◆雨天下の空中機動旅団記念行事
榛名山霞み雨に曇る群馬県榛東村、昨日、第12旅団創設記念行事へ行ってまいりました。写真整理中ですが、取り敢えずの掲載です。
第12旅団長塩崎敏譽陸将補が整列した隷下部隊を視閲。第2普通科連隊、第13普通科連隊、第30普通科連隊、第48普通科連隊、第12ヘリコプター隊、第12特科隊、第12高射特科中隊、第12偵察隊、第12施設中隊、第12通信中隊、第12後方支援隊、第12音楽隊が整列しています。
塩崎旅団長の訓示とともに大澤正明群馬県知事の祝辞も。北関東信越地区を警備管区にもつ旅団としての期待を交え挨拶、大澤知事は海上自衛隊幹部候補学校を卒業、任官はしていませんが候補生ですので元海曹長ということになります。式典は残念なことに雨天という環境にありました。当方は雨衣を着用、周りには傘が朝顔の如くという状態ですが式典参加部隊はそうはいきません。
観閲行進。第12旅団は、冷戦時代において第12師団として、新潟から北関東へソ連軍の限定侵攻に警戒する位置にあり、この地域へ着上陸を受ければ日本海沿岸地区は山間部と海岸線が隣り合う増援を受けにくい地域にあり、関越道を抜けられたならば首都東京への進入を許すという防衛上の要衝の一つでした。しかし、冷戦終結後、装備を軽量化し迅速な展開を行う空中機動重視編成に改編されました。
軽装甲機動車。なかなか第12旅団へ配備は実現しませんでしたが、ようやく少数が全ての連隊へ配備です。冷戦終結後、第12師団は、首都圏への迅速な増援を行いつつ全国への緊急展開を可能とするべく戦車大隊を廃止、多用途ヘリコプターや輸送ヘリコプターを配備するヘリコプター隊を新編し、空中機動旅団とする改編を行いました。しかし、輸送ヘリコプターは6機程度、多用途ヘリコプターも数は少なく、実質的には信越地区という山間部における機動力向上という位置づけに終わっています。
第12対戦車隊。師団直轄の対戦車部隊は、師団普通科連隊への対戦車中隊新編が一部で行われ、普通科中隊対戦車小隊の対戦車ミサイル強化により、方面隊へ転換か廃止されているのですが空中機動旅団として対戦車能力の被空輸能力の高さを考え、対戦車隊は維持されているようです。車両が73式小型トラックから新型になっていました。
第12ヘリコプター隊は8機を以て祝賀飛行を行う予定でしたが、陸上自衛隊が定めた機種ごとの運用基準以上の視界不良があり、ホバーリング展示のみでした。しかし、東千歳駐屯地第7師団創設51周年記念行事では雹が降る、より強い降雨と強風下でUH-1とOH-6が模擬戦に参加したのを思い出しました。規定があるのは致し方ないですが、明野駐屯地のように滑走路上を地上滑走して一列に並んでほしかったですね。
訓練展示模擬戦は、空中機動が行えないため中止、第12偵察隊のオートバイ機動展示と第12特科隊の音楽演奏空包射撃展示が行われたのみ。立体模擬戦は楽しみにしていた、というのが来場者のほぼ一致した思いだったでしょう。安全要員は天候回復に備え、訓練展示へ準備足していたようなのですが。
CH-47JA輸送ヘリコプター。側面は特別塗装、創設三周年頃に整備班長さんがひとつ特別塗装をやってやろう、ということで徹夜作業で仕上げたのが始まりなのだとか。第12旅団は東日本大震災では管区の第6師団を支え福島県への災害派遣を担当、新潟中越地震での派遣の経験を様々なところで活かした、とのことで、いろいろと貴重なお話を聞くことが出来、そちらが興味深い一日でした。
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