■北鎮第2師団が道北護る
日曜特集、日ロ首脳会談が行われ平和条約へ一歩を歩みましたが北海道の北には大戦停戦後にソ連が不法奪取した千島列島等があり、第2師団は現在もロシア軍と対峙しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/1a/e82e2b4cae3846b57ae441b2fcf6685b.jpg)
山内克己連隊長先頭に留萌第26普通科連隊機械化部隊の観閲行進、現連隊長は西田健1佐。90式戦車、96式装輪装甲車、99式自走榴弾砲、第2師団は優秀装備を揃えています、その様子は記念行事前に駐屯地の一般開放区画を散策し、観閲行進に向け待機している車両群を観るだけでも痛感します、なんというか本土の師団とは装備の重厚さが桁違い、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d6/3d8b1cd7ade3eaad5dc95a9375b547da.jpg)
第2対舟艇対戦車隊の96式多目的誘導弾96MPMSの行進。北部方面隊は冷戦時代、ソ連軍の着上陸が真剣な脅威として、具体性を以て警戒されていた為、重装備を誇っています。90式戦車は勿論現在本土に広く配備されています74式戦車も北海道から配備されています。北海道から順次、近代化が進められた、という構図です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/09/121784543b54e91bb945362a0b203dc5.jpg)
井山隆二連隊長が率いて第2後方支援連隊観閲行進。冷戦後に入りますと北海道からの近代化一辺倒というわけではありません、実際問題、装甲車両や戦車と火砲の近代化は北海道優先となっていましたが、対戦車ミサイルや軽装甲車両に迫撃砲などの軽装備の近代化は本土師団と本土旅団から順次進められてゆきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/fd/338aec32896516e8f309d40ac377c8a4.jpg)
現連隊長は鶴村和道1佐、第2後方支援連隊第1整備大隊の重装輪回収車。第2師団でも106mm無反動砲はかなり後まで残りましたし、高機動車を自衛隊で最初に充足した部隊がその後の装備配備が大きく遅れる、というものがありました。89mmロケットランチャー所謂有名なバズーカ砲も最後に配備されていたのは恵庭の第1戦車群でしたし、ね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fe/ad604b734f66eb1f676a7a1f99646d8e.jpg)
第2後方支援連隊の戦車輸送車と75式自走榴弾砲。新世紀に入り自衛隊の脅威は西方へと移行しました、南西諸島への限定侵攻の蓋然性が高まり、新装備を西方に展開する、その一方で統合機動防衛力として、北海道の重装備を可能な範囲内で維持し、有事の際に西方へ展開させるという新しい防衛政策へ移行しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/0d/586389ba8df205368ca4696870503458.jpg)
第2後方支援連隊補給隊の3t半トラック燃料輸送車。ただ、この施策について疑問符が絶えないのは、有事の際にそこまで緊急展開を実施する事は出来るものなのかな、という素朴な疑問です。90式戦車は重く大きく日本の鉄道では輸送出来ません、火砲についても同様ですし装甲車両と支援車両については数が特に多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0d/134fdb3f8011cc9dce33d59be234ff47.jpg)
90式戦車回収車。統合機動防衛力とはいっても、北方の脅威は減退しただけで日ロ間は平和条約未締結の状況、其処に新たに西方の脅威が顕在化した形で、むしろ本土並みの軽装備の旅団と北海道並の重装備の旅団を組み合せ、緊急展開も機動打撃も両立できる師団が必要なのかな、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/67/f3fc316b825230d3ae1d46f717afeddf.jpg)
