武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

119. タマゴテングタケは毒キノコ Amanita phalloides

2014-09-30 | 独言(ひとりごと)

タマゴテングタケは毒キノコである。

しかも猛毒御三家(タマゴテングタケ、ドクツルタケ、シロタマゴテングタケ)と呼ばれるうちでもリーダー格だそうだ。

どれほど猛毒かと言うと・・・『中毒症状は2段階に分けて起こる。まず食後24時間程度でコレラの様な激しい嘔吐・下痢・腹痛。その後、小康状態となり、回復したかに見えるが、数日後、肝臓と腎臓等内臓の細胞が破壊されて最悪の場合死に至る。古くから知られている毒キノコであるため、その毒素成分(キノコ毒)の研究も進んでおり、アマトキシン類、ファロトキシン類、ビロトキシン類などがその毒素であることが明らかにされている。これらは8つのアミノ酸が環状になった環状ペプチドであり、タマゴテングタケの毒性はこのうち主にアマトキシン (amanitatoxin) 類によると考えられている。毒性はα-amanitinw で、マウス (LD50) 0.3mg/kg。アマニチン (amanitin) は消化管からの吸収が早く、1時間程度で肝細胞に取り込まれる。アマトキシン類はこれらのキノコ毒の中では遅効性(15時間くらいから作用が現れる)であるが毒性は強く、タマゴテングタケの幼菌1つにヒトの致死量に相当するアマトキシン類が含有されている。アマトキシンはヒトの細胞においてDNAからmRNAの転写を阻害する作用を持ち、これによってタンパク質の合成を妨げ、体組織、特に肝臓や腎臓などを形成する個々の細胞そのものを死に至らしめることが、このキノコ毒の毒性につながっている。』(Wikipediaより)

日本ではめったに見られなくなっているそうだが、ここセトゥーバル近郊の森では僕はこの数年毎年確認している。その写真をブログ『ポルトガルのキノコサムネイルもくじに載せている。

数年前からスケッチ旅行の傍ら、野の花の写真を撮っては楽しんでいる。そしてそれらを同定し、ブログ『ポルトガルの野の花ブログ』として載せ始めた。

何よりも運動がてらという感覚である。ポルトガルの場合、日本とは異なり四季というより乾季と雨季という感じもあり、春は野の花も一斉に咲き揃い、見事と言う他はないが、殆ど雨の降らない夏には猛暑に焼かれて枯れ野原になってしまい、花たちも姿を消してしまう。

日本の様に夏には夏の花、秋には秋の花が咲いてくれれば、また楽しみも持てるのにと思うのだがそうはいかない。

それで思いついたのが秋、冬のキノコ観察である。春は野の花、秋にはキノコで野山を歩く楽しみができた、と思っている。早速キノコのブログも開設した訳であるが、キノコの同定の難しいこと。少しの本やネットなどで調べているが、写真だけではなかなか見分けは付かない。だれか詳しい人が教えてくれないかな~などと安易なことを思いながら、「不明菌」のままでブログに載せたりもしている。

そんなある日、OSOさんという人から書き込みが届いた。

「初めまして。OSOと申します。タマゴテングタケの写真を探していてこちらのブログに辿り着きました。当方キノコイラスト集の発行を予定しており、自身の撮影した写真で大半は揃えられたのですが、タマゴテングタケの写真だけは国内の色々な機関、個人に問い合わせても、写真をお持ちの方に出会えませんでした。日本国内での発生はほぼ幻とも言えるレベルのようです。そこで質問なのですが、貴ブログにて紹介されている写真を提供して頂く事は可能でしょうか・・・。」といった丁寧な書き込みであった。

早速、返事をして承諾に至った訳であるが、その後も、何度かメールのやりとりをしている。

そして待望の本が出来上がって、ポルトガルまでも送ってくださった。

 

OSO的 『キノコ擬人化図鑑』 著:OSO,監修:井口潔、発行:双葉社、定価:本体1,200円+税

その前にも、OSOさんのサイトを見ては楽しんでいたのだが、本を手に取ってみて、そのユニークさに改めてのめり込んでいる。先ず、それぞれのOSO的キノコ嬢が描かれている。キノコの説明。そしてキノコ嬢の作画解説。これが理にかなっていて、ユーモアたっぷりで思わず笑ってしまうし、頷いてもしまう。これはOSOさんの豊富なキノコの知識に裏付けされているから説得力もあり、擬人化とは言え、勉強にもなり興味深い、お勧めの1冊である。キノコに興味のある方は勿論、そうでない方も是非、本屋で手に取ってご覧ください。タマゴテングタケのページではMUZVITの写真も挿入されています。

