花々楽しい日

布合わせを楽しみながら キュートで物語のある布小物を作っています

青空から始まったのに・・・なんて日だ!

2017-02-11 | エッセイ

朝ベランダから見える富士山がとても美しかったので
電線に邪魔されない美しい富士を見に
犬の散歩をかねて、秋ヶ瀬公園まで車で行きました
私は運転がアレなもんで(笑)車は殿の運転です 

着いた時は西の空は雲に覆われていて
富士山を見ることができませんでしたが
アンディとチェリーが思いっきり走れて
みんなで青い東の空を見上げることができて
とても気持ちの良い朝でした

姫は朝から入試のため試験会場へ
午後からは若も外出 殿はスイミングへ行きました

2月10日は姫の18回目の誕生日ということ以外は
特になんということもない日だったのです

1本の電話の前までは

午後2時頃
殿の通っているスイミングクラブから
電話がかかってきました

「ご主人が倒れたので救急車を呼んでいます」

私の血が急冷しました

保険証を持ってスイミングクラブに向かいました
自転車をこぎながら
「朝は元気だったのになんで?」
「困るんだけど…困るんだけど…」と漠然とした不安が
いろんな角度から押し寄せてきました

建物の前に救急車が停まっていました
エレベーターの前にストレッチャーが置いてありました

一緒にエレベーターを待っていた親子が
「どうしたんだろうね?誰か倒れたのかな?」と話していました
「うちの旦那だよ!」とも言えず
黙って3階まで行きました

フロントに行く途中
ミイラみたいに毛布にくるまれた殿が
ブルーシートみたいなものを担架代わりにして
運ばれてきました

血の気が引きました

でも、本人が「大丈夫だから」と笑って言ったので
血の気が戻ってきました

私とスイミングクラブの支店長が救急車に同乗しました
救急隊員の方が脳外科のある病院の名前を4つあげました

私と殿的には4択でなく1択でした 

どうかそこで受け入れてもらえますようにと
2年前に亡くなった母に祈りました

救急隊員が電話で話す声が遠くで聞こえていました
隣に座っていた支店長さんが
「よかったですね」と 言ってくれたので
その病院が受け入れてくれたということがわかりました 

サイレンを鳴らしながら
救急車です!道をあけてください!とマイクで告知しながら
混んだ道路をスイスイ進み
病院へ着きました 

意識もしっかりとしていて会話もできたのですが
倒れた時は頭が割れるように痛かったそうです

きれいな待合室でした

看護師さんが着替えを取りに来られた時に
「大丈夫ですよ」とおっしゃってくれていたこともあり
(殿は水着のまま運ばれたので)
元々楽天的な私は「まぁだいじょうぶかな」と思いました

姫は受験中だったので
若にだけLINEで連絡を入れました

え?と驚いた様子
「詳しくわかったら教えて」と若は言っていましたが
「ちょっとお父さんのことを心配しなさい!」と思い
詳しい経過報告はせずに黙っていました

支店長さんには「時間がかかりそうなので
お仕事に戻ってくださっていいですよ」と言ったのですが
「大丈夫です。ここで待ちます」と隣に

初めてお会いした方だし
ここで何を話せばいいかもわからず
黙っていようかなとも思ったのですが

「泳がれるんですか?」と聞くと
「僕はサッカーをしていました」

「埼玉県ご出身ですか?」
「いえ、茨城です」

ここから
話がつーーーーーっと
糸の様につながりました

一番驚いたのが彼と彼の奥さんが
先週の「マツコの知らない世界」を
食いついて見ていたということ  

なつめさんのお家の最寄りの駅が無人駅で…
というあの下りです

彼の実家もかなり辺鄙なところらしく
たぶん、同じような地域なんだと思うのですが

テレビになつめさんの家が映った時は
どこだどこだ?食い入るように見たそうです

「この人すごいなぁって妻と見ていたんですよ!
なつめさんで検索しようかと思いました(笑)」って
そこからしばらくマツコ&なつめ話でした

サッカーの話もしました
従兄弟がサッカーで超有名な高校のキャプテンだったことを言うと
その高校の当時の監督の名前を言われたのでびっくり
僕たちにとって彼(当時の監督)はあこがれの存在でしたよって 

支店長さんは静かな人ですが無口ではなく
話すと穏やかな空気が流れる様で
検査を待つというピリピリした時間を和ませてくださいました

以前浄水器のフィルターを掃除に来てくれた30歳くらいのお兄さんに
理解できない若の行動を愚痴ったことがあります
その時はお兄さんが「僕は少し息子さんの気持ちがわかるなぁ」と
思春期の男の子の不可解ではあるのですが
女では理解できない思考を聞き
前日までの怒りが少し治まり普通に話せるようになりました

