心と体のカウンセリングルーム * 春よ来い *
心と体のカウンセリングルーム * 春よ来い * は、来談者中心療法と輸気法を用いて心と体の弾力を取り戻します。心と体はひとつですから

【 パーソンセンタードアプローチ(来談者中心療法)】
パーソンセンタードアプローチ(来談者中心療法)は、カール・ロジャーズとその共同研究者たちにより提唱され、展開している心理療法の一派です。 ロジャーズによって、非指示的療法 → 来談者中心療法 → 人間中心療法す。(Person Centered Approach)へと改名されています。
『人は誰も成長し、発展し、適応へと向かう資質を持っている。』クライエント自身の体験に心を寄せて、その体験を尊重することが重要。カウンセラーの「クライエント中心」の態度によって、クライエントは本来の力を十分に発揮し、問題を解決していく、とするもの。
カウンセラーの態度条件【共感的理解=クライエントの感情に巻き込まれることなく、クライエントの私的世界を自分自身も感じること。】【無条件の肯定的配慮=クライエントを受容する。評価はしない。】 【自己一致(真実性・純粋性)=カウンセラー自身の感情と表現が一致していること。役割行動や防衛的態度を取らない。】
カウンセラーとクライエントの人間関係の「質」が重視される。カウンセラーとクライエントの関係そのものがセラピーとなる。



【 輸気法 】 左の骨盤を締めて、右の骨盤を上げれば、身体の7割が整います。
「輸気」とは、掌(てのひら)に「気」を集注(集め注ぐ)し、感応が起こることにより、体に内蔵されている本能的な自然治癒の力を呼び起こし、体の中の働きを高め、元気を呼び覚ます方法です。手当て療法とか気功のことを指すのではありません。
左の骨盤を締めて(交感神経)、右の骨盤をあげる(副交感神経)ことで自律神経(交感神経・副交感神経)のバランスが取れて、免疫力が上がります。結果として、身体(身・心)の70%が整います。体調不良の主たる原因は【身体の冷え・食べ過ぎ・ストレス・偏り疲労】です。
【河野十全の言葉】人は心を尊んで、肉体を卑(いや)しむ癖がありますがとんでもないことです。肉体こそ生命の根本です。働きをなすのは肉体です。細胞の健全ということは、細胞の収縮作用がしっかりしているということであり、これが生命の根源である。
どんな空気の悪い所でも、細胞は、よく働いてくれる。
いい空気に合えば、もちろん、はつらつとするし、しっかりとした呼吸法によって、細胞を生き生きさせることができる。いつでも肉体を新鮮に保つには、眠りと呼吸作用、そうして細胞の収縮運動のための体全体の自然運動を行うことである。食べ物などは、何でも、よく噛んで、腹八分に食べさえすれば、おそらく病気をすることなどはないはずである。
それは、細胞によってつくられるものである。人間は、気分転換するために、遊んだり食べたりして、さらに細胞を弱めてしまう。気分転換するには、体を投げ出して、生かされているという状態になって、細胞の生命力から気分の転換をする。意識的な気分転換法と、肉体生命の根本から命を変えるということは、非常な違いがある。


骨格・筋肉 ~ 人の身体の骨格と筋肉です (^^)b ご自身の身体をイメージしてみて下さい ~







我が家の風物詩になってきた〝大根干しの風景〟


papaの考案で一昨年くらいからテラスに大根を干すようになった。
大根の形状や干し方はまだ定まっていないけれど、干す時期は寒風が吹く冬から早春の〝寒干し〟だ。
で、でも今年はpapaのやる気の低下に比例して干すのが遅くって、危うくカビが生えるところだった( ̄。 ̄;)フゥ~
大根の形状や干し方はまだ定まっていないけれど、干す時期は寒風が吹く冬から早春の〝寒干し〟だ。
で、でも今年はpapaのやる気の低下に比例して干すのが遅くって、危うくカビが生えるところだった( ̄。 ̄;)フゥ~

愛しの大根チャン 遅くなってごめんね~♪


なぜかここで・・・仏、菩薩、阿羅漢、凡人の違いの話し
時々届くメルマガの記事が興味深くて面白かったので… φ(..)カキカキ
仏、菩薩、阿羅漢は、仏教の教えによく出てきますが、それぞれの違いは何?
また、われわれ凡人とどう違うの?
その違いのキーワードは「妄想、分別、執着」です。
妄想も、分別も、執着もないのは仏。いわゆる我々がもともと持っている本性です。色で表すと白色。
一念が動くと、妄想が始まり、仏から、菩薩になります。妄想を色で表すと黄色。
さらに、妄想から分別が生まれ、阿羅漢の状態になります。分別を色で表すと青色。
最後、分別から執着が起き、凡人になります。執着は紅色で表す。
つまり、日々妄想し、分別心を持ち、執着心がムッチャ強いのは、凡人です。
執着を捨てれば、阿羅漢になり、分別をなくせば、菩薩になり、妄想すらしなくなると仏の領域に入ります。
我々人間にはもともと仏性がありますが、「妄想、分別、執着」という
三色の色メガネをかけているので凡人のままなのです。
病気の原因に、内因と外因があります。
この内因のほとんどは、「妄想、分別、執着」から生まれた
喜、怒、哀、楽という情緒によるものだと東洋医学の考え方があります。
仏、菩薩、阿羅漢は、仏教の教えによく出てきますが、それぞれの違いは何?
また、われわれ凡人とどう違うの?
その違いのキーワードは「妄想、分別、執着」です。
妄想も、分別も、執着もないのは仏。いわゆる我々がもともと持っている本性です。色で表すと白色。
一念が動くと、妄想が始まり、仏から、菩薩になります。妄想を色で表すと黄色。
さらに、妄想から分別が生まれ、阿羅漢の状態になります。分別を色で表すと青色。
最後、分別から執着が起き、凡人になります。執着は紅色で表す。
つまり、日々妄想し、分別心を持ち、執着心がムッチャ強いのは、凡人です。
執着を捨てれば、阿羅漢になり、分別をなくせば、菩薩になり、妄想すらしなくなると仏の領域に入ります。
我々人間にはもともと仏性がありますが、「妄想、分別、執着」という
三色の色メガネをかけているので凡人のままなのです。
病気の原因に、内因と外因があります。
この内因のほとんどは、「妄想、分別、執着」から生まれた
喜、怒、哀、楽という情緒によるものだと東洋医学の考え方があります。
・・・と、こんなメルマガの記事だった。
妄想・・・あれこれと想像したことを事実であるかのごとくに堅く信じてしまう心的傾向。
分別・・・社会人として求められる、理性的な判断。
執着・・・その事ばかり心に思い、忘れられないこと。
分別・・・社会人として求められる、理性的な判断。
執着・・・その事ばかり心に思い、忘れられないこと。
もともとは自由な心を持っている私達なのに、「妄想、分別、執着」によって不自由な心になるんだろうな。
こうあらねばならない・・・ってね。

幸せの青い鳥は 自分のなかにいる…
こうあらねばならない・・・ってね。

幸せの青い鳥は 自分のなかにいる…

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