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線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

諏訪大社の御朱印

2012年04月15日 16時55分09秒 | 歴史
今日は諏訪方面をうろついた。当地の諏訪大社にはお参りしたいな~と、端からまわることにした。

諏訪大社といえば諏訪湖の周辺に4ヶ所の境内地をもつ神社。信濃国の一宮で、全国各地にある諏訪神社の本社である。

最近、神社や仏閣に参詣するときは「御朱印帳」を持ち歩いている。実は、諏訪大社では秋宮と本宮しか頂けていなかったので、今日ですべて集めることができた!

【諏訪大社上社編】
 ○本宮


 ○前宮


【諏訪大社下社編】
 ○春宮


 ○秋宮



これで、一応一通りだ!

しかし、諏訪という土地は面白い場所だ。諏訪信仰を中心に、人々の生活があるといってもいいという感じだ。有名な「御柱祭」だけでなく、諏訪大社関連の諸行事や神事、祭祀が、数々ある。

いつかゆっくりと、まわってみたい土地だ。


清明小学校講堂立替

2012年02月29日 21時47分50秒 | 歴史
上田市でも上田城跡公園にほど近い「清明小学校」は、当地域の中心にある小学校。創立としては53年になるのだそうだが、かつてあった上田の藩校や町学校といった歴史の古い学校を合併するなど、複雑な歴史をたどった後、新しく「清く明るい」学校として、半世紀前にできたという。その古い「講堂」が、近々建て替えになるのだそうだ。



およそ「講堂」の残されている小学校は、どれほどあるのだろうか。大体は「体育館」だと思うが、清明小学校はいまだに「講堂」だ。



実際に写真を撮りに行ってみたら、古いなかにもシャレた感じだった。



レンガ風の壁に木枠の窓。こんなシャレた外観の建築は、50年前はモダンだったのだろうな。

今使われている校舎は、耐震工事などで見た感じキレイになっていたが、古い校舎も残されていた。



しかし聞くところによると、この古い校舎も壊されるらしい。新しくなるのもいいことだが、古いのがなくなってしまうのもさみしい感じだ。


講堂の上の方を見ると、校章が掲げられていた。



50年以上も子どもたちを見守ってきた講堂の校章。何とも立派なものに感じた。これもなくなってしまうのかな?


上田城

2012年02月19日 21時19分10秒 | 歴史
何か上田城っていい!上田市民には愛着がある。たった二層の小城であるが、関ヶ原に向かう徳川秀忠軍を、真田昌幸・信繁親子が破ったことでも知られる。

現在の職場はこの上田城址公園の近くなので、毎朝上田城の下の道を通って通勤している。

この画像は昨日のもの。たまたま土曜日だったが、ちょっと用事で通りかかったときに撮ってみた。本当に小さな城だ(笑)。

しかし!このところの歴史ブーム。全国から歴女が来るのだが、昨日の上田の街中にも、それっぽい女子が歩いていた。もちろんカメラを下げて、写真撮りまくる男子もいたが…。

城そのもの、建築としての魅力は松本城とか姫路城みたいな城にはかなわないと思うが、やはり真田氏好きには上田城はいいのだろうな。

上田城址公園は桜の名所でもある。

これは4月の画像。有名なシダレザクラがきれい。

上田市民は上田城だけでなく、真田氏の家紋「六文銭」も大好き。自分もこんなのを使っている。

いかにも観光客が買いそうな六文銭グッズを、お土産屋さんで購入する上田市民である。

塩田平のため池~塩吹池

2012年02月12日 16時24分11秒 | 歴史
ウチの近所は、全国でも有数の寡雨地域。昔から灌漑用のため池が多く造られていた。
塩田平のため池は、農水省「全国ため池百選」に選定された「ため池群」なのだそうだ。

今日、買い物に行ったとき、その1つ「塩吹池」に寄ってみた。場所は上田市保野。

冬の間は、しゅんせつ作業のためだろうか、水が落とされていたので、水があまりなかった。
池の北側には水神様だろうか、石の祠があった。


近くには塩野神社があり、夏には古式をたたえた「保野祇園祭」が伝わっている。

「塩吹池」は、構築年1704年とあったので、300年ほど前にできたということだ。この池は、大規模な池のほうで、工事の費用は上田藩が出したという。そして、その人足のなかには「獅子人足」の記録が残っているという。これは、保野祇園祭で舞われる獅子のことと考えられている。

当地域の獅子は、三人立ちの風流系三頭獅子と呼ばれている。天正11年、真田昌幸による上田城築城の城固めにも、各地の獅子が舞われていることがはっきりしている。この保野の塩吹池でも、こうした獅子が地固めに舞われたのであろう。


ところで、塩吹池で写真を撮っていたら、白い鳥を発見!


これ、まさか白鳥?

(これが、自分のデジカメの限界…)。


北国街道田中宿界隈

2011年11月23日 17時12分44秒 | 歴史
今日は東御市をふらついた。

東御市を通過する北国街道では、海野宿がよく知られている。更に江戸寄り、現在のしなの鉄道田中駅前に広がる付近がかつての田中宿だ。行ってみたかったのが「石造仁王像」だ。狭い道をうろつくと、すぐ分かった。

薬師堂境内にあった。


普通、寺の前にある仁王門に木造の像が置かれることが多いと思うが、ここは石造で珍しい。しかも雨ざらし。特徴的なのは彩色が施されている点だ。


まず、こちらが「阿形」像。


そして。こちらが「吽形」像。


解説によると、江戸時代、信州生まれの力士・雷電為右衛門の母が願をかけたとうことで知られている。

地元の《田中小唄》には、
♪お相撲さんなら田中の町の 石の仁王さん抱いてみな
という歌詞がある。田中の人々には、よく知られている仁王像のようだ。

ちなみに同じ境内には、結構なケヤキがあった。

これはノーマークだったので、結構感動した!



ついで常田地区にある「剣持道祖神」だ。場所は常田公民館のすぐ近くだ。

やはり赤く塗られているのが目を引く。

ところで、何で「剣持」なのだろうか。

よく見ると、男神が手に剣を持っているのだ。これがなかなか珍しいのだ。道祖神は「子孫繁栄」の神として知られる。よく見ると男神の持つ剣が、女神の裾のヒダに向けられている。
いわゆる民間信仰における「感染呪術(かまけわざ)」を象徴的に表したものだろう。

それにしても道祖神にしては、ちょっと顔が怖いな…(笑)