今日、年賀欠礼状が届いた。新潟からだ。
以前、お世話になった酒造に関わる、越後杜氏の方が、5月に亡くなられたとのことだ。
自分自身、日本酒が大好きなのだが、それに火をつけたのが、この杜氏との出会いでもあった。
学生時代に、越後杜氏の酒造唄を楽譜に起こす作業をしたことがある。
その時に、唄だけでなく、酒造についてのお話しもお聴きした。今でこそ、機械化の進んだ仕事ではあるが、科学技術と人間の経験的な「勘」とが交錯する仕事であること。
ことに、酒の味の決め手は「ベロメーター」であるとおっしゃられていたのが印象に残っている。
古き良き時代を知っておられた杜氏は、自分がお会いしたときには、すでに現役を引退されていたのだが、今では歌われなくなった酒造りの唄を残したいということを、あつく語られておられた。
越後の野積杜氏であられたが、主に出向かれていたのは、北海道の蔵元が多かったそうだ。そして、杜氏デビューは新潟の「越乃寒梅」の蔵であったという。
お話しの1つ1つが、面白く、興味深く、自分の「酒好き度」メーターを、引き上げさせてしまった。
その後、しばらくお目にかかることもなく「お別れ」となってしまった。
今更ながらご冥福をお祈りいたします。
御年99歳の大往生。 合掌
この杜氏の歌声は、このCDにも収録されている。

「越後酒造り唄の世界」 日本コロムビア COCF-15050 <1998年>
以前、お世話になった酒造に関わる、越後杜氏の方が、5月に亡くなられたとのことだ。
自分自身、日本酒が大好きなのだが、それに火をつけたのが、この杜氏との出会いでもあった。
学生時代に、越後杜氏の酒造唄を楽譜に起こす作業をしたことがある。
その時に、唄だけでなく、酒造についてのお話しもお聴きした。今でこそ、機械化の進んだ仕事ではあるが、科学技術と人間の経験的な「勘」とが交錯する仕事であること。
ことに、酒の味の決め手は「ベロメーター」であるとおっしゃられていたのが印象に残っている。
古き良き時代を知っておられた杜氏は、自分がお会いしたときには、すでに現役を引退されていたのだが、今では歌われなくなった酒造りの唄を残したいということを、あつく語られておられた。
越後の野積杜氏であられたが、主に出向かれていたのは、北海道の蔵元が多かったそうだ。そして、杜氏デビューは新潟の「越乃寒梅」の蔵であったという。
お話しの1つ1つが、面白く、興味深く、自分の「酒好き度」メーターを、引き上げさせてしまった。
その後、しばらくお目にかかることもなく「お別れ」となってしまった。
今更ながらご冥福をお祈りいたします。
御年99歳の大往生。 合掌
この杜氏の歌声は、このCDにも収録されている。

「越後酒造り唄の世界」 日本コロムビア COCF-15050 <1998年>