汐吹の比石館跡を見学してから国道228号を上ノ国へ向かって移動すると、何もない土手の所に狭いが駐車スペースがあり、丘に看板が立っているので気になり、停まる。
小さな駐車スペースから見えた立札
雑草が伸び放題の中に説明版があり、草を分入り見るとチャシ跡であった。
雑草の中にアスファルトで固めた二メートルにも満たない細い道があり、上に出たが、狭い土地で、地形も不透明。
所々に小さな雑木が数本あるのみ。
説明版には
『ワシリチャシ』
『昭和五五年(一九八〇)国道改修に伴う北海道教育委員会の調査で発見された。
北海道開発庁は一部計画を変更し、このチャシ跡の保存に配慮した。
地理真志保によると「チャシ」とは砦、柵、柵囲い。古謡の中では英雄の常住する館をさす・・・略・・・」とされ、一般に一六世紀~一八世紀につくられたと言われている
昭和五八年(一九八三年)、北海道教育委員会の調査では善導に四八三ケ所が確認されている。
ワシリチャシ跡は面積約九〇〇〇㎡、深さ三mほどの空濠とこれを渡る土橋が作られている。
両側は急斜面をなす。
江戸時代の記録や地域の人達の間に“ワシリ”の地名が残り「アイヌの落とし穴がある」との言い伝えもあった。
上の杭町内には勝山館など和人の館が存在する。
檜山を含む道南にはチャシの発見例が少なく両者の関係が注意されるところであり、このチャシは大変貴重なものと推されている。
平成二年七月
上ノ国教育委員会』
腰まで伸び放題
上部は細長い平地にみえるが、空濠もあったというので草の下は見えない不安でこれ以上進む勇気は無かった。
下方に海が見える。絶壁になっているように思う。
松浦武四郎の蝦夷日誌に「ワシリチャシ」が記録されていないか、見たが、「白神海岸」に「赤ワシリ」、「三平ワシリ」、原口、小砂子のところで「ツバクラワシリ」、「メノコワシリ」という所が出てくるのみで、「ワシリチャシ」に関する記録は確認できなかった。
小さな駐車スペースから見えた立札
雑草が伸び放題の中に説明版があり、草を分入り見るとチャシ跡であった。
雑草の中にアスファルトで固めた二メートルにも満たない細い道があり、上に出たが、狭い土地で、地形も不透明。
所々に小さな雑木が数本あるのみ。
説明版には
『ワシリチャシ』
『昭和五五年(一九八〇)国道改修に伴う北海道教育委員会の調査で発見された。
北海道開発庁は一部計画を変更し、このチャシ跡の保存に配慮した。
地理真志保によると「チャシ」とは砦、柵、柵囲い。古謡の中では英雄の常住する館をさす・・・略・・・」とされ、一般に一六世紀~一八世紀につくられたと言われている
昭和五八年(一九八三年)、北海道教育委員会の調査では善導に四八三ケ所が確認されている。
ワシリチャシ跡は面積約九〇〇〇㎡、深さ三mほどの空濠とこれを渡る土橋が作られている。
両側は急斜面をなす。
江戸時代の記録や地域の人達の間に“ワシリ”の地名が残り「アイヌの落とし穴がある」との言い伝えもあった。
上の杭町内には勝山館など和人の館が存在する。
檜山を含む道南にはチャシの発見例が少なく両者の関係が注意されるところであり、このチャシは大変貴重なものと推されている。
平成二年七月
上ノ国教育委員会』
腰まで伸び放題
上部は細長い平地にみえるが、空濠もあったというので草の下は見えない不安でこれ以上進む勇気は無かった。
下方に海が見える。絶壁になっているように思う。
松浦武四郎の蝦夷日誌に「ワシリチャシ」が記録されていないか、見たが、「白神海岸」に「赤ワシリ」、「三平ワシリ」、原口、小砂子のところで「ツバクラワシリ」、「メノコワシリ」という所が出てくるのみで、「ワシリチャシ」に関する記録は確認できなかった。
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