第2後方支援連隊衛生隊の1t半救急車と野外手術システム。高射特科大隊には87式自走高射機関砲、93式近距離地対空誘導弾、81式短距離地対空誘導弾が配備されています。大隊には本部管理中隊に対空レーダ装置及び低空レーダ装置が配備され、目標情報を戦術情報に置き換え高度な対空戦闘を展開可能としました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/bd/bf171993e9c95538f7ae764af146068d.jpg)
和田伸一大隊長先頭に第2高射特科大隊の観閲行進。特に87式自走高射機関砲はレーダー管制により二門の35mm機関砲を航空機に対し、対空警戒、目標識別と自動追尾及び射撃諸元計算の上で弾道計算し正確に迎撃する能力を付与され、戦車部隊に随伴し防空支援を展開可能です。第7師団と第2師団がのみ保有です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/b1/40ebdf619c87ba043e3497746f947127.jpg)
第2高射特科大隊の低空レーダ装置JTPS-P18、大隊は加えて対空レーダ装置JTPS-P14も持つ。96式多目的誘導弾システム、対舟艇対戦車中隊が誇る優秀装備で、ミサイルの光学センサーと光ファイバーによるTV画像誘導方式を採用した新世代の対戦車ミサイル、その利点は掩砲所等から見通し線外の目標を射撃できる点で、射程も大きく、もちろん威力も大きい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f1/149aaa4d1230fe7e9b7f3d549c56e745.jpg)
第2高射特科大隊の81式短距離地対空誘導弾C型。多目的誘導弾システムと呼称される所以は、一発当たり60kgと通常の対戦車ミサイルと比較し四倍程度の重量がある為、艦船に対しても有効な威力をもつためで、沿岸部から内陸部へ掩蔽陣地を構築し、そのまま揚陸艦の着上陸を直接撃破する事も可能となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ef/2b7dce2a60ad1a3166808e8995bbe729.jpg)
第2高射特科大隊第3中隊の87式自走高射機関砲で戦車連隊の直掩防空にあたる。90式戦車、96式装輪装甲車、99式自走榴弾砲、96式多目的誘導弾システム、87式自走高射機関砲、これら優秀装備ですが、やはり取得費用が大きく、最も脅威を受ける地域へ重点的に装備されているのが実情です、そしてこれらを揃えるのが第2師団です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/ca/dda5a98ee1cfc85484237d0e0275da2f.jpg)
第2施設大隊の96式装輪装甲車で70式地雷原処理装置を積む。しかし、第2師団を支えているのは一人ひとりの隊員の使命感と努力が創り上げた団結の結晶であることを忘れてはなりません、いかに最新鋭の装備を揃えようとも、整備し運用するのは人間です、そして近接戦闘は確実に戦闘の犠牲者を伴う宿命が突き付けられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ab/997f5ae12ec81c955e75371f0fe5ae67.jpg)
第2施設大隊の07式機動支援橋。一人ひとりの隊員が使命感を持って所管する任務を完遂する努力の積み重ねが無ければ、装備を確実に稼働させ、火器がうけ持つ範囲では確実に責任を果たし、そして装備品の運用と戦術への絶え間ない努力と研鑽が体系化、装備と人員を一つの部隊としている訳で、この点を忘れてはなりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a1/ca814759aaec374fb8b2f3cf7dea625f.jpg)
第2施設大隊の92式地雷原処理車と91式戦車橋。これだけの部隊が所在する旭川、旭川市では自衛隊は市民の一員、旭川を代表して活躍する仲間たち、という応えが、実際に市内を散策し酒杯を交わした際の率直な反応でした、沖縄の米軍基地などを見ますと基地は反対、という印象がまあ強いものがありますが、ね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c3/90cdc5fedc4906b2f2f2d84e8bb02837.jpg)
第2通信大隊が髙橋孝介大隊長中心に観閲行進。駐屯地も広い、式典前に待機車両の周りを散策しているだけですぐに式典開始の時間になってしまいそうなほどの広さでした、待機車両も車両一両一両が大型ですし、なによりも駐屯地が広い分、多くの車両を待機させる事が出来ますので、規模も大きくなってきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/f1/8b350e50b944f7047d7a692d7a0d2541.jpg)
