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北海道:偕楽園(札幌)石川啄木の歌碑・清華亭を訪ねる

2015-09-05 13:27:44 | 日記
2015年8月29日、所用予定が18時からなので、札幌駅近くの「偕楽園」にある石川啄木の歌碑を訪ねた。
この歌碑のあることを小樽の啄木の歌碑などを調べている私の家族からのお奨めスポット。
JR札幌の高架下をあるき、北海道大学の南側附近に行く。
 かつて何度も歩いたことのある道であるが、啄木の歌碑はなかったが、歴史的な家屋があることは知っていたが、当時は素通りしていたのだと・・・思っている。(私が、まだ古き貴重な財産に気づいていなかった時代)
 「偕楽園緑地」は隣接する清華亭とも関係があり、明治時代、この地域は偕楽園公園に造られている。
啄木の歌碑はその偕楽園公園内にある。
偕楽園の入り口・風景

歌碑
アカシアの街樾(なみき)に ポプラに
   秋の風 吹くが かなしと 日記(にき)に 残れり  啄木

                歌集「一握の砂」より
                文字は啄木の直筆から集寺
                二〇一二年九月十五日建立
             「札幌に啄木の歌碑を建てる会 会長 太田 幸夫」

歌碑の近くにある札幌指定有形文化財の「清華亭」を見学

説明には(概要・・・)
『この地域が偕楽園という公園であり、明治13年に、貴賓の接待所として開拓使工業局の設計管理によって建てられた。庭園は和洋折衷の美しいもの。翌年14年、明治天皇行幸の際に御休憩所となった。
解ら宇延は明治4年に札幌最初の公園として解説された。
 清華亭など庭園造りをしたドイツ系アメリカ人のルイス・べーマーが園芸の指導にあたるなどして、園内には数百種類の植物が栽培され、北海道の産業振興の目的を担った農業試験場でもあった。・・・・園内一帯には清冽な湧水がほとばしり、それから水源とするシャクシコトニ川が流れていた。この川は「鮭の道」でもあり鮭、鱒のふ化場も設けられた』
 北海道大学の構内に「シャクシコトニ川」の名残の場所があるので、偕楽園は北海道大学の南側に近いので、大学構内の川の一部偕楽園につながっているのだろう・・・と私は推測しているが・・・
参考までに
北海道大学構内のシャクシコトニ川の説明版と川の様子

清華亭見学:内部の様子

洋室には立派な清華亭の額が架けられている。

明治天皇御行の石碑

清華亭の庭園に樹木が生茂り、中でも欧州クロマツの巨木が天に聳えるように庭の主のように構えている。

石川啄木が下宿していた場所も近くにある。(札幌市北7条札幌クレストビル入り口)

説明には
『函館から札幌入りしたのは、明治40年9月14日、札幌停車場に午後1時すぎい到着した啄木は詩友 向井夷希微(いきび)らに迎えられ、彼らの宿でもあった北7条西7丁目4番地の田中サト方に約2週間滞在した。』

啄木は「北門新報」に
札幌は寔(まこと)に美しき北の都なり』の印象を書いて、小樽、釧路へと放浪の旅に出た。

また、大通り公園内に滞在中に詠んだ歌が啄木の像とともに石碑に刻まれている

しんしんと 幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くる にほひよ

札幌にはその他、函館弥生小学校での同僚であった橘智恵の実家(東区:林檎園)にも歌碑がある。(未訪問)

また、岩見沢の北村牧場に嫁いだ千恵子から啄木に贈られたバターの歌碑もある。
北村を訪れた時の歌碑
石狩の空知郡の 牧場の お嫁さんより 送りし バタかなー悲しき玩具ーより

 

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