気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

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稲穂峠の松浦武四郎の歌碑再訪

2015-07-20 13:05:37 | 旅行
2015年5月末からの旅は定山渓小金湯温泉につづいて、当別・新十津川・月形・晩生内・小樽・余市・赤井川を巡って岩内に向かう途中の稲穂峠にある松浦武四郎の歌碑を再訪。その側にある島義勇の漢詩を見た。
赤井川から稲穂峠向かってドライブ。赤井川側からみると、トンネルの手前右側の広場(車数台が駐車可能の広さ)がある。
2012年に訪れた時と若干雰囲気が変わっている。広場の山手側に「説明版」の立札の外枠の丸木が倒れており、説明版は外されていた。その風景を武四郎の歌碑はじっと見ていただろう・・・ね。
今回目に入った朽ちた枠組み

前回の様子(説明版には『松浦武四郎』の功労をたたえた説明があったもの。(写真左の説明版が現在は失われている)

以前、撮った看板

『北海道の名付け親  松浦武四郎翁記念碑   仁木町 仁木町教育委員会』


松浦武四郎は稲穂峠について「西蝦夷日誌岩内領」でこの地の事を記録している。
『(余市に向かう)一同に別れ、土人一人召連れヲイチ(余市)越に到る。平野雑木立、両山愈(いよいよ)せまり、ニシケシ(坂)名義、雲端也。山の端崖有。・・・・所々に小瀧をみる。・・・エナヲ(稲穂)峠、是境目也標柱を立てる。シリベツ川(尻別川)眼下に望みヨイチ岳、ヲシヨロ岳東南眺み、この山脈北に建て古平山にいたると。・・・坂を下り笹小屋、過ぎ去てサツテクベツ(幅二三間、橋あり)、干たる川の義也。過ぎて本川(余市川)端に出る、其幅五六間、水勢吼々(こうこう)と、中々舟し難し。其新道の出来を感じて・・・』と和歌を詠んだ。

 『岩ほ切 木を伐草を苅そけて みちたひらけし 山のかけとも  松浦竹四郎弘』
歌碑台座には
『竹四郎(武四郎とも云う)は安政四年(一八五七)旧暦の五月十四日、岩内領よりこの山の上の新道稲穂峠を越え、その出来栄えを感じて和歌首に書き記した。ここに往時を回顧し、これを記念してこの碑を建立した。なお松浦竹四郎源の弘は自筆の著名である。』昭和六三年五月十四日 建立者 久保 武夫 
歌碑の横に「まつらの滝」武四郎が見た小滝の一つか・・・。
 

島義勇の漢詩(武四郎の歌碑の下方にある)

島義勇は北海道開拓の際、明治2年開拓判官に就任し、現在の札幌の都市開発に関わり、その貢献で北海道神宮境内に銅像が建立されている。
2012年に道北の松浦武四郎の足跡を辿る旅の終わりに札幌神宮で参拝
その時、島義勇の銅像を写真に収めたもの。

稲穂峠を越して、宿泊予約のある岩内町へ向かった。
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