先日昔の知り合いに会った時に
共通の知人の話題になりました。
その人は一人娘がいました。
その娘さん
実はまだ3歳位の時に
お母さんが浮気をして
その男と家を出てしまったのです。
私の知人は
いつもその娘を連れていましたので
それから何度も見かけました
3歳から小学生になり
やがて背が伸びて高学年になりました
私が最後に見たのは小学校5~6年生の頃です
お父さんとはその後も良く会いましたが
中学になればお父さんに付いて歩きませんからね
見る事は無くなったのです
で
そのお父さん50歳を過ぎてすぐにガンで亡くなりました
娘さんは高校生になったばかりの頃です
そして
その娘さんはお父さんの弟
つまりおじさんに引き取られたのですが
まぁそれから色々ありましたね
とてもここでは書けません
ですから
他人の私がでしゃばる訳にも行きませんから
何も力にはなれませんが
どうなったか気になっていました。
で
その共通の知人から
娘さんの最新情報が入ったのです
今結婚して子供が二人いると・・
まぁ他人ですが嬉しくなりましたね。
しかしこの話を聞いてとても不思議な感覚になりました
私の印象に強く残ってるのは
お母さんに捨てられてしょんぼりしてた3歳の頃ですから
その子が二人の母親になってる
頭では理解できますが
感覚では理解できません。
って感じで
私は単なる知人の娘さんですが
ずっとその人生が気になってた訳ですが
では
その娘さんは
私の事をどう思ってるでしょうか?
まぁ全く知らない人
でしょうね。
小さい頃は良く会いましたが
記憶には残ってない可能性が高いのです。
こっちはずっと気にかけてたのに
相手は全く知らない
実はこれは人間関係の本質なんですよね。
中学の同窓会で
当時好きだった女の子に
おれの事覚えてる?
なんて聞いたら
覚えてない
と言われてショックを受けた経験
たくさんの人がお持ちだと思います。
つまり
人が人を思う時には
大体はそのバランスは大きく開きがある
これが人間関係の原則です。
そして
それが苦しみの原因でもあります。
それが受け入れられずに
ストーカーになったりするのです。
もちろん男女間だけの話ではありません
私は今一番愛情を注いでるのは
二人の孫ですが
この子たちも成長しますので
もうすぐ私の事は何とも思わなくなり
そしてやがて疎ましくなるはずです。
いずれ私は
死んだおじいちゃん
として
たまに思い出してもらう
その程度の存在になるのです。
自分自身も
祖母には随分可愛がって貰いましたが
その思いに応えて来たか?
と言われると
そうではありません
小学校の高学年くらいからは
ほとんど話もしませんでした。
まぁそんな感じで
人の思いは一方通行
これはしっかり頭に入れるべきです。
つまり
どんなに相手を思っても
その思いがそのまま相手から帰ってくる事はない
それが人間関係です。
大人の関係は
お互い形式的に
お歳暮お中元のやり取りをしたりして
バランスを取るのですが
これは義理の世界ですから
愛情とは無縁の話です
人に対する愛は
一方通行
これはしっかり頭に入れて
人生を歩むべきでしょうね。
あんなに可愛がったのに
大きくなったら孫のやつ
家に寄り付きゃしない
だから
財産は残さない
って言った人がいますが
まぁ未熟ですね。
財産はともかく
子供や孫に注ぐ愛は
無償の愛であって
見返りを求める物ではありません。
本当は
愛情を注ぐ対象がいるだけで恵まれてるのです。
愛は人に与える物であって
それを求めてる間は
まだまだです。
小さい内は
親からの愛を求め
やがて成長するに従い
人に愛情を与えるようになり
還暦を過ぎれば
もうその愛情は与えるだけの一方通行
これが健全な人生
私はそう思って
毎日心穏やかに過ごしています。
一方通行でも、人を想うことが出来る環境に感謝をし、与え続けることが出来る自分であるよう励みます。
いつもありがとうございます。