第2通信大隊は連隊規模の4個中隊編成。広大な駐屯地の背景には、駐屯地に第2飛行隊が駐屯していますので、飛行場地区が用意されており此処が駐屯地の面積を大きくしている点も挙げられるのでしょう。なお、当方は勘違いしていまして、第2飛行隊は旭川空港のあたりに駐屯しているとばかり勘違い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/b9/29c4bf570a06ccf2f32490c00c9fbd64.jpg)
第2通信大隊の電子戦中隊。飛行場地区は舗装されていない未舗装滑走路で、これはUH-1やOH-6等、舗装滑走路を必要としない回転翼航空機のみの運用を想定している為なのでしょうが、他方で、未舗装滑走路の奥に普通の空港のような管制塔が見えますと印象で野戦飛行場のようだなあ、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/94/4146b637bb57c8eed0b8e567a242acda.jpg)
師団司令部付隊の第2化学防護隊化学防護車と94式除染装置。旭川は明治時代から連綿と続く軍都となっています。駐屯地に隣接する護国神社からも当時が垣間見えるでしょう。明治時代に帝国陸軍は全国へ後の師団となる鎮台を配置、日本全土の防衛警備体制を確立させました、ここで北海道にも陸軍の部隊が置かれる事となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/26/7428be80035e3dd525627abe043e9473.jpg)
師団司令部付隊の基幹連隊指揮統制システム構成車両。全国へは城址等を中心に鎮台が置かれたのですが、北海道は江戸時代での開拓が充分ではなく、城址も函館くらい、まず開拓を進めなければ師団を展開する必要な兵站などを確立する事が出来ません、そこで陸軍は鎮台に代え北海道には屯田兵本部を置いたわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/c0/864f3aed883e4cdb4d64e4e3b69aa25c.jpg)
師団司令部付隊の基幹連隊指揮統制システム構成車両。旧陸軍時代、まず、第7師団は札幌に屯田兵本部を設置、北海道北部の開拓と共に屯田兵本部は屯田兵司令部へ改編、1895年に屯田兵司令部が臨時師団へ改編され、その上で1901年に上川郡鷹栖村に師団本営を置く第7師団、即ち旭川第七師団へと改編されたわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/89/547e9cc35fdef06496336a6bee67968b.jpg)
特科の神様と呼ばれる南浩連隊長率いる第2特科連隊の観閲行進。北海道と云えば北海道庁は札幌に置かれていますが、陸軍第七師団が置かれた時代にはロシアの南下圧力が大きく、少しでも北方の旭川に師団を置かなければ、調査名目などで上陸され、部隊を駐留させ既成事実化されかねぬ、明治時代から防衛の最前線だった点を端的に示すもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/35/e53d6d0adc0ea419ad7ac14353b163a1.jpg)
第2特科連隊の観閲行進、現連隊長は前田尚男1佐。旭川、北海道空の玄関、新千歳空港からは特急スーパーカムイにて直通していまして、一見千歳からは遠い印象がありますが実際足を運んでみますとスーパーカムイ運行本数が多く、便利です。近年は旭山動物園が全国的に有名となり道外からの観光客も増えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/2d/d766d24dc4ea269b586a9d792c0cfb48.jpg)
第2特科連隊の観閲行進、乗車するのは82式指揮通信車。今日では第7師団といいますと東千歳なのですが、第7師団を旧陸軍時代まで遡れば元々は旭川でした。旭川市は747.66km2と広大な面積に人口34万5000名が生活する道北最大の、そして北海道内では札幌に続く都市です。ちなみに札幌の人口は170万名ですが、ね。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
