馬ひでの助

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【旧東海道歩き13】追分分岐~走井一里塚

2018-11-13 22:00:00 | 東海道歩き『近江路』
2017年12月02日(土)

12時37分
街道の分岐に来ました。

合流後の大津市側から見た画像です

この道標は、

江戸時代中期のもので
「みぎハ京ミチ、ひだりハふしミミち、柳緑花紅 法名未徹」と刻まれている。

柳緑花紅?
意味を調べると
「柳は緑、花はくれないであること。柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、この世のものは種々様々に異なっており、それぞれに自然の理が備わっている、という意味。」

て、これ地名じゃない。

実はこれ、
中国宋代の政治家であり詩人の蘇東玻の詩の一節

京の都から田舎の東国へ向かう人に心構えを示すために書かれたのかな?

道標の裏を見ると、

「昭和29年3月再建」
と、書いてある。
我が輩が生れた年じゃないですか!

この道標、再建される前の
本来のものが安土城考古博物館の敷地にあります。





こちらの解説板によると、

年代は不明、
しかし、1780年刊行の都名所図会に記されてるので、江戸時代にはつくられたことがわかる。

柳緑花紅は、春の景色のよいさまを形容してる、
と書いてある。

ならば、春ごろに建てられたのかな?


ところで、

もう1つの道標は、

「蓮如上人御塚」
「是より十町」

明和三年は、1764年。
こちらも江戸時代につくられた。

蓮如上人御塚は、下に道が付いて
蓮如上人御塚道のことだと思う

蓮如上人の墓がある山科本願寺へ行く道がこの先10町ということかな?

ここは、大津市と京都市の分岐にもなってる。

府県庁所在地が隣り合う場所です


先へ急ぐ


大津百町
「髭茶屋町、
追分町」
の表示があるが、
髭茶屋町は京都市山科区です



『大津市』の標識
ここからは、文句なく滋賀県です。


下り坂になる


長松山佛立寺

12時44分
大津警察署
『藤尾交番』



現代の東海道、
国道1号線に合流しました。

右側の歩道を進む

上を走ってるのは
名神高速道路です。

高速のガード下を越えた


紅葉が綺麗。



『元一里塚町』

現在は、大谷町です。
この付近に走井一里塚があったようです

石材会社

紅葉が目の保養になります

『今一里塚町』



石垣が登場!

石垣の下に

『右一里丁
左大谷町』石碑

肝心の一里塚が残ってないので正確な場所はわからないのです



その14へ続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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