今回も支店長さんに息子のことを少し話しました
「こんな考え方でいいのだろうか?」と

でも、その時話してくれたことで
気持ちがストンと楽になりました

待合室で待っていた時間がどのくらいか
まったくわかりませんが
なんだか短編小説のようだなぁと
自分を客観的に見ている自分がいました


救急搬送された殿は、
CTで異常は見られず
低酸素状態からくる頭痛だったようで
入院することもなくそのまま帰宅することになりました

途中経過を報告しないでいたため
若が心配していたようで
あの「俺様な」若が
LINEで「晩飯なんか作るよ」言って来ました

殿は自分で車を運転して帰ることもでき
まだ痛みはあるものの普通に生活できる状態になっていたのですが

せっかく申し出てくれたので
 本当に作ってもらうことにしました

家にある具材を確認してから私のエコバッグをポケットに入れ
買い物に行き(食材費800円)
キッチンで軽快に作っていました

なかなかおいしい息子飯でした
 茹でたブロッコリーの芯を
いつも私がしているように小さく刻んで小皿に乗せ
アンディとチェリーにあげているのが笑えました

イタリアンレストランでバイトするようになってから
パスタやリゾットをよく作っています
「ちゃんと洗っといてよ!」というと
フライパンとお鍋と自分の食器だけは洗うようになりました
(他のものは放置)
フライパンを洗った後は火にかけて乾かすというご丁寧さです(笑)

 救急車に乗っている時は
どうなることかと思っていたのですが

昨夜は、殿の無事生還と

姫の誕生日

ダブルのお祝いの日となりました

 

なつめさん
ブログ村総合ランキングに1夜だけ1位になったなつめさんは
今はベスト10からいなくなってしまっています(残念)
でもナチュラルインテリア部門では2位でしたよ 

 

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となりのとなりのみほちゃん~ニコタマの夜~

2014-07-26 | エッセイ

となりのとなりに住んでいた幼馴染のみほちゃんと
30数年ぶりに会いました

ひゃぁ~変わってないね~って
抱き合いたい気持ちを抑えながら
笑顔のバルブ全開で再会を喜び合いました

この日は同級生5人でのお食事会だったのですが
私とみほちゃんは他の3人よりちょっとだけ早く

ニコタマのスタバで会うことにしました

小学校の時はいつも一緒に遊んでいたみほちゃん

あまりにも久しぶり過ぎて
会ってない間にあまりにもいろんなことがあり過ぎて
何から話したらいいかわからなかったのですが

顔を見たとたん思い出す幼い頃の思い出
あんなこともあったね こんなこともあったねって

ぽこんぽこんと思い出が
水に浸けたドライアイスの泡のように現れてはじけます


反対側のとなりのとなりに宝塚の娘役のスターさんが住んでいらして
その方にチケットを取ってもらいベルバラを観に行ったのが小学校6年生
3階席ではあったものの あの世界観に圧倒された私たち

母とみほちゃんと私の3人で夢の世界から帰って来た時
みほちゃんのお母さんが駅まで車で迎えに来てくれていました
その時のことを、みほちゃんのお母さんが
あとあとまで忘れられない思い出として話されていました

駅の歩道橋の階段をピンクのワンピースを着た私が
スカートをつまんでしずしずと下りてきた …って(笑)


中学生の時にみほちゃんが英語劇で主役のシンデレラ役になりました
ドレスを用意しなければならないのにどうしよう?と
洋裁ができないみほちゃんのお母さんが悩んでいたそうです

そうこうしているうちに、意地悪姉さん役の方たちが
母親に作ってもらったドレスができたと着始め
シンデレラは大ピンチ!

だって、姉さんたちの衣装は裏地を使っているものの
フリルが何段もつけられていて
舞踏会に行くには申し分ないくらい華やかなドレスなのですから

一方シンデレラは・・・

切羽詰まったみほちゃん母娘が私の母のところに掛け込んで来たのは
発表会の2~3日前でした

「こんなワンピースしかなくって・・・」って
コットンの白いワンピースを持って来たのですが

「これじゃ、誰がシンデレラかわからないよ」って
母がワンピースを預かりました

お人形を作っていた母は布やレースの在庫はたくさん持っていました
その中で、1番豪華に見える 白くテカテカ光った白い布に
フリルやレースをいっぱいつけて
一晩でシンデレラのドレスを作り上げました