日曜特集、日ロ首脳会談が行われ平和条約へ一歩を歩みましたが北海道の北には大戦停戦後にソ連が不法奪取した千島列島等があり、第2師団は現在もロシア軍と対峙しています。
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山内克己連隊長先頭に留萌第26普通科連隊機械化部隊の観閲行進、現連隊長は西田健1佐。90式戦車、96式装輪装甲車、99式自走榴弾砲、第2師団は優秀装備を揃えています、その様子は記念行事前に駐屯地の一般開放区画を散策し、観閲行進に向け待機している車両群を観るだけでも痛感します、なんというか本土の師団とは装備の重厚さが桁違い、と。
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第2対舟艇対戦車隊の96式多目的誘導弾96MPMSの行進。北部方面隊は冷戦時代、ソ連軍の着上陸が真剣な脅威として、具体性を以て警戒されていた為、重装備を誇っています。90式戦車は勿論現在本土に広く配備されています74式戦車も北海道から配備されています。北海道から順次、近代化が進められた、という構図です。
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井山隆二連隊長が率いて第2後方支援連隊観閲行進。冷戦後に入りますと北海道からの近代化一辺倒というわけではありません、実際問題、装甲車両や戦車と火砲の近代化は北海道優先となっていましたが、対戦車ミサイルや軽装甲車両に迫撃砲などの軽装備の近代化は本土師団と本土旅団から順次進められてゆきました。
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現連隊長は鶴村和道1佐、第2後方支援連隊第1整備大隊の重装輪回収車。第2師団でも106mm無反動砲はかなり後まで残りましたし、高機動車を自衛隊で最初に充足した部隊がその後の装備配備が大きく遅れる、というものがありました。89mmロケットランチャー所謂有名なバズーカ砲も最後に配備されていたのは恵庭の第1戦車群でしたし、ね。
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第2後方支援連隊の戦車輸送車と75式自走榴弾砲。新世紀に入り自衛隊の脅威は西方へと移行しました、南西諸島への限定侵攻の蓋然性が高まり、新装備を西方に展開する、その一方で統合機動防衛力として、北海道の重装備を可能な範囲内で維持し、有事の際に西方へ展開させるという新しい防衛政策へ移行しました。
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第2後方支援連隊補給隊の3t半トラック燃料輸送車。ただ、この施策について疑問符が絶えないのは、有事の際にそこまで緊急展開を実施する事は出来るものなのかな、という素朴な疑問です。90式戦車は重く大きく日本の鉄道では輸送出来ません、火砲についても同様ですし装甲車両と支援車両については数が特に多い。
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90式戦車回収車。統合機動防衛力とはいっても、北方の脅威は減退しただけで日ロ間は平和条約未締結の状況、其処に新たに西方の脅威が顕在化した形で、むしろ本土並みの軽装備の旅団と北海道並の重装備の旅団を組み合せ、緊急展開も機動打撃も両立できる師団が必要なのかな、と。
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第2後方支援連隊衛生隊の1t半救急車と野外手術システム。高射特科大隊には87式自走高射機関砲、93式近距離地対空誘導弾、81式短距離地対空誘導弾が配備されています。大隊には本部管理中隊に対空レーダ装置及び低空レーダ装置が配備され、目標情報を戦術情報に置き換え高度な対空戦闘を展開可能としました。
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和田伸一大隊長先頭に第2高射特科大隊の観閲行進。特に87式自走高射機関砲はレーダー管制により二門の35mm機関砲を航空機に対し、対空警戒、目標識別と自動追尾及び射撃諸元計算の上で弾道計算し正確に迎撃する能力を付与され、戦車部隊に随伴し防空支援を展開可能です。第7師団と第2師団がのみ保有です。
