私の心に春よ来い「共に生き 共に生かされ 日々感謝」 心と体のカウンセリングルーム 春よ来い      

見える力と見えない力に支えられて、日々〝なんちゃって哲学〟を楽しみながら、刻々と過ぎて行く今を楽しんでいます    

我が家の風物詩になって来たな(^v^)♪

2016年03月20日 05時56分20秒 | 心と体と日々の暮らし



我が家の風物詩になってきた〝大根干しの風景〟

papaの考案で一昨年くらいからテラスに大根を干すようになった。
大根の形状や干し方はまだ定まっていないけれど、干す時期は寒風が吹く冬から早春の〝寒干し〟だ。
で、でも今年はpapaのやる気の低下に比例して干すのが遅くって、危うくカビが生えるところだった( ̄。 ̄;)フゥ~

愛しの大根チャン 遅くなってごめんね~♪




なぜかここで・・・仏、菩薩、阿羅漢、凡人の違いの話し

時々届くメルマガの記事が興味深くて面白かったので… φ(..)カキカキ

仏、菩薩、阿羅漢は、仏教の教えによく出てきますが、それぞれの違いは何?
また、われわれ凡人とどう違うの?
その違いのキーワードは「妄想、分別、執着」です。

妄想も、分別も、執着もないのは仏。いわゆる我々がもともと持っている本性です。色で表すと白色。
一念が動くと、妄想が始まり、仏から、菩薩になります。妄想を色で表すと黄色。
さらに、妄想から分別が生まれ、阿羅漢の状態になります。分別を色で表すと青色。
最後、分別から執着が起き、凡人になります。執着は紅色で表す。
つまり、日々妄想し、分別心を持ち、執着心がムッチャ強いのは、凡人です。
執着を捨てれば、阿羅漢になり、分別をなくせば、菩薩になり、妄想すらしなくなると仏の領域に入ります。
我々人間にはもともと仏性がありますが、「妄想、分別、執着」という
三色の色メガネをかけているので凡人のままなのです。

病気の原因に、内因と外因があります。
この内因のほとんどは、「妄想、分別、執着」から生まれた
喜、怒、哀、楽という情緒によるものだと東洋医学の考え方があります。

・・・と、こんなメルマガの記事だった。 

妄想・・・あれこれと想像したことを事実であるかのごとくに堅く信じてしまう心的傾向。 
分別・・・社会人として求められる、理性的な判断。
執着・・・その事ばかり心に思い、忘れられないこと。

もともとは自由な心を持っている私達なのに、「妄想、分別、執着」によって不自由な心になるんだろうな。
こうあらねばならない・・・ってね。


幸せの青い鳥は 自分のなかにいる…




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