ペチコートを履くとスカートが大きく膨らみ
それはそれはもう
ビビディバビデブー状態

一部始終を見ていた私でさえ感動する
シンデレラ物語でした


阪神ファンのみほちゃんと 巨人ファンの私は
中1のクラスの男子数人との野球話の中でいつも真ん中にいました

2人とも大相撲ファンでもあったので
それぞれがごひいきだった若三杉と魁傑の話でも
男子たちと一緒に盛り上がっていました

みほちゃんに焼き増してもらった
北の湖と貴の花(初代)と若三杉と高見山と魁傑の生写真は
たぶん、今でも持っていると思います

すごく仲が良かったのに
となりのとなりに住んでいたのに

高校になると疎遠になり
高3では同じクラスだったにもかかわらず
なんだか距離ができてしまい

おまけに私は中国へ留学したり
関西を離れて関東に引っ越してしまい
お互いの実家は売却してしまい
あの頃の家はもうどこにもありません

同窓会の連絡もこなくなり
行方不明扱いになっていた私

それが、こうやって再会できたなんて
本当に夢の様です

みほちゃんの連絡先は知らなかったけれど
毎年7月22日は
「今日はみほちゃんと原辰徳さんの誕生日だ」って
密かに祝っていたんだよって言いながら
今年はフェイスブックで「おめでと~う!」って言えて
本当にうれしかった


小学校3年生の私の誕生日パーティー@自宅の庭


数十年後(笑)


ある時期大好きで仲良しだった友達に
もう1度会いたいなぁって
漠然と思っていた人が数人いたのですが

この1~2年の間に続々と再会できていて
もう、うれしくてうれしくてたまらないです

直接会えるきっかけを作ってくれた友達(同級生)にも
感謝!感謝!

あとは・・・
斜め向かい住んでいた たみちゃん
覚えていてくれてるかな?
会ってみたいな・・・


イタリアで開催された大会まで行っちゃうくらい
趣味のスイミングに打ち込んでいるみほちゃんには
こんな革タグをプレゼントしました

イルカ大好き~!って喜んでくれました


もうひとつ、友達の娘ちゃんに・・・

こんなイメージだったので・・・

さっそくバッグに

付けてくれたそうです
ヤッタァ~!


楽しかったニコタマ(二子玉川)の夜
そして、今日はいつものサイタマ(笑)

姫がよく口にするのは「タマアリ」
それどこ?って聞いたら
埼玉スーパーアリーナだそうです

yuriyuriさん今夜は「とらたま」だそうです
どこだよそれ?ってググちゃったわ
焼き肉かな?(笑)


暑かったので・・・

コーヒーフロート
バリスタで淹れたエスプレッソに
氷と泡立てたミルクを入れて
冷凍庫にあったハーゲンダッツを乗っけました
至福 至福 ♪

 

 


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今日の鴨さんズ

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追悼*スズちゃん

2010-08-09 | エッセイ

ブログを通して知り合い 同県民として親しみを感じ
ハンドメイドとココちゃんが好きという共通点のある友達であり
来世で母娘になることを誓い合った仲であり(私が娘です!) 
そして、犬を家族に持つ者同士
このなんとも言えない「愛しい気持ち」を共有しているRikaさん
愛犬スズちゃんが8月5日に天国に召されました


私は実際にスズちゃんに会っていますし(↑ 初めてスズちゃんに会った時)


Rikaさんが我が家に遊びに来てくれた時に私がプレゼントしたものにも

スズちゃんがいました(私の記事Rikaさんの記事


何よりも、「犬を飼おう」という決断を下したいくつかのきっかけの中のひとつも
Rikaさんの言葉と経験談からです

小学校、中学校、高校と、多感な時期の子どもたちの帰りを
毎日玄関で最初に迎えるのがスズでした
学校でイヤなことがあっても
お友達とうまくいかなかった日があっても
テストの成績が振るわなくても
帰ってきてスズの頭を撫でたり、鼻先をつかんだりすると気持ちがほぐれる
と、言ったことがあります。
ココロのイライラをスズが受けとめ
特に息子の反抗期の芽を摘んでくれてたように思います

※ Rikaさんの記事の一文を引用

我が家がまさに今この時です
このスズちゃんの役割をアンディが果たしてくれています

スズちゃんは推定16歳(捨て犬だったので誕生日は不明だそうです)のシニア犬でしたし
病院にも通っていることはブログにも書かれていたので
いつかは・・・とは思っていましたが
今朝Rikaさんのブログに立ち寄り、不意打ちをくらった様に「亡くなったという事実」を知りました
この記事の最後の写真は、涙なしに見ることができません
スズちゃんは私にとっても、思い出のいっぱいある癒し犬なのです


アンディにとっては

かぶり物の先輩かな?(笑)
※ 写真はRikaさんのブログから拝借しています



この王冠は半年ほど前にRikaさんから「アンディに!」って頂いたものですが
今や、スズちゃんの形見のクラウンとなりました
このクラウンのいきさつはコチラ
今読むと涙が止まらなくなる愛犬スズちゃんの記事はコチラから


先ほどRikaさんから頂いたメールには次のように書かれていました

梅雨明け直前に思うように立てなくなり
水は飲めるものの、エサは全く口にせず
それでも3週間頑張ってくれました
最後は駅まで夫を送って行った私の帰りを待っていたかのように
亡くなりました