OSOさんとはその前後に亘って何度かメールのやりとりに至っているが、タマゴテングタケの写真を提供したこともあり、自然タマゴテングタケに拘る話題となる。

OSOさんからのメール『タマゴテングタケは海外の小学校で給食に混入し20人以上と言うキノコ食中毒史上最多クラスの死者を出した悪魔のキノコ。総患者数100人以上、後遺症が残った方も。』・・・・『海外の、とは何処の国ですか?』と返信メールを送ったところ、すぐに『確か?ポーランドだったと思います。』という返事が来た。ポーランドと聞いて僕は鳥肌が立ち背筋が寒くなった。

そして古い話を思い出していた。それは1974年頃、僕が未だ20歳代前半の若かりし時代のはなしである。

僕と妻(MUZ)は1971年からストックホルムに暮らしていた。ストックホルム大学の夏休みなどを利用して、毎年、ヨーロッパの各地へ旅行していた。それはフォルクスワーゲンのマイクロバスを、中で寝られるように、料理も出来るように改造していて、いつでも気軽に出かけることもできたからだ。

スウェーデンの南から一晩フェリーに揺られるとポーランドに着く。僕たちにとっては2度目のポーランドであった。

ポーランドは未だ共産圏の時代で、まるで映画で見る19世紀のヨーロッパの雰囲気を漂わせていて、七面倒臭いビザさえなければもっとたびたび行きたかった国であった。

その時は、僕たち夫婦と日本人の友人、そしてその恋人のフィンランド人の女性の4人で出かけた。僕たちも20歳代前半であったが、友人の日本人男性は僕たちより更に若く、フィンランド女性は20歳そこそこか、まだ18~19歳であったかも知れない。

スウェーデンのイスタッドという港を夕方に出港して一晩フェリーに揺られると早朝にはポーランドのシチェチンという工場地帯の港に着く。確かその後、革命で有名になった『連帯』の発生の地ではなかったかなと思う。『連帯』のワレサ委員長は革命後大統領も勤めた人物だし、ノーベル平和賞も貰ったのだったと思う。

そのシチェチンから南に下るのだが、長い森が続く。その森の傍で休憩と言うことになった。ドライブインもカフェもお店の一軒もない両脇共深い森だけの道だ。僕たちはいつもスープのカンズメとか、パンなどを積んでいて、いつでもキャンピングガスでスープを温めて折りたたみの椅子とテーブルを出し、何処ででも食べることが出来るようにしていた。その時もそんな昼食を摂ったのだと思う。

僕たちは森を散策し、たくさんのキノコを採った。フィンランド人の彼女は「このキノコはフィンランドでも家族で採っていつも食べていたのと同じだから、美味しいわよ」。早速、フライパンを温めて塩コショーし、油炒めで食べることにした。怖いもの知らず、無知とは恐ろしいもので、何の疑いもなく、その時は喜んで皆で食べたものだ。勿論、僕たちは死にはしなかったし、お腹をこわすこともなかった。そのフィンランドの女性の言う様に家族で森で採取して食べていた安全なキノコに間違いはなかったのであろう。

でも今なら恐ろしくて料理は出来なかっただろうと思う。僕には今でもカヤタケとドクササコの見分けもできないし、有毒のツキヨタケとヒラタケと天然シイタケの見分けも出来ない。先日は滋賀県の『道の駅』で山採りキノコの中にツキヨタケが混入していたというニュースもあったし、奈良県では触っただけで危険とされる、カエンタケが大発生していて、注意を喚起する立て看板を設置した、などのニュースもあった。そして、毎年、キノコの中毒があとを絶たない。あの時のポーランドの森で、もし1本のタマゴテングタケが混入していたら、と考えると背筋が寒くなる。

今年もポルトガルにもキノコの季節がやってきた。昨日は森に入り、カンゾウタケを見かけたし、アンズタケらしきものもアカジコウも、そして、カラカサタケとホコリタケの幼菌も見かけたが写真に収めただけで、採ることはしなかった。ポルトガルのテレビニュースで「日本人夫婦が森のキノコを食べて七転八倒の末、狂気の死亡」などとはなりたくはない。VIT

 

 

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