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第2高射特科大隊の低空レーダ装置JTPS-P18、大隊は加えて対空レーダ装置JTPS-P14も持つ。96式多目的誘導弾システム、対舟艇対戦車中隊が誇る優秀装備で、ミサイルの光学センサーと光ファイバーによるTV画像誘導方式を採用した新世代の対戦車ミサイル、その利点は掩砲所等から見通し線外の目標を射撃できる点で、射程も大きく、もちろん威力も大きい。
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第2高射特科大隊の81式短距離地対空誘導弾C型。多目的誘導弾システムと呼称される所以は、一発当たり60kgと通常の対戦車ミサイルと比較し四倍程度の重量がある為、艦船に対しても有効な威力をもつためで、沿岸部から内陸部へ掩蔽陣地を構築し、そのまま揚陸艦の着上陸を直接撃破する事も可能となりました。
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第2高射特科大隊第3中隊の87式自走高射機関砲で戦車連隊の直掩防空にあたる。90式戦車、96式装輪装甲車、99式自走榴弾砲、96式多目的誘導弾システム、87式自走高射機関砲、これら優秀装備ですが、やはり取得費用が大きく、最も脅威を受ける地域へ重点的に装備されているのが実情です、そしてこれらを揃えるのが第2師団です。
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第2施設大隊の96式装輪装甲車で70式地雷原処理装置を積む。しかし、第2師団を支えているのは一人ひとりの隊員の使命感と努力が創り上げた団結の結晶であることを忘れてはなりません、いかに最新鋭の装備を揃えようとも、整備し運用するのは人間です、そして近接戦闘は確実に戦闘の犠牲者を伴う宿命が突き付けられます。
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第2施設大隊の07式機動支援橋。一人ひとりの隊員が使命感を持って所管する任務を完遂する努力の積み重ねが無ければ、装備を確実に稼働させ、火器がうけ持つ範囲では確実に責任を果たし、そして装備品の運用と戦術への絶え間ない努力と研鑽が体系化、装備と人員を一つの部隊としている訳で、この点を忘れてはなりません。
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第2施設大隊の92式地雷原処理車と91式戦車橋。これだけの部隊が所在する旭川、旭川市では自衛隊は市民の一員、旭川を代表して活躍する仲間たち、という応えが、実際に市内を散策し酒杯を交わした際の率直な反応でした、沖縄の米軍基地などを見ますと基地は反対、という印象がまあ強いものがありますが、ね。
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第2通信大隊が髙橋孝介大隊長中心に観閲行進。駐屯地も広い、式典前に待機車両の周りを散策しているだけですぐに式典開始の時間になってしまいそうなほどの広さでした、待機車両も車両一両一両が大型ですし、なによりも駐屯地が広い分、多くの車両を待機させる事が出来ますので、規模も大きくなってきます。
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第2通信大隊は連隊規模の4個中隊編成。広大な駐屯地の背景には、駐屯地に第2飛行隊が駐屯していますので、飛行場地区が用意されており此処が駐屯地の面積を大きくしている点も挙げられるのでしょう。なお、当方は勘違いしていまして、第2飛行隊は旭川空港のあたりに駐屯しているとばかり勘違い。
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第2通信大隊の電子戦中隊。飛行場地区は舗装されていない未舗装滑走路で、これはUH-1やOH-6等、舗装滑走路を必要としない回転翼航空機のみの運用を想定している為なのでしょうが、他方で、未舗装滑走路の奥に普通の空港のような管制塔が見えますと印象で野戦飛行場のようだなあ、と。
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師団司令部付隊の第2化学防護隊化学防護車と94式除染装置。旭川は明治時代から連綿と続く軍都となっています。駐屯地に隣接する護国神社からも当時が垣間見えるでしょう。明治時代に帝国陸軍は全国へ後の師団となる鎮台を配置、日本全土の防衛警備体制を確立させました、ここで北海道にも陸軍の部隊が置かれる事となる。