この記事を書いている今も涙で文字がにじんでいます


アンディは来月で2歳になります
まだまだ若いので死のことを考える必要はないのですが
以前飼っていたマルチーズ2匹との別れを経験しているので
いつかは・・・と言う気持ちが湧き起こる時もあります
アンディと暮らせる 今を!この時を!
大切にしたい と、今日改めて思いました

アンディの妹のなっちゃんのママが言っていました
「犬は先に死んじゃうから悲しいね
その点 亀はいいよ~見取ってくれるよ~」

いやぁ、亀は・・・
犬がいいです

今日は新しく作ったバッグの記事をUPしようかと思っていたのですが
(最後の写真の背景にちらっと写ってますけど)
私にとってはあまりにも衝撃的な出来事だったので
スズちゃんの追悼の意をこめて
スズちゃんのことを思いながらこの記事を書きました

スズちゃんのご冥福をお祈りいたします

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サプラ~イズなお届け物

2008-12-27 | エッセイ

サプラ~イズ(←セロ風に読んでね)

クリスマスの日に郵便小包が届きました
差出人は私の中高時代の友達
中学では同じ合唱部、高校でも同じ美術部
何度か同じクラスにもなっていたこともあり
彼女との間には楽しい思い出がいっぱいあります

もちろん年賀状のお付き合いも続いているので
お互いの子どもの成長を 年に1回(年賀状で)見るのも楽しみです

でも、私が関西(私は兵庫県民でした)を離れてしまったので
もう20年以上会っていません
私の中では20+α年前のまま 彼女の映像がフリーズしています

そんな彼女が、突然私に何を送ってくれたの?

開封してみると…

古いサザエさんの漫画本とルピシアの紅茶セットが入っていました(TOP画像)


このサザエさん・・・
私が高校生の時に貸したものだそうです
実家にあったのを見つけてびっくりして送ってくれたのだそうです
鉛筆で私の旧姓が書いてありました(小学生の時に書いたものです)

サザエさんは私のおじいちゃん(故人)が遊びに来るたびに
1冊ずつ買って 持って来てくれていたもので
たぶん20冊近くあったと思います
色々な人に貸したので とってもたくさんの人がこの漫画を読んだことになります

そんな思い出いっぱいのサザエさん
この本以外にも(20冊近くが)今でも我が家のクローゼットで眠っています
数回の引っ越しにも耐えて・・・

サザエさんは何度も繰り返し読んでいたので 覚えている話も多いです
アニメのサザエさんを見ていても
「このエピソード知ってる!」と思うことが結構多いです


お気に入りの紅茶を添えて クリスマスの日に届くように送ってくれた友達
その優しさで、心がぽかぽか 目がうるうるになりました
早速電話して・・・1時間以上おしゃべりしました
最後に電話で話したのが 若が生まれた直後なので・・・

13年ぶり?

古い友達って、なんかいいですね

おたけ!ありがとう!
※ おたけ・・・彼女の当時の愛称です

 

◆◆◆  懐かしい物  ◆◆◆

おたけのお届けものがきっかけで
ふと思い立ち、高校卒業の時に友達に書いてもらったサイン帳を出して
懐かしく見てしまいました
正確に言うと サイン帳ではなくスケッチブックを回していた厚かましい私です(笑)


これはおたけのページ

「腕白でもいい、たくましく育ってほしい」と呟きながら
親子体操をする私の未来図だったようです
残念ながら子どもは2人でしたね
もちろん、親子体操なんてしていませんし(笑)
おぶった女の子の着物に「3」という数字がいっぱい書いてあるところが
とってもおたけらしいユーモアだなぁと感心した記憶があります



これは美術部の部長だった友達(愛称:コピー)のページ
文句なしにうまい!うますぎる!
※ 確か副部長は私だったような・・

 


これも美術部の友達(愛称:ハム)
3方向から見た顔のイラストは
美術部顧問の先生(愛称:キンコ)の顔
激似!(爆)



これも美術部仲間(愛称:ナム)
左右両手使いのナム
ナムの描くイラストが大好きでした

他にも絵のうまい人、字のきれいな人、温かい言葉を綴ってくれた人・・・
色々な友達の思い出がいっぱい
大切な 大切な スケッチブックです

あぁ、みんなに会いたいなぁ
兵庫県時代が懐かしいよぉ~

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ドドドドンマイ?

2008-02-20 | エッセイ

先週アレンジしたお花達の中で
「そろそろ元気がなくなってきたな~」というものが見え始めたので
分解して いくつかの小さなアレンジにしました

 


(アレンジに使用していた)ボコボコ穴の開いた吸水スポンジを裏返し
白いカップ(コーヒー豆を買った時にオマケでもらった物)のサイズにカットして
元気なお花とグリーンを挿しました
ちょっと欲張りすぎちゃって てんこ盛り状態だけど


水が上がらずに ぐったりしていたガーベラさんも

吸水スポンジではなく ちゃんとお水に挿してあげたら
しっかり復活! ヨカッタヨカッタ

今年はなぜかまだ花粉症の症状が現れないので
(私は5歳から花粉症です)
今日は朝からいっぱい洗濯をして パンパン干してきました


「ちょっと時間があるので何か書こうかなぁ」とパソ前に座ったのですが
やっぱり あのことが書きたい

昨日 友達5人とランチした時も 大ウケしてもらったし…

殿が怒るかな?

