浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「悪貨は良貨を駆逐する」

2016-03-16 07:42:04 | 社会
 今日の『中日新聞』で、池内了氏が「悪貨は良貨を駆逐する」という表題の文を載せている。

 現代社会の「今さえ儲かればよい、後は野となれ山となれ」という風潮の蔓延に関して、「この状況は資本主義社会が末期的症状を呈していることを示している」と記す。

 資本主義社会は、当初から「今さえ・・・・」という考え方が内包された社会ではあるが、しかし1980年代からのその風潮は留まるところを知らない。正義や平等、友愛、公正、人道、平和・・・・などの積極的な価値、人間社会のなかで肯定されるべき価値観をそれこそ「駆逐」して、「今さえ」の論理がどんどん強くなる。

 その風潮こそ、新自由主義である。

 新自由主義は、資本主義社会の終わりを、おそらく示しているだろうと思う。新自由主義を学べば学ぶほど、こういう考え方は長くは続けられないと思った。というのも、この考えは、1970年代、いつも極大の利益を追求する富裕者のその利益確保がそれ以前より難しくなってきたとき、「自由」を旗印にカネ儲けの自由を主張するようになった。カネ儲けが自由にできるように規制を撤廃せよ、というのだ。そのためには、非富裕者のことなんかかまってはいられない、とにかくカネだ、カネだ・・・非富裕者の生活が困難に陥ってもそんなことは「自己責任」だ、そういう考え方が強まっていった。

 ボクはこういう風潮は長くはないと思っていた。しかし、その考え方は、非富裕者の意識の中にも入りこみ、富裕者の悪巧みをそれこそ団結して「駆逐」するという方向には向かわないで、唯々諾々と富裕者の論理に従い、またみずからのものとしていった。プロ野球の選手すら、カネがないと試合で頑張ることもできなくなっている。

 「今こそ・・・」という風潮。そういう風潮を、人々の団結した力で克服することができるだろうか。こういう風潮は、放っておいて自壊するかと問われると、それはないと、ボクは応える。放っておけばもっともっとひどくなる。たとえばシリア、人々が殺しあっているが、その殺しあいの背後でニンマリと笑みを浮かべている奴がいる。人が殺されても、子どもが瓦礫の中に埋まっても、営々と築き上げた文明が破壊されても、微笑みながらカネ儲けをしている奴がいる。

 今、日本は、シリアのように殺しあいをしてはいない。だが、日本で殺しあいが始まれば喜ぶ奴はいる。そういう奴の跳梁を許さないためには、人々が団結してこういう風潮と闘わなければならない。

 「良貨は、悪貨を駆逐」しなければならないのだ。


 
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