気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

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道南の中世ロマンを訪ねる:その5上ノ国・花沢館跡

2016-07-31 12:06:23 | 旅行
「国指定史跡 上之国花沢館跡」の石碑は持っている資料では、上ノ国消防署と花沢温泉付近の小公園となっているのでまず国道228号線から天の川の側にある花沢温泉を目印に進んだが・・・見渡しても石碑はない。あった石碑は歌碑であった。キョロキョロしながら、見ていたら、「何か探してますか?」と声をかけられ、「このへんにある花沢館跡」を探していることを話すと、「国道の方に戻って、すぐある・・・」というので戻った。
それは、木が繁っており、見落としやすい所であった。
史跡上之国史跡のうち花沢館跡
なだらかな坂道が見えたので歩いた。しばらく歩くと高台に土塁と広場があり崖側に、説明板があった。
入り口の道(この日の道は滑りやすくトレッキングシューズであれば滑らない・・・)

高台の説明版が立っている所
説明版

『15世紀和人・渡党と称される本州系の人々が北海道南部への進出の拠点として築いた道南12館といわれている館の一つです。
 この頃の渡島半島は津軽の安東氏が「下之国」(上磯~函館市附近)、「松前」(松前町を中心とした地域)、「上之国」(上ノ国とを中心とした地域)に守護(その地域を支配するのを任された人)を置いて支配していたといわれている。
下之国守護は茂別館、松前守護は大館、上ノ国守護は花沢館にいてそれぞれの地域を治めていた。
 本道最古の記録である「新羅之記録」には長禄元年(1457)のコシャマインの戦いの際に館主蠣崎季繁(すえしげ)と客将の武田信廣がこの館を固く守ったことが書かれている。
また、別の記録によれば小山隆政の館ともいわれている。
 昭和20年ごろ、頂上部が耕作された時、約2000枚の銭、近年、館跡後方部より15世紀の珠洲(すず)焼の擂鉢が多数発見されています。
      昭和52年4月12日文部省指定
       管理団体 上ノ国町』と館の地図も書かれています。



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