馬ひでの助

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京丹波町【須知城】その①

2019-07-13 07:02:51 | 丹波国の史跡
"2019年6月23日(日)
13時49分、
琴滝の左手に

『須知城』への登山口あり。
「すち」と読みたいけど、「しゅうち」と読むそうです。
本来は、「志内」、「志宇知」、「志宇智」と表記されてたので、
「しうち」と読んでたのでは?
その後、しうち→しゅうちに変化したと考えられる。
合併で須知村→須知町→丹波町、そして現在は船井郡京丹波町。

登りました。
登山道は真っ直ぐ登るのですが、

へそ曲がりな我が輩は右手へ向かった。
というか、シダのために登山道を見失ったのです。

すると、竪堀?堀切?出現!

わずか10分で早くも城跡。
大喜びで、堀切を上から見おろす。
いいですね。
石標あり。

読むと

「右 直営…、左 部分…」
と書いてある。
意味不明。

この後、尾根上を東へ向かう。

むごい状態!
琴滝の上の方に来たようです

城跡の遺構は見当たらない。
登る時に東寄りに向かったのが失敗だったようです。

なので、西へ向かった。

琴滝登山口からの分岐に来ました!

ここから城内、ホッした。
いつものことながら、導入までに時間がかかる。


いくつか曲輪を進む

7分ほど歩いたら、
一段高い盛り上がりあり!

登ると内部は、土塁に囲まれた郭。

「土塁郭」と名づけた。

次の郭は、倍ぐらいの大きさがある。


郭の中に岩、土塁があるので

「岩土塁郭」と名づけた

次の郭との間には、左へ落ち込む竪堀あり。

進むと、
右側に土塁の高まりあり。
左側は低い削平地

「右土塁郭」と名づけた。
しかし、逆方向から見ると
左土塁郭になる…
右側は、北東なので北東土塁郭と名付けるべきか?

この郭の北西に
曲線を描く堀切が現れた

「三日月堀切」と名づけた
左側は竪堀として急斜面を落ちる。
反対側から見返す↓

東曲輪群はここまで

そして、いよいよ主郭へ突入です

その②に続く~



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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