入り込むか?」と
問題にするのは、バカバカしい気がしたのである

幾人かの友人にこの問いについて話してみたところ、一人の友人が、
最近新聞から切り抜いたエッセイで、「思う」と「考える」は違うという内容のものがあったから、コピーしてポストに入れておいてくれるとのこと
有難いことだ

感じる、思う、考える

その違いは?

「意識という場」において、観察内容と概念が出会う

意識という場は、いわばお見合い会場なのだろうか

意識という場は、もしかしたら二階建てやマンション構造など、複雑な作りになっているのかもしれない

だとすると、その中で、お見合い会場はどこなのだろう

感じる、思う、は、概念とのお見合いを斡旋していないのか

考える、がそれを一手に引き受けているというわけか

「考える」のお見合い斡旋おばちゃんに、概念と出会わせてもらいに意識の場へ入場する、そのときの「世界の観察内容」は、どのような出で立ちなのだろう

ただだらしなく受け取られた内容なんかとは、ちょっと違うのだろうか?










ゲーテとシラーの世界観 まとめ

2015-02-01 21:23:37 | ゲーテ
《ゲーテ》

唯一の認識の源泉
=経験の世界
(理念の世界も含むもの)

経験と理念は
分けることが出来ない

感覚的な世界が
物理的に目の前に存在するのと
同じように、
理念もまた
精神的な経験を通して
精神的な目の前に存在する為



事物の理念

事物の中で直接現存しつつ、
その中で働き、
創造する

理念は、
一定の条件のもとで、
特別な仕方で
自らを具現化しなければならない

個々の事物は
特定の形態をとらねばならない

以上のことは、ゲーテにとってはあまりにも自明なことであった為、

「事物が理念に一致しない」
などということは、
どうでもよいことだった

ゲーテにとって、
事物は理念が意図して作ったものと
違った形ではありえない


《シラー》

認識の二つの源泉を区別する
・外からは観察
・内からは思惟
を通じて認識する


理念の世界と事象の世界は、
二つの切り離された世界

事物と事象の多様性

経験に属するもの

空間と時間を満たすもの

理念の世界は、違う種類の現実として
経験に対立

理性によって獲得する

「ゲーテの世界観」シュタイナー著
溝井 高志訳 晃洋書房 より