「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

思考を特別扱いすることについて

2014-03-13 21:28:56 | 第3章 世界認識に仕える思考
引っかかることがあると、先に進めない

どうも先に進めないと気がついて、では何に引っかかるのか?と考える

現象があり、そこに違和感があれば意識が向かう

意識が向かうと、その現象は何故起こっているのか?と、原因を探し始める

私は3章の、観察対象として思考は特別だとする説明が、まだ完全には納得出来ない

感情は、同じ精神生活であっても観察対象として思考と同列に扱うことは出来ないとシュタイナーは言う

感情は精神生活であっても、外界の事象と同列に置いてかまわない

しかし、思考だけはそうではない

それは、思考は人間が生み出すものだから

時系列的に、生み出さないうちは存在していないのだから観察できない、という意味なら思考以外の何でもそうではないか
わざわざ神が世界を作り出し、それから眺めたと言い出すまでもなく
それに感情も、私が生み出したのだと言えないこともないのでは?

ただ、自我がどれぐらい主体的に関わっているかと考えると、確かに感情は思考に比べると、より外界への条件反射的なもので、意識的に生み出すものではない

自我と感情、自我と思考、を比べてみる

より自覚的、自発的、主体的なのは、思考である

それは納得できる