若かりし頃の恋心、切なさ、ときめき、恋人同士のアイコンタクト、などを
思いださせるような内容だったのだ。
目が覚めて、ああ…あの頃のようなあんな想いをもう一度味わいたいものだなあ…と思ってしまった。
もしも今、そのような僥倖に出会ったならば、今一度あの歓びを味わえるだろうか。
その人に会えば心ざわめき、胸の奥に歓びが湧き上がり、会話を交わせば
何かを伝え合い、会えなければ切なき寂しさに包まれる。
そして、とまどい、メランコリー、幻想、などに心身がゆすぶられる“病”に
かかることができるのだろうか。
ある人が言っていた、「大人というのは実際には居なくて、子供の頃に作った
虚像にすぎない」というのである。
今、大人といわれる年齢になって、同じような年齢層の人たちを見回せば、
確かに多くの年齢は刻んでいるものの精神的に“大人”と言える人が何人
いるだろうか。
ましてや、わたしなどは…と思ってしまった。
ただ、ちょっと違うのは、今、その日、その時、を大切にし出したことである。
例えばそんな人が会社に居れば、顔を見るだけで心が弾むその時を感じ、
会話を交わせば、通い合うものに歓びを見出し、より幸せを噛みしめるに違いない。
ともすれば殺伐となりやすい、会社ライフにうるおいをもたらし、人生そのものも
潤ってくるだろう。
いやあ恋心の力というのはすごいなあと改めて思うのだった。
問題はその肝心な相手が居るかどうかということであるが、まあ…そのへんは
いいじゃないスか、居るというつもりで…。
巻き戻す うすくれないの 春の夢
issei
なーんて句もあったっけ。
うたかたのオヤジな夢でも醒めるなよ。
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