「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

考えるは宇宙すぎるのかも

2013-12-21 23:23:40 | 雑感
私自身の雑感である

考えるって全然ピンとこない

それより問うほうがピンとくる

問いの作用に興味がある

考えるというのは、巫女みたいな活動に思える
それは最後まで自分の行為だとは言えない気がする

私が面白いと思うというか、信頼している活動は、問いまでではないだろうか
つまり問いまでが、自分がはっきり把握できる活動である気がする

理性が因果律を得たがるとしても
得ることが何なのかよくわからない
得たことが正しいかどうかもわからない
因果律が必ずあるとも限らない
本当に答えが欲しいのか、答えが存在するのか
よくわからない

今、少しわかる気がするのは、問いの作用である

問いには不思議な力がある
問いが答えを私に体験させようとする
その、問いの思いやりを、私は理解する

何にせよ問いは、私を移動させる

「考えながら生きる」と言われてもピンとこないが、
「問いながら生きる」なら、ピンとくる

答えを得ることよりも、問うことそのものに価値があるということはないのだろうか?

また、考えると問うの関係は?

問いとは何なのだろう?







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