馬ひでの助

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『新発田城』その3

2016-08-25 17:23:30 | 旅行

2016年04月28日(木)、

11時48分、本丸を出ました


『土橋門』

本丸と二の丸の間、外堀と内堀の間につくられた防御のための帯曲輪がある。
その入り口に設置された薬医門。
門の分類を見分けるのは難しいが、
屋根を四つの柱で支え、前の2本が主柱なので、屋根が前寄りになる。内側の屋根は簡素。
外堀の土橋を渡った騎馬侍はここで下馬して登城した。



現在、安兵衛茶屋がある場所が細長い帯曲輪、
土塁で囲まれてたが、土橋だけは護岸のためか、
石垣があったようですね。


この道路上に土橋、→土橋門→帯曲輪(安兵衛茶屋付近)がありました。


鉄砲櫓(現在の二の丸隅櫓)が斜めになって表門の方を向いてる。

これは、土橋門を突破されて馬出状の帯曲輪に入った敵を攻撃しやすいようになってるそうな。




手前が鉄砲櫓、木の奥に御三階櫓、

天気が良くて、上等なカメラなら
もっといい画像になるんだけど…。

マンホール、

真ん中の花はアヤメ。
別名菖蒲城だったですね。
6月頃に来ると良さそうですな。

土橋から残雪残る飯豊山系を眺める。


二の丸城趾公園に入る。


「新発田城石碑」

発は昔の發です。

『御三階櫓』です。

北西の隅櫓。1668年の火災で二の丸・本丸のほとんどの建物が焼失。
当初二重櫓だったが、再建後、天守の代用として三階櫓となった。
明治維新まで現存したが、壊されて、現在の建物は2004年に復元された。


一階のなまこ壁は4重、2階と3階は1重。
このなまこ壁と一階の出窓がなければ、どこにでもある普通の隅櫓ですな。
飾り破風が何もないのも寂しい

最上階が変な形をしてる。
鯱が3つというのはここだけではないか?
牙が3本がオス、2本がメス。

画像ではわかりにくいがメス1頭にオス2頭なので
まさに三角関係ですな。

棟がT字型なので三方入母屋と呼ぶそうです。
なんで、こんな変な形にしたのかわからない。
一階の出窓と面を合わせるためなのかな?

本丸表門から望遠で見ると

自衛隊側には附櫓がある。
こちらから出入りするようですね。
出窓がないので屋根以外はシンプルです。


とりあえず、満足したので城趾公園を出ようとしたら、
背後からラッパが鳴った

お昼、12時の時報ですわ。

朝早かったし、お腹空いてきました
普通の人はお店でそれなりの食事されるのだろうけど、時間が勿体ないので、ローソン大手町店で、おにぎりを買った。

雨降ってるしどこで食べようかな、と物色してると
「大倉喜八郎」の看板、

ホテルオークの創業者ですな。
と思ったが、念のために調べたら、喜八郎は帝国ホテル、
ホテルオークラは息子の喜七郎なんですって。
ありゃま!
ちなみに札幌の大倉山ジャンプ台も喜七郎が建設した。

調べなかったら、誰かに間違い指摘されてるだろうな…。

「中央町たまり駅」

まちなかの休憩所でトイレもある。
接待用のお茶があり、地元の方が食事されてました。
ので、我が輩もここで、コンビニのおにぎり食べました。

市内には観光客のために無料のまちの駅、たまり駅などの観光休憩施設がいくつかある。

ただ、この日の観光客は我が輩だけだったかも…。





その4に続く👍



Φ(*^ひ^*)Φ
高畑容疑者、自業自得だから、芸能界追放はやむを得ないが、
お母さんが可哀想ですね。
真田丸で親子競演の予定もあったそうです。

うーん…。

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コメント
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