これは悲劇です
でも、決して同情はしないで下さい
なぜなら
今はこうやって幸せに暮らしているのですから
私は19歳の冬に運転免許を取った。
あのころ、今のように「オートマチック車の免許」があったならば、私はあんな思いをしなくて済んだかもしれない。
「その若さにしては珍しい!」と言われるほど、たくさんの補講を受けた。
しかも「ハンコを押すところがなくなった」と、ピンク色の紙を継ぎ足されてしまった。
特に3段階では「方向変換」ができず何回「見極め」に落ちたか見当もつかない。
1番最初に車に乗った時は、アクセルを踏むことが恐かった。
「何してるんや!20km/hも出てへんぞ!」と怒鳴られた。
確かに、歩いている人にも抜かされそうだ。
センターラインをフラフラっと越えたかと思えば、ハンドルを戻し過ぎて左の植え込みに突っ込み低木をなぎ倒した。
左に寄りすぎてタイヤが溝にはまってしまい、教官が上げてくれるのを(車から下ろされ)立って見ていた。
とにかく、汗びっしょりの50分間だった。
「ありがとうございました」と頭を下げ、後部座席の荷物を取ろうと後ろを見て愕然とした。
紙袋がひっくり返り、中のものが全て下にぶちまけられていたのだから。
家に車がなかったから、運転感覚も車の知識も“無”に等しかった。
「クラッチを切れ!」と言われた時、「えっ?切るんですか?」と手でチョッキンの真似をして
ため息をつかれた。
カーブを曲がるとなぜか右側通行になってしまい
「おいおい!ここはアメリカちゃうぞ~」と呆れられた。
「もっと、前の方を見て!」と言われたのでその通りにしたら
「それは顎を上げてるだけや!」と笑われた。
坂道発進では何度もずり落ちた。
踏み切りの真ん中でエンストした。
縦列駐車で、囲いのポールをバタバタ倒してしまい
「はい!本日5人死亡!」と言われた。
ウィンカーを出すつもりが、手元が狂い
ワイパーを動かしてしまった。
「こんなええ天気の日にそんなもんはいらん!」言われたので余計に焦り
洗剤まで吹き付けてしまった。
道を譲ってくれたドライバーに深々と頭を下げたら
「そんなことせんでええから、早よ行け!」と怒鳴られた。
ああ、なんてかわいそうな私。
あの屈辱によく耐えられたもんだ。
自分で自分をほめてあげたい。
「いつか免許を取れる日が来る」と信じて疑わなかった「楽観さ」が
唯一の救いだったのだろう。
やや落ち込み気味の私に、送迎バスの運転手さんだけは優しかった。
「君もひどそうだけど、世の中にはもっとひどい人がおるんやで!」
「ギアチェンジの時、無理矢理ギアを入れようとしてあの太い棒を折ってしまったおばちゃんとか、
ハンドブレーキをサイドブレーキとも言うってことを知らんで、
“サイドブレーキを入れろ!”と言われた時、ギアをまたぎ越して、
となりの教官用のブレーキを踏んだネェちゃんとかな。」
「あるおじちゃんなんかなぁ、ここまでどうやって来てるんですか?って聞いたら
“あそこに置いてある軽トラで来てます!”って言うんや。
“免許はないけど戦後のどさくさにまぎれて車を運転し始めているから運転歴は長いんや”やって!
アホなこと言うやろ~」
まぁ、いろんなことがあったにせよ、『降り続く雨はない』
私にも免許証を手にする日はやって来た。
あれから長い年月が流れた。
私は今、燦然と輝く「ゴールド免許証」を持っている。
もちろん、私がペーパードライバーであるということは言うまでもない。