でも、こっそり書いちゃえ!
(殿は私が「読む?」と声をかけたもの以外は
基本的には読まないようにしてくれています)


殿のお母さんは今年の1月3日に90になりました
とても可愛くて 力強いおばぁちゃんです
週2回デイサービスに行っているのですが
テーブル綱引き大会で優勝したらしく 賞状をもらっていました
すごいねぇ!と感心していると
「わたしゃ 力は強いんだよ」とおばぁちゃん
はい。わかっています→怪力伝説(?)

そのおばぁちゃんのエピソードをいくつか書きたいと思います


「私が作った・・・」

結婚が決まって 殿のお家にご挨拶に行った時のことです
数々の料理が座敷づくえの上いっぱいに並べられていました

「さぁ、何もないけど 召し上がって下さい」

上のお姉さんの掛け声でそれぞれがお箸を持ちました

上のお姉さんが下のお姉さんの作った料理を褒めながら紹介し
下のお姉さんが上のお姉さんの作った料理を褒めながら紹介します
そのたびに一つずつ取ってお皿に入れていたので
八宝菜や唐揚げが 私の取り皿の中で混ざり合っていました

私は 食いしん坊万歳の人よろしく
一生懸命 且つ さりげなく褒めていました

その時 おばぁちゃん(姑)がやや小声で言いました

「これは 私が作った青梗菜」

白味噌であえた青梗菜がのった皿を指していました
「これは 今まで以上に褒めなくては!」と思いながら

「白味噌と合っていておいしいですね!
これはお母さんが作られたのですか?」と聞くと

「はい、畑で」

調理したのはおばぁちゃんではありませんでした
おばあちゃんが家庭菜園で作った青梗菜だったのでした



危ない台所

おばぁちゃんちの台所の床には
木のまな板と包丁が置いてあります

「おばぁちゃん!こんな所において置くと危ないんじゃない?」
と言うと…

「わたしゃ こっちの方が楽でいいんだよね」と
立ったまま(立位体前屈状態?)で
お味噌汁に入れるネギを刻んでいました

おばぁちゃんは腰が曲がっているので
流し台の上にまな板を置くと切るのが大変なようです

 

年越しそばの中から…

うちの子どもたちのいとこにあたるKちゃんから聞いた話です
Kちゃんの弟Sくん(もう30歳を越えています)が子どもの時の話

大晦日におばぁちゃんが年越しそばを作ってくれました
Sくんが食べていると中から黒くて丸い物が出てきました

「ばぁちゃん!これ何?」と聞くと…

「あ!私が舐めてたのど飴だ」

┣¨┣¨┣¨┣¨ヾ(゜Д゜ )ノ┣¨┣¨┣¨┣¨ンマイ ?


 
1本10年×9本 を吹き消したところ

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おもひでアルバム (2)

2008-02-08 | エッセイ

この写真は 1965年1月1日
昭和38年生まれの私が1歳半の時のお正月に撮った物です


私が生まれたのは大阪府池田市
最寄の駅は阪急宝塚線の石橋駅だったそうです
ここに住んでいたのは3歳までなので ほとんど記憶はありません


記憶にはありませんが
東京オリンピックは この家の このテレビで見ていたことになります

小さな私が熱中して見ていた番組のひとつに

「おかあさんといっしょ」があります


これは1 0回の引越しを経た今も なお 持っている楽譜ですが
(1966年6月25日発行と書いてあります)

開くと まず1曲目が…


♪うたのえほん(右側の楽譜)
くるりん とんとん はずんで とん
かえるに かんがるー きつつき きりん
まんまる さんかく あのこに このこ
くるりん とんとん はずんで とん

作詞:サトウ・ハチロー 作曲:富田勲
単純な歌ながら 作ったのが この御二人と知ると
名曲に思えてきます

 他には…


♪とんでった ばなな
挿絵が時代を物語っています?


