「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

4章の問いに関連して

2015-04-22 06:48:44 | 「神智学」
筑摩書房 p165

思考するものなら誰でも
石についての思考内容と
この石そのものとは
どのような関係にあるのか
という疑問

抱かざるを得ないだろう

感覚的世界の諸事物が
濃縮された霊的本性たちに他ならないからこそ
思考内容を通して
これらの霊的本性にまで達する人間は
思考しつつ事物を理解することが
出来るのである

感覚的事物は霊界から生じたものであり霊的本性の別形式に過ぎない

人間が
事物に対しての思考内容を作る
ということは
人間の内面が
この事物の感覚的形式から
その霊的原像へ
向きを変えた
ということに過ぎないのである

思考を通して事物を理解する作業は
固体をまず火にかけて
液体に変え
化学分析できるようにする作業に
比較することができよう

心的活動の志向性

2015-04-01 22:30:37 | コリン・ウィルソン 「シュタイナー」
メモ
p51

ブレンターノによれば、心的行為と肉体的行為の間には根本的な違いがあると言う。

もし私が雪の上で滑って仰向けにひっくり返ったとするなら、それは非志向行的な肉体的行為である。

が、非志向行的な心的行為というようなものはありえない。

私が思考する場合、何かについて考えなくてはならない。

私はその何かに心の焦点を合わせなくてはならないのである。

すべての心的行為は、暗闇を貫くサーチライトの光線になぞらえることが出来よう。

全ての心的活動には意志の要素、つまり「志向性」の要素がある。

だから、心的活動を化学になぞらえ、流れに浮かぶ葉のように心的活動もいわば漂流しているとみなすことは大変な間違いである。

心的活動は目的を持って流れるか、それとも流れないかのどちらかなのだ。