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【京都幕間旅情】頂法寺六角堂,京都の街中に聖徳太子と小野妹子の四天王寺造営にまつわる歴史

2024-06-19 20:00:58 | 写真
■六角堂探訪記
 嗚呼暑いとおもいつつ梅雨入りの時は梅雨入りの時で嗚呼湿いと嘆くのだろうなあと今の時点で思うが晴天は散策に活用したい。

 頂法寺、このお寺は京都の本当に中心部にあって、観光客にはあまり親しみはわかないかもしれないけれども京都では若い頃から思い出に残る場所である、何故なら隣に河合塾があって若者本来の野心を大学受験にぶつける場への通り道にあるから。

 本堂に受験生らしきかたの団体がお参りに来ているのを見ましたけれども、駿台とかいろいろあるのにとおもいつつ、神社の様な柏手を叩く参拝作法で詣でていまして、いやここはお寺、天台宗系単立寺院なのよ、とほほ笑んだのはちょっとまえのはなし。

 六角堂、まあ前述の河合塾は半分冗談としましてもここ頂法寺は通称六角堂という事で、地下鉄烏丸御池駅にもほど近く、ビルに囲まれた一角に、しかし歴史だけはもう滔々とというほどに連綿と湛えている独特の形状の堂宇とともに記憶に残る。

 記憶に残るといいますか、散策の際にふと立ち寄る、という風情がありまして、建物は相次ぐ火災により現存するものは明治時代初期に再建されたものなのですけれども、近くに喫茶店もいくつかありまして、ちょっと立ち寄りたくはなるときがあるのだ。

 XXXHOLiCのユーコさんのミセというか家に似ているね、と知人に言われまして、なるほど建物ん形状は全く違うけれども高いビルに囲まれてそこだけ時間は穏やかに流れているような気分になるのは、と、2000年代初頭の作品話題で意気投合したことも。

 この世に偶然なんてない-あるのは必然だけ、とはXXXHOLiCの主人公たる壱原侑子さんの台詞なのですけれども、必然かは別として烏丸かいわいを散策していますとここ六角堂は前を通ることも相応に多く、いや京都の街の成り立ちとも深くかかわっていて。

 中京区六角通東洞院西入堂之前町、この一角は、二条通りまで出て15分ほど歩けば二条城が見えてきますし、四条通まで下って30分ほど歩けば八坂神社が見えてくる、烏丸通を45分ほど歩けば東本願寺が見えるのですが、この周りに寺院はというと。

 用明天皇2年こと西暦587年に創建となったといい、平安遷都よりもはるか前から存在していたこととなります。もっとも昭和中期の発掘調査では飛鳥時代の遺物は発見されず、藤原道長の御堂関白記にはその名が記され、平安朝中期ごろの創建と言われる。

 天台宗系寺院なのですが、もともとのいわれは敏達天皇の時代に海岸に漂着していた仏像を聖徳太子がひろい、これを持仏像とした。この持仏像に戦勝祈願を行い物部守屋討伐に臨んだところ見事勝利し、その功徳に感謝し四天王寺を造営することとした。

 四天王寺建立のための木材を探し小野妹子とともに当地を訪れた際に近くの池で聖徳太子が水浴びをしていたところ、持仏像がその場所から動かなくなり、その再偶然出会った老師風の翁からここに寺院を造営する事を進められたのがこの寺院の始まり。

 聖徳太子が水浴びしたという池は、人工のいかにもというかたちにはなってしまっているのですけれども、堂宇に隣接して現存していまして、聖徳太子さんは水浴びしていませんが、この暑いこの頃となりますと鳩さんや烏さんが水浴びしていたりする。

 堂宇が六角となっていますのは、その老師風の翁より寺院に相応しい銘木の場所を教えられ、四天王寺の建材とするとともにこの場所に堂宇を組む際、組み木が微妙に絡み合ったことで六角形の独特の形状となった為、それを本堂にした、ということでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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