♪いち
いちってね つまりぼくが いちなのさ
ぼくは世界で一人きり

この曲の作詞は谷川俊太郎さんです


これは「おかあさんといっしょ」の歌の絵本だと思っていましたが
厳密に言うと『おかあさんといっしょ』は1966年3月からの放送で
その前段階(1961年4月~1966年3月)に放送されていたものは
「うたのえほん」という番組だったようです


当時の体操は 「げんきに いちに」
体操のお兄さんは佐川啓介さん
前のドラえもんの声の大山のぶ代さんのご主人です
(番組での共演が縁で結婚されたそうです)


体操中の私(2歳)


よいしょ こらしょ おすもう よいしょ
ちっちゃいけれど よこづなさんだ

ってことで 40年以上経った今も どすこい なのです

意味不明の方ごめんなさい

 

昨日の記事で「私も持っていた!」と
告白してくださった方へのサービス画像です



左がリカちゃん 右がペパーちゃん
ペパーちゃんの顔はリカちゃんよりアメリカ色が強いですね
ペパーちゃんがかぶっている帽子って、ちょっとコンパニオン風?

そうそう、ペパーちゃんは一時期レース編みのロングスカートを履かされ
予備のトイレットペーパーにスカートをかぶせるように突っ込まれ
トイレに置かれていました
トイレットペパーちゃんだったわけです(笑) 

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おもひでアルバム (1)

2008-02-07 | エッセイ

左から2番目が3歳の私です
アキラくん ヒロトくん ヒロユキくん
今では みんな いいおじさん(お父さん)になっているんだろうなぁ

 


当時 私は大阪府高槻市に住んでいました
家は狭かったのですが 庭だけは広く
砂場や鉄棒までありました(地面に置くタイプの鉄棒)

両親が廃材で作った赤い三角屋根のお家もありました
半畳にも満たない小さな家でしたが ちゃんと表札があり
そこにはマジックで私のフルネームが漢字で書かれていました
それを作った時についてしまった黄色いペンキが
その後もずっと父(おじいくん)のステテコに残っていたのを覚えています

飼っていたウサギを小屋から出すと
芝生を走り回ったり 植え込みの中にもぐったり…
裏庭には小さな丸いウンチがコロコロいっぱい落ちていました
ウサギの名前は ジュンとネネ
この名前からも時代をがわかるでしょう?(笑)

私は一人っ子でしたが
近所の子どもたちがしょっちゅう遊びに来ていたので
庭はいつもにぎやか
高槻時代は楽しいおもひでがいっぱいです


私が高槻に住んでいた昭和40年代の日本は
高度成長期の真っ只中です


玄関の前の道路(府道)を
大きなダンプカーが黒煙を吐きながら走っていました

切り崩された山は地層がむき出しになっていました
そこに見え隠れする貝殻や木の化石を
父が取りに行ったりしていました

かと言って自然が失われていたわけではありません
ウサギの餌を取りにクローバー畑へ行ったり
レンゲ畑で母と一緒に冠や首飾りを作ったりしていましたし

ちょっと歩くと 清流の川 「摂津峡」がありました
夏はそこで泳いだり 夕方から蛍を見に行ったりもしました

高槻は私の「少女時代の第1幕」です
(第2幕は小学校3~5年の時に住んでいた滋賀時代) 


幼い頃の私が大好きだった遊びの一つが
お人形さんごっこ
(↑遊んでくれているのは祖母です)
この時はまだリカちゃんを持っていなかったので
写真の人形はペパーちゃんだと思います
ペパーちゃんはタミーちゃんの妹です
祖母がペパーちゃんの着物作ってくれたり
母がペパーちゃんの洋服や傘(不二家の傘型のチョコレートの柄を使って)を作ってくれたりしました
そして 40年経った今でも
ペパーちゃんは我家の押入れで眠っています
(他にもこんなものが眠っています→お宝?


遊びつかれた私も 眠っています zzz

 

そして これは大きくなった私
 

コンパニオンをしていた頃です

 

嘘です。

4歳ですし…

 

殿と私は年が離れているので
私がコンパニオン時代はもう思春期?

私がピカピカの1年生の頃 殿はすでに…


男です

でも、私が出会ったのはこの写真の20年後くらいかな?
年月は…
人の心も身体も丸くするようです(笑)

 

若き日の殿のオマケ画像

寝ています
ハンガーと共に?(笑)

 

ちょっと懐かしい物を見つけたので
明日「おもひでアルバム」の続編をUPします

コメント (18)
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幻の名曲(?) 『仁川の雨女』初公開

2008-01-16 | エッセイ

長い前ふり(?)を読んでくれてありがとございました
(読んでない方は3日前からさかのぼって読んでくださいね)


今までの話をふまえて…

いよいよ「仁川の雨女」のWEB初公開です
(と言っても 私が歌う姿を動画でお見せするわけではありませんが…)


当時Mちゃんとカラオケへ行くと
必ずアカペラでデュエットしていました

ゼミのS教授も気に入って歌ってくださっていました
(S先生!年賀状での「ブログ見てるよ告白」ありがとうございます)

OL時代の先輩男性社員にも人気でした


今から22年前にノリで作ったあの曲が
極々内輪でヒットしたあの曲が
今 ここに甦るのです
…って大げさに言ってる自分が恥ずかしい

 

