「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

意識、思考、解放

2013-10-11 07:47:13 | 第3章 世界認識に仕える思考
我々の働きかけ無しに存在する対象、出来事

この言い方は面白い
自分を取り巻く世界は、そういうものだらけ
自分の存在も、私の働きかけで存在したようには思われないのだから
謎だらけの中に、?となっている私の意識がある

それに関係する概念と概念相互の結びつきとを見出そうと努力する必要を我々が感じている

私の意識は、謎に取り囲まれているのだから、どうしたってそうなるだろう


この私の活動が私の独立した本性の発露なのか

独立した本性の発露というのは、私自身の意識の性質とその働きのあり方ということだろうか
私の独立した本性って何なのだろう
なぜ「私の独立した本性」という言い方をするのか
本質と言っても同じ?

それは、意識の中にあるもの?

意識はその在り方によって、おのずと問いを持ち、またその答えを求めると言えないこともない

その方向性や、方法は、人それぞれだ

意識の存在の前提があり、おのずと行われる意識の活動をそれぞれが固有に行っている

それは食物を消化するのとどう違うのだろうか?そう変わらないような気もしてしまう

また、固有の活動だから主体性があるとは、必ずしも言えないのではないだろうか

自分の意識に自分が振り回されてしまうということもあるだろう

よいと思ったことに、いつか自分が縛られてる…なんてこともあるかもしれない

意識の、問い→答えの循環をより解き放たれたものにすることを「意識」するかどうか

それがなければ意識の機能は半分
死んでいるようなものではないだろうか
意識の活動は、「私の独立した」ではなくなってしまう

意識の活動以前に、意識が本当に私のものであるかどうかを考えてみると、それとて確信は持てない
私のものとは、そもそもどういうことなのだろう
意識自体、私の手と同じ程度に、ある機能として与えられたものなら、その由来について、私が関係していないもののひとつであるということだ

では、それを把握する私の意識はどうなるのだろう それだって同じことではないだろうか

まだ、思考を思考する、についてシュタイナーの言う特別の場を、よくつかみきれていない

意識上にあって、考えるという活動が繰り広げられているときには、同じ意識も、何か別の領域との交流というか、意識にも地や空があるとしたら、ただの意識は地中に眠っており、考える時には空気中に出る、そんな状況が思い浮かぶ

うーむ、なんとも支離滅裂

おまけの写真

レッチ・フィールド・エンジェル

名前の由来は、レッチフィールド大聖堂の敷地で「大天使ガブリエル」が彫刻されたパネルが見つかったのにちなんで

聖書中でのガブリエルの役目は、神の言葉を人間に伝えること





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