気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

新十津川:松浦武四郎の碑再訪と新十津川物語の地

2015-07-16 10:40:33 | 旅行
2015年5月26日、月形樺戸博物館を後にして、予約の取れた当別町の「ふとみ銘泉」ホテルに着いた。
ここでは浦臼町の三軒屋にある松浦武四郎のスケッチのある碑を訪ねたり、晩生内チャシや樺戸連山登山口入り口という看板を見た。「北の竜馬」のゆかりの地でもあるので、坂本家の墓地を訪ねた。

坂本家の墓の説明(概要)
『幕末の志士坂本竜馬の養嗣子坂本直(竜馬の長姉千鶴の長男高松松太郎ー海援隊士が明治32年(1899年)に浦臼のいた坂本直寛(竜馬の甥)のもとに身を寄せた・・・』ということが記載されている。
三軒屋の松浦武四郎の描いた樺戸連山のスケッチ
晩生内チャシ第1号

樺戸連山登山口

 役場の方はこの登山口からは道路の崩落で登ることはできないとのこと。

実は、浦臼にある武四郎の宿営の地「上カバト、下カバト」を探しており、以前にもたどり着けなかった。調べた情報では「国道275号線を新十津川方向に進んで於札内にかかる樺戸橋の手前で左折・・・」そのポイントに来ているはずだが・・・目的の碑は見当たらない。町に戻って、浦臼町役場により、場所を訪ねたが、見たことがない・・・と言われた木碑なので、朽ちたのか・・・と推測したが、今回は残念ながらまた見つけることが出来なかった。
因みに辿り着いた付近の風景。(畑作業をしていた若い人に碑のことを伺ったが、ここでは見たことがないと言われた。)
突き当りの景色写真(於札内川沿いだが・・・違うようだ)

鶴沼ワイナリーに寄り、ワインを購入し、新十津川に向かった。
そこで松浦武四郎の碑のある金滴酒造前に行き止宿の地を再訪。

次に2年前見学した「新十津川開拓記念館」に寄ったが休館日であった。記念館の階段の右横にある武四郎の歌碑をカメラに収め、滝川の町に寄り道し、新十津川ふるさと公園にあるホテルに向かった。
新十津川開拓記念館と松浦武四郎の歌碑
歌碑・・・武四郎は安政4年旧暦5月15日に徳富川河口に泊まったときに詠んだ歌
「日数経て 突区の里に 来てみれば ここも かわらぬ 茅葺の宿」


グリーンパーク公園は広々として緑豊かな所、園内には「新十津川物語」の主人公の少女ミネの銅像が町を見つめているように立っている。そこで「新十津川物語館」を見学。

この本は読んだことがなかったが、十津川の大洪水で北海道に新天地を求めて開拓に入ったということは知っていた。
館内には作者川村かたかしの世界コーナーや本などが展示されている。

中でも興味を魅かれたのは主人公の子供が昭和29年の台風で洞爺丸災難があり、その犠牲になられたということ。
作者に贈った司馬遼太郎の祝辞の下書きやテレビドラマの様子などが展示。
司馬遼太郎のお祝いのことばの原稿
新十津川物語の第一巻は「北へ行く旅人たち」
「明治22年山深い奈良県十津川郷は記録的な大雨に見舞われた・・・家を失った600家族、2600人の人々は復旧見込みのない村を断念し新天地を求めて遠く北海道を目指して移住する。その中に両親を失い、姉あっつのと別れてきた9歳になる津田フキがいた。石狩川に沿って南ぽ国直線道路を作る赤い服の囚人前田恭之助と出会う。
物語の第9巻は函館とも縁のあるストーリー。
「星の見える家」

終戦から5年が経ち、主人公津田蕗の孫たちもようやく落ち着きを取り戻しそれぞれの生活に戻って行った・・・昭和29年9月孫の花房あいは就職のきまった夫と共に東京に向かう。途中青函連絡船の洞爺丸事故に遭い夫の花房晴男は還らぬ人となる。
新十津川開拓記念館の隣の公園に新十津川開基の碑と忠魂碑がある。私たちは2011年6月にこの地を訪れているところでもある。
開基と忠魂碑写真
宿泊のグリーンパークしんとつかわホテル



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