仁川の雨女

あたいは悲しい雨女
寒けりゃ雨が雪になる
印鑑なくても幸せと
強がり言ってみたけれど
カバン持つ手と 傘持つ手
どの手であんたにすがりつけばいい

入れて あんたの傘に
ごめんね あたいは 仁川の雨女
あ~あ あ~あ やっぱり悲しい


今日も行こかな ローゲンマイヤー
チーズケーキが食べたいわ
それともコープでうにくらげ
買って一杯飲もうかな
雨に降られて門戸厄神
カラオケ吟で歌うのもいいね

濡れて 女が一人
そうよ あたいは仁川の雨女
あ~あ あ~あ やっぱり悲しい


真珠もダイヤもほしいけれども
それより何より あんたがほしいの

止めて 止めて 止めて涙を止めて
さよなら あたいは 仁川を離れます
あ~あ あ~あ 今日も雨が降る

※ 楽譜はコチラ


あたい・・・当時Tちゃんがふざけて自分のことをこう言ったりしていました
ローゲンマイヤー・・・仁川駅前の喫茶店(実在。でも、今はもうないそうです

門戸厄神・・・
コチラ


『吟』はカラオケのできる居酒屋さんでした

あれから22年の月日が流れています
短命と言われた Tちゃんは元気でピンピンしていますし
後家相があると言われたMちゃんのご主人も健在です
二人とも女の子二人のお母さんとして頑張っています

そして おそらく 高級印鑑は買っていないと思います

 お願い
とても思い出深い曲なので 心無いつっこみはしないで下さいね

 

お ま け


松山城へ向かうロープーウェイでのもう1枚のショット
「久しぶりに若い女の子を見た」と感動するお兄さん(?)二人と一緒に
写真を撮ってあげました
あぁ こんなことを言ってもらえる日々もあったのね・・・
( = =) トオイメ

 

   編集後記(2月4日記)

4日間に渡って色々書いてきましたが
書くきっかけとなったのは ブログ友達のmayuさんに
背中をドドンと押されたからです(トドメはhiromiちゃんでしたが)
まさか、自分の学生時代の なんてことない普通の想い出を
ブログで公開するとは思ってもみませんでした(しかも写真付きで!)

楽譜を公開して 終了と思っていましたが
なんと mayuさんが仁川に取材に行き記事をあげてくれました!

題して「仁川の雨女の世界を探る~阪急今津線プチ探検」
是非見に行ってみて下さい!
仁川へGO!  門戸厄神へGO!

コメント (38)
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『仁川の雨女』 エピソード3

2008-01-15 | エッセイ

『仁川の雨女』のエピソードはこれで3回目です
このシリーズをまだ読んでいない方は
2日前の記事までさかのぼって読んでくださいね 

 

エピソード 3

じゃぁTちゃんから!
画数を念入りに調べたおじさんが言いました

「う~ん・・・・君は短命だね。」

いきなりそんな悲劇的な言葉が出てきて3人ともビックリ
おじさんはたたみかけるように「君は幸せにはなれないよ」とも言うのです

「でも結婚して苗字が変ったら又違ってくるやん!」と食って掛かるTちゃん
「いや結婚して 苗字が変っても 旧姓を引きずる」とおじさんも引かない

でも!

と おじさんは後ろのポスターを指差して言いました
「このような印鑑を作ると厄が払われて幸せになれます 絶対に作った方がいい」

そうなのです!
このおじさんは高級印鑑の販売が目的で
「無料で姓名判断をします」の看板を出していたのです

ムッとするTちゃんは「次は誰?Mちゃんやってもらいっ!」と
無理矢理Mちゃんをおじさんの前に押し出しました

Mちゃんは「後家相がある」と言われました

「うちのお父さんのお姉さんの一人は後家やし、もう一人は行かず後家やねん
なんかしゃれにならへんわ~私もその血が流れてんのかなぁ?」
おじさんはMちゃんにも印鑑購入を強く勧めていました

残るは私一人?
いやだなぁと思っていると 私の不幸話が聞きたい二人が
「次はkanaちゃんよ!」とおじさんの前に押し出しました

画数を調べたおじさんと私たちの間に しばらく沈黙が流れました

おじさんは「う~ん。。。」と唸った後に
静かに言いました

「あなたには実に素晴らしい老後が待っています
薔薇色の老後です」

不幸な未来を覚悟していた私は 拍子抜けしました
横では二人が文句を言ってます
「なんで私らが短命と後家やのにkanaちゃんだけ薔薇色の老後やの?」

そんなこと言われたって…

でも「老後がいい」と言われても 弱冠22歳の若い私はちょっと複雑です
「素晴らしい結婚相手と巡り合う」とか「大もうけができる」とかならまだしも
老後ですよ!

