馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名夜話22.01.05

2022-01-05 22:38:39 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介
【久喜市】埼玉県
くきし。
関東以外の者にとってあまり馴染みのない市。
埼玉県を台形に例えると、右斜めの線の上のほう。茨城県に接する。
て、これで位置関係わかるかな?
地名由来は諸説あり、
久喜は茎で、柴や薪の採取地だったという説。
これは民俗学の柳田国男氏が唱えたもので有力なのだが、最近は山、丘、自然堤防などの高い所というのが定説みたい。
でも、くき=高い所という意味がよくわからない。
で、広辞苑で調べてみた。
「岫(くき)」というのがあった。
意味は「山の洞穴があるところ。また、山の山頂」という意味。
この岫が久喜に変化したのかな?
久喜市には山と呼べるような高い山はないけど、湿地や沼地から微高地を見上げれば山に見えなくもないか?
ところで、現在は茨城県つくば市の一部になってる「茎崎町」がある。
この茎崎は合併地名で、
小茎村、高崎村、上岩崎村、下岩崎村の「茎」と「崎」を合わせて茎崎町と名付けられた。
久喜市と同じく茎崎町も低湿地の微高地、
低湿地には長い茎の葭(よし)などの水生植物が群生してるのが基本。
小茎村は、ヨシなどの茎が由来だと思われる。
となれば、久喜市のくきも茎が由来だと思えてくるのですが…。
久喜市は鉄道や道路の発達が現在の発展に繋がった。
いわゆる交通の要衝なのですが、江戸時代は五街道の一つ「日光道中」が通っていて「栗橋宿」がありました。
関東三大関所ともいうべき「栗橋関所」が設置された。
利根川の渡し場で対岸は古河市、下総から北の東北地域との境として重要視されたわけです。
日光道中の先は奥州街道ですよね。
というか、豊臣秀吉時代は関八州の徳川氏をにらむ大名とした常陸の佐竹氏がいました。
常陸は東北の入口になる。
古河市は古河公方ゆかりの歴史的な町で古河市の中田宿と栗橋宿は利根川を挟んで1つの宿場としての位置付けだったそうです。
栗橋の由来は、栗の木があったから?
もしくは、本来は茎橋で栗橋に転じたのか?
と、想像をたくましくしたが、残念ながらどちらも間違い。
丸木舟をくりぬいたくり舟の橋→くり橋→栗橋となったようです。
昔の河川には舟を並べて橋にした船橋が多かったが、こちらはくり舟を並べた橋がかけられたので、
くり舟の船橋→くり橋。
で、想像が外れてビッくり!
ところで、古河公方ゆかりとして
久喜市には2代目公方の足利政氏の隠居所「甘棠院」があり公方ゆかりの物品などが残されてます。
甘棠院、読めないですよね。
読みは「かんとういん」
甘棠は、からなし、りんごの木。
中国で善政をおこなった為政者の故事が由来となってる。
足利政氏は、古河公方として善政をしいた、というよりもどちらかというと文化面の活動のほうが充実してたようです。
ちなみに政氏の政は室町将軍足利義政の一字をもらった。
義政といえば、応仁の乱のきっかけとなった将軍で、京都の銀閣寺を建立した人です。
将来街道歩きで久喜市に来たら公方が住んだ文化の土地という久喜のクウキ(空気)を感じたいものです…
明後日に続く
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
年末年始、家出したので例年の家事が何もできなかった。
年末のお墓参りも同様でパスした。
申し訳ないので、今日は父の命日でもあり墓参りしました。
雪深く難儀したけどなんとかお参りできました。
その後、畑へ直行。
こちらも雪深くひどい状態だが、柑橘系は雪にもめげず豊作。
昨年は全く不作だっただけに今年は食べられそうです。
とりあえず、柚子を収穫。
今夜から柚子風呂三昧ですわ。
なお、イヨカン・ハッサクは春のお彼岸頃に収穫するつもりです。
いずれにせよ、この先もう豪雪が無いことを祈るばかりです。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
おさまったかに思えたコロナ、やっぱり復活してきました。
第6波発生ですね。
オミクロンは感染力強いけど重症化しない、などという軽々しい発言もあるようですが、それを信じて対策を怠るととんでもないことになる。
研究者や専門家は慎重な発言をお願いしたいものですな。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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