つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

寂しいような嬉しいような

2006-08-19 05:54:42 | ちょっとした出来事
毎年のことだが、夏になると身内が長崎へ一週間程帰郷する。
いつも夜行バスで、12時間かけて帰る。
本当は昨日の予定だったのだが、台風が九州を直撃したために
一日伸ばしたのである。車で送ることもあるのだが、
今回はバスと電車を繋いで駅まで行く予定だ。

バスを降りた近くに安くて美味しい店があるので、
そこで夕食をとる予定で行ってみたが、なんと改装中だった。
仕方なく、何軒か並んでいる店のうちから似たような店を選んで入った。

店内はけっこう広くお客もそこそこ入っている。
どうも我々と同じく、改装中の店からの迂回組がけっこういるようだ。
大衆割烹風のこの店は、魚料理から焼き鳥、肉料理まである。
こういう何でも屋は、広く浅くで期待できないことが多い。
案の定そこそこの味に留まっていた。肉じゃがはまあまあ、
たこブツは水っぽい、などと客というものは我々だけでなく、
皆グルメ評論家になって一つ一つ批評しているに違いない。
こりや食べ物屋も大変だ、と思ってしまった。

最後にお茶漬けを頼んで待っていたが、忘れてしまったのか
なかなか来ない、そうこうしているうちに、時間が迫ってきたので、
身内に「もう行ったほうがいいぞ」と言って、この店で見送った。

行ってしばらくしてもまだ来ない。もうキャンセルして
帰ろうと思って席を立つとやっと頼んでいた鮭茶漬けが来た。
ま…いいか、と食べていると、なんと身内がひょいと
顔を見せたではないか、戻ってきたのである。
「おい、時間大丈夫か」と聞くと、「なんとか。」
そそくさと会計を済ませ、一緒に駅へ向かった。
あんな形で行くのはイヤだったようである。

何とか間に合って、無事夜行バスを見送ることができた。
やっぱり見送るときは一抹の寂しさがこみ上げてくる。

見送った後は「これで一週間独身だあ~」などとうそぶく自由もまた感じ、
いない不自由と合わせ、寂しいような、嬉しいような、
身勝手な思いが去来するのだった。やれやれ…。

チョンガーの頃は、東京で漫画家予備軍として四畳半一間に暮らし、
知り合いの漫画家の手伝いなどしながら、食いつないでいた。
漫画家になるというのが、夢であり支えだった。しかし
段々その実現が遠くなると、夢はクモの糸のように細くなり、
とりわけ秋風は身に沁みた。だから秋は嫌いだった。

まだ残暑厳しいが、そろそろ秋風が吹いてくる。まだあの頃の
名残で秋は好きになれていない。
果たして秋を好きになれる日が来るのやら、
はや人生の黄昏口に立って、そう思ったりするのだった。







コメント
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