つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

スーパーなオヤジ

2006-11-07 03:23:49 | ちょっとした出来事
以前スーパーで買い物をして、20円割引のクーポンで
恥かしい思いをしたことを書いたが、あれ以来クーポンは
無視することにした。

きのうスーパーに立ち寄ったら、あのクーポンがまた
あっちこちに置かれていたが、当然無視!
クーポン付きの品物も買ったが、クーポンは一枚も持たず
レジをそのまま抜けてきた。

今回は呼び止められることもなく、すんなりレジを
通れた。品物を袋に詰めつつふと…ほんとにふと、気に
なったのでレシートをこっそりと覗いてみたら、なななんと
あのクーポン付きの品物は皆20円引いてあるではないか。

「んだようー!だったら、この間サービスカウンターまで
連れて行かれて、たった20円のレシート打ち直しで
長い時間拘束されたのはなんだったんだ」と、つい頭の中で
グチッてしまった。

ま…いいか、と気を取り直してスーパーを出ようと
したが、「っと、娘に頼まれたものを思い出した」。
ビオフェルミンがないということだった。

そのスーパーの薬局では、以前カードを作って提示したのだが、
「バンソウコウやキンチョール」は医薬品ではないので
カード割引の対象にならないと、やんわり断られていたのだ。

以来提示するチャンスもなく「もういいや」と放っておいたのである。
しかし今回は“ビオフェルミン”である。
いつも我が一家の整腸になくてはならないものだったのだ。

私はおもむろに紫のきれいなデザインのカードを提示した。
すると、ちょっと気の毒そうな表情をしたかと思うと、
ビオフェルミンは医薬品ではないんで、カードの対象には
ならないと再びやんわり断られてしまった。

「エーッ!」薬だと、自信を持って思っていたビオフェルミンが
医薬品の対象外だということにショックを受けた。
後で確認したところ、確かに「医薬部外品」と表示してあった。

私はまたふらふらと店を出て行き、「もうカードもいらんわい!」
と心に言い放っていたのだった。
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三鬼の句

2006-11-04 08:13:06 | 俳句
水枕ガバリと寒い海がある

この句は俳人西東三鬼の代表句である。
私は以前のブログでも、自分に衝撃を与えた
俳句と俳人を紹介したが、この西東三鬼も好きな俳人の
一人である。

恐るべき君らの乳房夏来たる

なーんて分かりやすいし、男心の夏の到来を素直に
表現している。

俳句は自分の志向に合った俳人の影響を受けるし、
私淑もする。それは必ずしも一人に限らないので、私のように
何人かに及ぶ場合も少なくない。

算術の少年しのび泣けり夏

三鬼は歯科医であり、髭と帽子がトレードマークの
ダンディーな人だったという。

私は三鬼の句は尊敬するとか、私淑してその影響を
強く受けるとかというより、生理的に“好きな俳句”という
感が強い。

枯蓮のうごく時きてみなうごく
手品師の指いきいきと地下の街
微熱ありきのうの猫と沖をみる
中年や遠くみのれる夜の桃
元日を白く寒しと昼寝たり
秋の暮大魚の骨を海が引く
広島や卵食う時口ひらく
限りなく降る雪何をもたらすや

など、分かり易くて奥が深い。考えてみると
先人の俳人達は、色々な俳句の道を切り開いてくれている。
我々はその後を歩いて行くわけなのだが、それが歩きやすくもあり、また
難しくもある。しかし戦争の最中にそれこそ命を張って
切り開いたことを思えば、感謝しつつ歩かなければならないと思う。

限りなく降る雪何をもたらすや

この先人の思いは後人に何をもたらすのか。
重く受け止め、一歩一歩着実に歩いて行こうと思う。
そして

この道は行く人ぞなき秋の暮

芭蕉

このようにまだ誰も行ったことのない自分だけの道を
探し歩かなければならないと思う。
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走る人

2006-11-02 04:33:17 | ちょっとした出来事
今は車で通勤しているが、5年前まで自転車通勤だった。
自転車のいいところは、車の入れないところへ入っていける
というところである。会社まで車でほんの5~6分、
自転車でいけば15分というところである。

しかし自転車の強みを発揮して、車止めの杭の打ってある
緑地公園内を突っ切って行けるのである。
そうすると、10分で楽に行けてしまうのだ。

勤めは早番と遅番があって、早番だと午前4~5時出勤も
珍しくない。遅番だと7時半~8時となる。

そんな時間に公園内を抜けようと自転車を駆っていると、
よくジョギングしている人に会う。

そんな時間でも走っている人はいるのだ。
それもほとんど同じ時間帯に同じ人が走っている。

中年のおじさんだったり、30代とおぼしき女性の場合もある。
時間帯が遅くなるにしてがって、人数も増えてくる。

それが、雨の日も風の日もなのである。
さすがに雨の日は少なくなるが、走っている人は
走っているのだ。

毎日会うようになると挨拶を交わしたりするようになる。
かるく会釈したり、中には「おはようごだいます」と
元気な声を掛けてくる人もいる。

こういう人達に会っていつも思うのは、自分には
出来そうにないなあ、ということである。

特に、雪の降りしきる日にひた走っている人を見たときには、
違う人類ではないかとさえ思えた。
その目は一点を見据え、何かに憑かれているかのようにも
みえた。

ワタシのように部屋に引きこもってお絵かきばかりの
自堕落人間にとって、ああいう体育会系とおぼしき人の
活動能力はうらやましい限りであった。

いつも会う人が走っていないと、「あれ?どうしたのかな」と
心配になってしまう。そして姿を見たときには、「よかった元気だ」
と安心したりしたものだ。

車通勤になって、公園に入れなくなったので、走る人達に
すっかり出会えなくなってしまった。

そんな折、きのう久々に走る人に会った。
早番で会社の近くまで車で来たときだ、よほど時間帯が
会わないと、出会えないのである。40代と思える女性ランナーである。
これから緑地公園へと向かっていくのである。

この人も自転車通勤のときよく会った人で、中々のスピードで
走る人なのだ。「ああ元気だったんだ…」となんだか旧友に
会ったような気持ちで嬉しくなった。

この人とは挨拶など交わすこともなく、お互い顔は知っている
という感じなのだが、果たして私に気づいたのかよくわからなかったが、
チラ…と視線が合ったときちょっとほほえんだような気がした。

彼女はまたたく間に視界から消えてしまった。
私は又いつもの一日が始まった。

ひた走る人の背中のさみだれぬ

issei

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