馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

〓おまQ〓859号武州・上州へgoその11

2015-08-06 21:52:00 | 旅行
【Q】小幡藩織田家はわずか2万石の小藩だが国主格とされた。
後の小幡藩松平家は?

イ)城主格
ロ)準城主
ハ)準国主


答えは一番下↓

≪小幡城下町へgo≫

2日目。快晴󾀀
2015年4月30日(木)

甘楽二中の突き当たりにあるのが

10時34分、
【楽山園(らくさんえん)】300円。


論語の「智者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」が名前の由来。
それなら、楽山じゃなくて水楽山園にすべきではないのか?
水が抜けてるのおかしい!

いやそれはともかく広辞苑によると、
真に物事を知ってる者は流れる川を愛す。
仁徳のある人は動かない山を愛す。
つまり、知者は物事に動じず自信をもって行動するので何も恐れることはない、という意味だそうな。

川柳が面白い!
「知者は惑わず借金を踏み倒し」

ナイス!β《#^ひ^#》でヒヒーン


小幡陣屋の藩邸、庭園がここにある。
陣屋なので天守はありません。




入場券売場、事務所付近に番所があった。





中門をくぐる。建物はすべて復元です。

低い石垣に囲まれた桝形虎口になってます。

もうこれだけでうれしいですな。

右折すると

番屋跡


雪隠跡

の向こうに

『拾九間長屋』

長さ約35.8m。足軽たちが住んだらしい。

建物の中には建物の模型や信長像などが展示されてる。




長屋の向こうに雪隠、

厠跡、

井戸(銀明水)

などがあり、この区画が外郭。

外郭と内郭を分ける土塁と空堀、
石垣の上に土塁がある。

空堀は当初、幅が約7.5m。深さ2m以上あった。
現在の堀は縮小復元。

建物も堀も復元でした……




北門跡をくぐると


『内郭』

この中に藩邸があった。

御用部屋、台所、


一番奥は藩主の居間、


何も復元されてないが、このほうが全体がわかりやすくていいかも。



続く󾮗


‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡

本日の答え、
『城主格』
小幡藩は2万石の小藩なので、陣屋があるのみ。
城を建てることはできなかった。
織田家は信長ゆかりの家なので特別に国主格となった。
いわゆる国持大名である。
徳川御三家は国持大名だが、国主とは言わない

会津・彦根井伊家は国主ではなく城主。


織田家の後に入った小幡松平家は、3代忠恵の時に城主格に格上げされた
このため小幡陣屋ではなく小幡城と呼ぶことになった。
しかし、その20年後明治維新を迎え廃藩した。

ちなみに越後の与板藩井伊家は2万石で陣屋ながらも城主格だった。



ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON


Φ(*^馬^*)φ
先日のNHK歌番組、
総合司会に井上あさひさんが登場してました。

久しぶりに元気な姿見られてよかった

あさひさんより背が低いKinKi Kids、
君らは歌だけ歌っとけ!
司会までやるからあさひさんの出番少なかったぞ!

そういえば、橋本奈穂子さん先日誕生日でした

あさひさん、奈穂子さん、生涯独身で頑張れ!

Φ(*^馬^*)Φ
広島原爆、

合掌!


馬󾆾ひでにゃん󾆸
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン
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週刊安土城107号その弐【動画】

2015-08-06 14:09:26 | 旅行



5階北側の床、
裏と表の廻縁に細かな装飾をつける

床組立がほぼ終了した時点でようやく赤塗装した

5階は床の裏側が外から見えるのでごまかしがきかない

でもなんとか細かい作業間違えずにできた



その参へ続く
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