「自由の哲学」ノート

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超越論的と超越的

2014-08-01 12:49:08 | カント
以下、
超越論的は、超越的はで色分け

wikiより
超越論哲学

カント、フィヒテやシェリングなどに見られる哲学の態度

カントによれば、
哲学=「全ての哲学的認識のシステム」

超越論的とは、
どのようにして先天的認識が可能であるのか?
その可能性と根拠について問う認識

先天的認識=アプリオリ
経験的認識に先立つ自明的な認識や概念

超越論的な認識とは、
対象を認識する仕方に関する」
一切の認識


超越的原則とは、制限を踏み越えることを命じるような原則

超越論的」は
超越的」と異なる

西洋の哲学史においては、
古代ギリシャのピタゴラス教団
エレア派(総じて「イタリア学派」)
プラトン以来、
本質存在・真実存在は、知覚・経験の対象とはならない、
それらを超えたもの
、すなわち「超越的」なものであるという考え方が、主流の一角を占めてきた

これらの哲学者達は、こうした知覚・経験を超えた「超越的」な真実在には、理性・論理・数学などによってのみ接近・到達できると考えていた

こうした古代ギリシャ特有の「理性主義」「論理主義」的発想・作法は、キリスト教文化との混交・融合によって、中世の神学(スコラ学)へと受け継がれ、更には近代哲学の大陸合理論にも継承されるが、そもそも根拠となる「理性」自体の規定が曖昧なため、そこで生み出される認識内容は「独断論」のそしりを免れないものであった

また他方で、経験に依拠するイギリス経験論においては、端から経験を超えた「超越的」な真実在についての認識など期待できるはずもなく、ヒュームの懐疑論に至ってそれは決定的なものとなった

こうした状況を目の当たりにしたカントは、「理性自体の吟味・批判」を通じて、

「人間の適正な理性的認識は、どこまで可能なのか」

「人間の理性は、経験を超えた(先験的な)「超越的」真実在(すなわち物自体)と、どのように関わるべきなのか、関わり得るのか」

についての、境界策定・基準設定(メタ規定)を行うことで、「超越的」なものに対する考察・関与(すなわち形而上学)の余地を、適正な形で復興しようと試みた。


これがカントの「批判哲学」であり、「超越論哲学」(先験哲学)である。

したがって、ここでいう「超越論的」哲学という表現は、

「経験を超えた(先験的な)「超越的」真実在(すなわち物自体)- にまつわる適正な理性関与 (- の境界策定・基準設定(メタ規定)) - についての、
事前的な/先行的な/自覚的な」
哲学ということであり、「前超越的」「先超越的」「対超越的」「メタ超越的」等とも言い換えることができる


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