気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

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2008年10月 屈斜路湖畔のオヤコツ地獄

2011-11-09 18:56:34 | 旅行
    ( ↑写真をクリックすると拡大されます。)

「自然の驚異 オヤコツ地獄」2008年10月、摩周岳登山のために川湯温泉に連泊し、登山の後、仁伏半島遊歩道を歩いたり、和琴半島一周をし、偶然にも安政の探検家松浦武四郎の名前を目にした。
オヤコツ地獄の展望台には「久摺日誌」の中の「屈斜路湖畔」の武四郎の描いた当時の様子の絵と説明文
「赤茶けた地肌を見せている湖岸には多数の硫気口があり、温泉が噴き出しています。
1858年、(安政5)年3月、この地を探検しした松浦武四郎は「火抗(ボッケイ)が黒煙を吹き出し、響きは遠くからも聞こえる。日暮れにはその火が湖面に映って昼のように明るい」と久摺日誌で驚嘆しています。
このような自然の驚異を感じる土地を国立公園に指定しようとする動きは、1870年アメリカのイエローストーンにおいて間けつ泉が発見された探検からです。
武四郎も同じような感動を覚えたことでしょう」と看板には「久摺日誌 屈斜路湖」の武四郎のスケッチと記述文が立てられてあった。
=追記=
オヤコツ地獄の噴煙の写真
後日、秋葉實氏(松浦武四郎研究会名誉会長)の解説を読み、「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」松浦武四郎著 和琴半島についての当時の様子を付け加える。 
 解説によると
「是一ツの出岬にて湖の先、最早クッチャロえ近し。其岬は湖中え一里も出たり(※和琴半島のことを説明)・・・その島の東西湖に突き出す処は赤禿崩平(くずれびら)となりて常に焼出たり。その烟吼々となりて噴出し、夜に入る哉中よりも之出候火も其辺りを照らし実に大一(一大)奇処也・・・」と今は安政時代より湯けむりは少なくなっているが・・・カヌーでなら、見に行けそうな湯けむりどころ(展望台の真下に位置する)急な崖なので陸からは降りることは難しい。


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