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師団司令部付隊の基幹連隊指揮統制システム構成車両。全国へは城址等を中心に鎮台が置かれたのですが、北海道は江戸時代での開拓が充分ではなく、城址も函館くらい、まず開拓を進めなければ師団を展開する必要な兵站などを確立する事が出来ません、そこで陸軍は鎮台に代え北海道には屯田兵本部を置いたわけです。
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師団司令部付隊の基幹連隊指揮統制システム構成車両。旧陸軍時代、まず、第7師団は札幌に屯田兵本部を設置、北海道北部の開拓と共に屯田兵本部は屯田兵司令部へ改編、1895年に屯田兵司令部が臨時師団へ改編され、その上で1901年に上川郡鷹栖村に師団本営を置く第7師団、即ち旭川第七師団へと改編されたわけです。
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特科の神様と呼ばれる南浩連隊長率いる第2特科連隊の観閲行進。北海道と云えば北海道庁は札幌に置かれていますが、陸軍第七師団が置かれた時代にはロシアの南下圧力が大きく、少しでも北方の旭川に師団を置かなければ、調査名目などで上陸され、部隊を駐留させ既成事実化されかねぬ、明治時代から防衛の最前線だった点を端的に示すもの。
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第2特科連隊の観閲行進、現連隊長は前田尚男1佐。旭川、北海道空の玄関、新千歳空港からは特急スーパーカムイにて直通していまして、一見千歳からは遠い印象がありますが実際足を運んでみますとスーパーカムイ運行本数が多く、便利です。近年は旭山動物園が全国的に有名となり道外からの観光客も増えています。
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第2特科連隊の観閲行進、乗車するのは82式指揮通信車。今日では第7師団といいますと東千歳なのですが、第7師団を旧陸軍時代まで遡れば元々は旭川でした。旭川市は747.66km2と広大な面積に人口34万5000名が生活する道北最大の、そして北海道内では札幌に続く都市です。ちなみに札幌の人口は170万名ですが、ね。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
昔、駐屯地の北鎮記念館に行ったのを思い出しました。広報官の方が話好きで、笑わせてもらいました。
そういえば、自衛隊や消防の広報関係の方は熱意があって親切な方が多いですね。自衛隊は話好き、消防は防災に真剣みたいな。
警察は…(笑)
当方も旭川駐屯地、懐かしいです、2013年の写真を漸く掲載した次第ですが、今日、戦車や火砲が更新されています
北鎮記念館、展示や風情は素晴らしいのですが、驚いたのは、あの場所、観光名所になっていまして、アニメの“櫻子さんの足下には死体が埋まっている”という作品にもでていたとのこと
自衛隊広報の方、確かに熱心で話し好き、いろいろ学ばせてもらいます、国民と軍隊が離れてしまっては、という意味で、広報は平時の実戦、という認識でおられるのだとか
駐屯地内滑走路ですが、小型飛行機の離発着も可能となっております。
芝生ですが結構手入れされていまして凹凸も殆ど無く小型プロペラ機程度でしたら発着が可能と司令部の方の談です。
自衛隊駐屯地内でありながら、海上保安庁や警察のヘリによる離発着も行われているそうです。
また、小型機限定ですが緊急時の代替飛行場としても指定がされているそうです。
高機動車が実戦部隊として一番最初に配備されましたが、部隊実験を兼ねていまして配備直後から2000年代にかけては色々と訓練を行いつつ実験も行われていましたね。
高機動車での突入訓練もありましたしね。
106無反動が最後まで残った一番の理由は、地形地物の活用上無反動が一番手頃な環境だったからです。
内地だとなかなか活用が難しい装備でしたが、北海道だと活用は色々と出来ましたし。87だと制限も多いですから。
滑走路情報どうもです、そう云われてみますと、確かに三菱MU-2等は未舗装滑走路での運用も為されていましたね(映画”不毛地帯”にてそんな描写があったような)
106RG,なるほど、まっすぐ飛びますので直接火力戦闘と瞬発性を考えますと、道北の開けた地形では有用性が高い、という事ですか、ただ、命中率を高めるには相当練度が問われそうですね・・・
106RGの場合はスポットライフルを使用し、相手に感知される可能性がありますから、レーザーを感知される部分と重複するのかな、とも