まなびの途中

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学んだことを書いてまいります。

新聞社は、自らの手で、崩壊していくのだろうか?

2007年10月24日 | 本・映画
河内孝氏の「新聞社」新潮新書刊を読ませていただきました。
最近は、いくつかの本を読みながらも、書評など、できる時間もなく、
1冊の本をだらだらと読んでいるような状態でした。

この本、新聞社という「ビジネス」が、とうに破綻しかかっていることを、
長く勤め上げた毎日新聞の実態を表しながら、
真剣に、生産的に書いております。

ネットに新聞は殺されるか、という話に行きがちですが、
著者は、それでも新聞社の「役割」を信じ、
その改革も含め、問題点を指摘し、
新聞社が、結果的に、その「事業の拡大」が、大手メディアの独占を生み、
結果的に「言論」の自由さえも封じ込めることになった。
そこに焦点をあてていきます。

実は日本ほど、その「ニュース」といわれるものを中心にした、
情報産業は、異常なほどの「寡占化」そして「グループ化」が激しい。
例えば、ビジネスが成り立っているのかわかりませんが、
新聞発行数第1位、中国(人の数が違いますから)でさえ、
8865万7千部の中で、発行紙数、1035紙。
日本は第2位とはいえ、7036万4千部で、発行紙数、107紙。
アメリカは、5462万6千部で、発行紙数、1,457紙。

宅配というビジネスモデルがある以上、それ以外のスタイルが、
なかなか通用しない日本では、
産経新聞が、かなり大胆な改革をしていますが、
それでも宅配業者の「壁」やら「歴史」に逆らえず、
本紙を「駅売」することは、結果的に関東、東京でしかできませんでした。

問題になっている再販制度を含め、
実は、そのまんま「構造改革」もできず、ただひたすら「利権」ともいうべき
旧来のスタイルを維持し、
「電波」を手中に収め、広告代理店と「曖昧」な関係を保持し、
実は、言いたいことも、やりたいことも、
その「多くのしがらみ」の中で、何もできずにいるのが
日本の新聞社であるという事実。

情報の「受け取り方」は、事実さえ間違えなければ、
それこそ非常に多様であるはずで、
その多様性を「皮膚感覚」であれ「実感」としてであれ、
理解し始めた人間が、特に、ネットを中心にシフトしていった事実。

「速報性」といった、その昔、新聞が得意にしていた分野も、
そんなもん「共同通信社」とか、せっかくそのタメに作った会社があるんだから
問題を深く掘り下げた、これこそジャーナリズムという紙面を
作ればいいのに、呪縛から解けずにいる。

また問題は、テレビを始めとし、あらゆるメディアの統合を、
結果的に推し進めてしまったのも、ある意味、この国にとっては、
不幸な事態だと思われます。
NHKが、政治の圧力を受けやすいという話も聞きますが、
どのテレビも、結果的に、親会社?の新聞社の「意向」と、
それに絡むスポンサーの意向から、完全にフリーになることはできません。

それは、多極化チャンネルなど、本来であるなら、
ラジオもFMも、テレビも、これだけのインフラが整備されながら、
ちっとも情報の多様化が進んでおりません。
何が、これを「阻害」しているのでしょうか?

もちろん、多様化とはいえ、「好きなもの」しか聞かない、見ない。
極端に言えば、そういう「層」が多くなってきて、
一方で、短絡的な、偏狭な意見をぶちあげる人間がいるのも事実です。
そういう意味でも、「総合紙」というのは、必要なのかもしれません。

ええ、実は、ネットが新聞を殺すかというのは、命題が誤りで、
新聞が新聞を自らの手で殺しているのか?
というのが、本当は正しそうな感じが致します。
色々な見地から、ちょっと多くの考えをいただけた本です。
実は、面白かったです。



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