気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

岩内運上屋跡や夏目漱石の本籍移籍の地

2015-07-22 13:30:37 | 旅行
岩内町は以前岩内岳登山で町内の温泉ホテルに宿泊したり、郷土資料館を見学。日本最古の現存するオルガンに触れたり館内にある「松浦武四郎の探検の様子」を描いた大きな絵画があるので、何回か訪れている町。今回は岩内運上屋跡や夏目漱石の転籍した場所を見たり、アスパラ発祥の地を目的にしていた。
岩内町は、1751年に岩内場所請負制度により近江商人が岩内・古宇場所の請負人になったことが、岩内町の開基になったというところである。
また、松浦武四郎の「西蝦夷日誌」の〔岩内領〕には『イワナイ運上や(通行や、備米蔵、板蔵十七、雇や、漁や、其外立物多し)、辨天社は後ろの沼の中に立て、蘆萩生し比は風景〇趣有。(○は私、読めない漢字だった)傍に河海庵(カカイアン)とて、請負人佐藤某の叔父幼より盲して玄雄都と云が佳しを尋ければ、・・・。別て土人等を愛燐し、孤獨長病の者の宅には自ら行、鍼し、貧者には米等興え、毎に土人の滅するを痛哭せしと。・・・扨イワナイの名義はイワヲナイに佳る故。』と記載がある。
岩内場所運上屋本陣跡
岩内郷土資料館の前にある野生ホップ発見の地
 野生ホップは1871年(明治4年)トーマス・アンチセルという人が岩内で発見したということが碑に刻まれている。
 以前にはホップのつる状に成長しているのを見たが、発見者の碑は今回初めてである。
 この碑は2014年(平成26年)7月7日岩内札幌ビール会の会長佐々木達也氏が建立と刻まれている。 
 
夏目漱石本籍を移した場所 文豪夏目漱石は小説「吾輩は猫である」とか「三四郎」「坊ちゃん」で有名であるが、明治25年から大正3年まで岩内町に本籍を置いていた。なんでも兵役を逃れるためとか・・・いろいろ説があるのであろうが、一度も岩内町には来たことがないとか・・・。
でも転籍住所跡には石碑が立てられている。


日本アスパラ発祥の地
 この碑は岩内協会病院のすぐ横にある。
 『北海道の冷害対策物として生まれ、アスパラ産業の今日の隆盛は大正十一年岩内町出身の農学博士故喜久三が心血を注いだ研究により寒冷な風土に耐え、しかも罐詰原料としての特性をそなえた新品種瑞洋種の育成に成功したことに因る。・・・我が国におけるアスパラガス産業発祥の地であることを明記し、併せて先人の功績を讃え、ここに記念碑を建立するものである』
  
北海道庁立岩内高等女学校跡地の碑
石碑には校歌が刻まれている。卒業された方にとってはいろいろな思い出の詰まった懐かしい学びやではないだろうか・・・。
宿泊のホテル「グリーンパークいわない」
露天風呂から岩内の町が見渡せるがカメラは持たなかったので部屋の窓から夜景を望む。
夕食は新鮮な海のものなど・・・


翌日、ホテルを後にしてニセコ町に寄り道、後方羊蹄山(蝦夷富士)にかさ雲がかかっていた。
この山は登山を始めた頃、喜茂別コースを登り、お鉢廻りをした想い出の山。
山名は松浦武四郎が「日本書紀」の中で阿倍比羅夫が後方羊蹄に政庁を置いたことからシリベシ山(後方羊蹄山)と名付けたという。

 
 

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