大日山には城跡が残されてる。
櫓台だったかも?
下ると
その先に大石。
再び土壇状の曲輪
約50分ほど探索しました
中腹まで住宅地となり、南郷洗堰のために土取りされたので、どこまでが城跡の遺構か判然としないが、それなりに楽しめました
甲賀郡の土豪の山岡氏は瀬田の唐橋の近くに瀬田城を築いてます。
本能寺の変の時には山岡氏が瀬田の唐橋を焼いて明智光秀の進撃を妨害したとされる。
大日山城はその南方に位置する。
こちらも山岡氏が築いたそうな。
いつも思うのですが、なんで家康は瀬田川の西北に膳所城を築いたのだろうか?
近江国府があった瀬田城付近は瀬田川が外堀の役目を果たすので、こちらのほうが防御に厚いんだけど…
それはともかく
お堂と神社のある山頂付近が主郭
お堂の背後の上段の北側に三角形土壇あり。
櫓台だったかも?
東側は一直線の土塁との間に堀底のような窪地状になっていて帯曲輪だったかも?
北側の尾根には段曲輪がありました。
下ると
その先に大石。
主郭から西へ移動する
すぐに
笹でわかりにくいが間違いなく堀切です
再び土壇状の曲輪
そして西端へ
登ると
虎口を入る
瀬田川を見下ろす位置にあり、
物見台曲輪と名づけた
虎ロープに従って下ると
井戸の上には段曲輪のような削平地がありました。
このまま下山
約50分ほど探索しました
中腹まで住宅地となり、南郷洗堰のために土取りされたので、どこまでが城跡の遺構か判然としないが、それなりに楽しめました
馬《●▲●》助ヒヒーン♪