おじさんはなぜか私にだけは印鑑を勧めませんでした

その高級印鑑販売所があったスーパーを出ると
TちゃんとMちゃんは
「印鑑なんかなくたって幸せやもんね~」と言いながら
腕を組んでスキップしながら私を置いてどんどん進んでいきました
ズンタタッ ズンタタッ ズンタタッ って。。。

 

 
左からM・K・T
ロープーウェイの往復運賃と松山城天守閣の見学料合わせて550円
これは自腹です

さて、長々と書いてきたエピソードですが
この中に出てきたTちゃんに捧げた歌が
『仁川の雨女』です
道後温泉に行ったのが2月で この曲を作ったのが3月の初め頃です

Tちゃんが(卒業して)故郷へ帰る日も小雨が降っていました
Tちゃんは お金持ちのお嬢さんでなかなかの美人です
そして 社長さんのお見立て通りの清純な女の子でした

ところが なぜか ものすごく口年増で
見かけによらない発言がポンポン出てくる面白さも持っていました
そんなTちゃんのイメージソングですので
歌詞の一部にはちょっと誤解を招きそうな部分があります
悩んだ挙句 ちょっと…と思ったところは消去しました
私も軽いノリで作ったので…

 

いよいよ 明日が完結編
名曲(?)『仁川の雨女』を公開します

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『仁川の雨女』 エピソード2

2008-01-14 | エッセイ

『仁川の雨女』のエピソード編の続きです
エピソード1を読んでない方は ↓昨日の記事から先に読んでね

 

 エピソード 2

社長さんはTちゃんに向かって言いました
「あんたは清純な子やなぁ 恋人にしたらええなぁ」

Mちゃんに向かって言いました
「あんたは可愛いなぁ その幼さがええなぁ
あんたみたいな娘を持ったお父さんは 幸せやろうなぁ」

最後に私に言いました
「あんたのその笑顔がいいなぁ その笑顔でお帰りなさい!って言われたら
1日の疲れがとれるなぁ 嫁さんにしたいタイプやなぁ」
(この話を殿にしたら「笑顔でお帰りって言ってもらったことなどない」と言われました
そんなことはないのに!笑顔のはずなのに!尻尾も振ってるのに!)

そして、その社長さんは私たちの分まで全部自分の部屋に付けて下さり
私たちはさんざん飲んで歌って騒いだにもかかわらず
お金を1円も払わずにラウンジを出ることができました

よっぱらったTちゃんが
「ねぇねぇ さっきのお金は誰が払ったん?」と聞くので
「あの社長さんが払ってくれてんよ!」と言うと
 「らっきぃ~~!」とVサインをして
幼稚園児でも もう少しリズム良くするよ というようなスキップで
ズンタタッ ズンタタッ と あらぬ方向へ行ってしまいました

私とMちゃんが「そっちやないよぉ~」と追いかけてつかまえると
「ねぇねぇ さっきのお金は誰が払ったん?」
「だからぁ~」

まるで ボケ老人のようでした

翌日は松山城や坊ちゃん関係の名所を回りました


坊ちゃん列車の前で(左がK 右がT)

それでも まだ時間があったので しょぼい動物園にも行きました
それでも まだまだ時間があります
何にまで時間があるかというと もちろん「カラオケ」です
当時はカラオケボックスなどというものがなかったので
夜にならないとカラオケができるお店が開かないのです

だんだん足が疲れてきました
「どこかに座りたいね」と言いながらアーケード街を歩いていると
スーパーの入り口に立ててある「姓名判断・無料」という看板に目が留まりました

「どうせ暇やし 行ってみよう!」と3人の意見が一致しました
特に私とMちゃんにとっては
「宿泊はタダ!昨日のカラオケもタダ!」の得々旅行なので
「タダついでに 無料で人生を占ってもらおう!」という軽いノリでした

じゃぁTちゃんから!
画数を念入りに調べたおじさんが言いました

「う~ん・・・・君は短命だね。」

 

つづく

 

余 談

この頃の私は まだカラオケで「天城越え」を歌っていませんでした
古いアルバムを見ると「春なのに」を熱唱中とかって書いてあるので
演歌の道に入ったのはもう少し後の様です
私のカラオケのレパートリーを広げてくれたのはTちゃんです
この頃彼女が歌うのを聞いて覚えた歌というのがかなりあります
「酔っぱらっちゃった」「加賀の女」「カスバの女」などなど

特に「酔っぱらっちゃった」はOL時代によく歌いました
ラストの部分で…

ここまで女をだめにする 男ははたしているかしら
あなた一言言わせてよ 罪作り 罪作りぃ~♪

この「あなた一言~罪作り♪」のところを上司を指差して歌うと
かなり盛り上がったものです


バブリ~な浪花のOL時代
真ん中で茶色いポーチ(レノマの親子バッグの子の方!)を持っているのが私です
髪型はソバージュで 眉は太め
そして もちろん
       肩パットが入ってます!(ブラックな話はコチラ

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