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護衛艦FRAM近代化改修と艦隊維持【06】第二次防衛力整備計画と戦略転換,護衛艦顛末記

2016-12-24 18:00:03 | 先端軍事テクノロジー
■旧海軍出身自衛艦の奮闘迷走
 本日はクリスマスイヴということで護衛艦くらま電燈艦飾の写真と共に護衛艦FRAM近代化改修と艦隊維持、先進的近代化改修護衛艦わかば顛末を前回に引き続き視てみましょう。

 護衛艦わかば、1959年に第2護衛隊群へ編入され、その直後に漸くSPS-8B高角測定レーダーの搭載改修が完了しました。そこで半年後、SPS-8B高角測定レーダーと共に第1護衛隊群へ転籍します。アメリカ海軍最新鋭の装備を受領した極秘装備、画像送受信装置とレーダーリレー機能が搭載され期待されていたのですが、直後第3護衛隊群へ転籍されます。

 DERはレーダー搭載というだけ得なく、画像送受信機が搭載、レーダーリレー機能としまして、レーダーデータリンク能力も試験的に付与されていまして、わかば、は海上自衛隊の当時の最新鋭装備P-2V対潜哨戒機のレーダー映像をそのまま伝送し、P-2V対潜哨戒機のレーダー画像を分析し艦隊中心のレーダー警戒情報等を艦上で再生する事も可能でした。

 レーダーピケット艦、このDERがあれば艦隊防空から戦闘機部隊との連携まで幅広く対応可能ですが、実は護衛艦隊で殆ど運用されていません。SPS-8B高角測定レーダーとレーダー画像送受信機、この能力を駆使すれば海上自衛隊の能力は非常に広い任務へ対応させることができるのですが、艦隊訓練でレーダーピケット任務は付与されず、航空管制もなし。

 航空母艦を運用しない海上自衛隊では、航空管制を行う場合、戦闘機を管制する必要がありません。航空自衛隊の戦闘機を完成しようにもF-86戦闘機の航続距離は短く、一時海上自衛隊がRF-86偵察機運用を検討するも実現していません、航空自衛隊は先進的なF-104J戦闘機を運用しましたが、わかば、にはF-104のナザールF15管制能力はありません。

 海上自衛隊は第二次防衛力整備計画までかなり真剣に航空母艦の運用を検討していた為、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦の中古取得や、S-2哨戒機を運用する護衛空母の配備を念頭に航空管制等を見込み、この為にレーダーピケット艦と機上電子計算能力の補完機能や航空管制能力が求められたのかもしれませんが、対潜戦闘能力整備が優先されました。

 SPS-8B高角測定レーダーを待っている間に海上自衛隊の作戦運用体系が対潜戦闘能力強化とその装備体系偏重へ転換してしまい、SPS-8B高角測定レーダーと共に導入されるべき装備が実現せず、結局、活躍する機会がなくなってしまった、いわば計画画定から実装備までの時間的欠缺が、SPS-8B高角測定レーダーを必要としなくなったともいえるでしょう。

 演習や艦隊訓練において活用される事が遂に一度もなかった、第3護衛隊群から一年と経ず今度は横須賀地方隊へ編入されました、横須賀地方隊では護衛艦わかば、は三宅島噴火災害派遣任務での島民救出任務や遭難漁船救助に活躍しましたが、二年後に同じ横須賀の開発実験隊、当時は実用実験隊に編入され様々な試験運用に従事、1971年に除籍されます。

 1944年に大日本帝国海軍駆逐艦梨として就役し、海上自衛隊護衛艦わかば除籍は1971年、考えてみれば沈没し海中に在った期間も相当長かったわけですが1944年から1971年まで奉公した訳です、こうした意味では幸運艦だったのかもしれませんが、改修と部品待ちに補修と修理期間が長く、護衛艦はかば、と揶揄されてしまった、近代化改修の難しさを端的に示した事例といえるやもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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