蒸気機関車終焉の時を間じかに控えた1974年当時 能登半島の付け根七尾機関区には 当時七尾から輪島までの貨物列車を担当する二輌のC65(124号機・159号機)が在籍していた 特にC56 124号機は旧式の形式入りの大きなプレート赤ナンバーの美しい釜だった。大阪に住んでいた当時深夜大阪発の立山3号で金沢に向かい 金沢始発の輪島行きに乗り和倉駅(現 和倉温泉駅)で先行する貨物列車(七尾~穴水間161レ 穴水~輪島間8161レ)を追い越し 和倉駅で発車シーンを写し さらに能登中島駅で停車中に追い越し 輪島までの区間でもうワンカット写し 輪島からの上り8166レを撮影 その後もう一度西岸~和倉間で同じ列車を写して その日の夜大阪に帰るスケジュールで撮影に出かけた(穴水~輪島間は列車番号は臨時列車設定の8000番台であったが毎日運転していた)。
1974年02月撮影 和倉駅 和倉駅で停車中の161レ
1974年03月撮影 和倉駅 この日は和倉までの貨物を切り離し貨物線へ
撮影後近くの丘に急行。
1974年03月撮影 和倉駅 身軽になった161レは
再び輪島を目指して出発。
1974年01月撮影 能登中島駅 停車中に161レを追い抜き(この日は形式入りの124号機が牽引)
能登鹿島~穴水間で待ちうけ
1974年01月撮影 能登鹿島~穴水
七尾湾に沿って快走する161レ。 「ここで撮影した時はこの後上り列車を撮影して帰阪。」