緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

お金の使い方 その2

2024-06-03 18:12:19 | 家を建て替える

 私は個人的には、趣味や習い事にはあまりお金がかからないようにやっていこうとしている方だと思っている。他人はどうみるかは分からないが。どんな趣味や習い事もそのための服装や道具などお金を掛けようと思えばいくらでもお金をかけることはできる。

 ただし、こんなことにお金を掛けなきゃ良かったって後悔しているお金の無駄遣いもあったと反省している。それは安心や望む未来が欲しいからっていうことで、新興宗教とか怪しげなスピリチャル系の物品に手を出すことだ。真如苑みたいに正当な霊能力を引き継ぐ霊能者がいるとかいっても、当たって役に立つ場合とそうでない場合もある。役にたった場合はその宗教のお陰でなく、自分自身のご先祖さまとか自分に関わる背後の方々のお陰、何よりその判断を下した自分のお陰と思っているくらいでちょうどいいと思う。お釈迦様も自灯明、法灯明というように、自分自身を信じることが多分最も信心深いことなのだろうと今は思える。そして、何より自分以外の他のものに依存するっていうことが最も危険だ。今回依存させられそうになったことも、まずかったのかもしれない。やはり,大変なときはどうしても、頼れそうな人を頼るようになってしまう。

 自己肯定感を上げていくことそれは人にとって生涯の課題だろう。勿論振り返って自分の失敗の原因を考えてみることは、失敗を今後に生かすためにも大切だ。

 意外と自己肯定感を上げていくのに手近なことは、筋トレだと思う。そして、筋肉を付けていくのにヨガは非常に役にたつ。そして、ヨガが出来るスペースが確保出来たことは、親身になって私の事を考えてくれたのだなとS氏に感謝している。

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お金の使い方 その1

2024-06-03 16:28:10 | 家を建て替える

 私は今これまでの自分の人生でないほどの大金を一気に消費しようとしている。いや、その大金の全額の2/3をもう既に消費した。何か本当に考えられないことだ。

 昨年、長男への生活への支援が必要になったが、コロナ終束と共に本業が出来るようになり、2ヶ月の支援ですんだ。だが、しかしそれをきっかけに私は「こんな風にお金がなくなっていくのなら、もっと自分のためにもお金を使おう。」と思うようになり、今まで行ってみたことがなくて行きたかった土地への旅行をしていこうと思った。

 手始めの京都は既に何度か勿論行っているので、自分が訪れたことのない京都に行こうと思い、そういう場所の観光をメインに日程に組んだ。京都旅行の後、1ヶ月くらいしたら、そういえば沖縄って行ったことがなかったなと思い沖縄に行くことにした。沖縄は5月末でも夏の服装でよくて暖かくてよかった。その後梅雨の真っ盛りに、ポンタカードの無料バス旅行で山梨県へ行って、Mさんに声をかけられた。そして、夏も過ぎようとした頃に、そういえば昔職場でタイ旅行のチャンスがあったけれど行かなかったなと思い、タイに行くことにした。外国なのでさすがに準備が大変だったし、何よりバウチャーなんかは紙媒体も用意しておかなければと思ったのに、印刷機が不調で、夫の印刷機も借りたけど、年賀状くらいしか印刷しないせいかやはりこれもちゃんと印刷出来る状態にするのに苦労をした。

 アユタヤ観光をどうしようかとか、チャオプラヤー川クルーズはどれを選べばいいかとか、お土産の調達はどうしたらいいか、行きたいところへ行く公共交通機関の使い方とか、下調べをしておくことは山ほどあったが、準備をほぼ怠りなく行ったので、特にトラブルに遭うこともなく無事行って来ることができた。ただ、レンタルスーツケースを借りとけばよかった。ということと、帰る日の午後あまりにも長く空港にだけ居たので、その日もどこか観光を組み入れておけば良かったかな?とは思った。

 そして,昨年最後の旅行となったのは、黒部渓谷トロッコ列車に乗りに行く旅だった。このときは往路復路にそれぞれ1日間かけ大糸線を使った。新幹線を利用するより旅費も浮くし、何より大糸線に乗っていること自体が観光となった。大糸線から見る南アルプスは雄大で、「日本列島には背骨があったのか・・・。」と感動させられた。黒部渓谷に行く頃にはすでに、家を新築する流れができはじめていたので、黒部渓谷への旅が今の所私の最後の旅となっている。もし、家を建てる流れがなかったら、大阪や安芸の宮島に行っていたかもしれない。

 4回の旅行で多分40万はかかっていないと思う。楽天トラベルを利用したりしていたから、ちょっとした住宅設備の設置より安いといえると思う。

 しかし、あちこち次の旅行先を探して旅することより、終の住処となるだろう家の建築に精根と人生で今まで費やしたことのないような大金を掛けようとしている。なので、建て替えが色々な意味で成功裏に終わるように祈っている。

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今日も送迎して貰ってよかった

2024-06-03 12:59:50 | ヘミシンク

 今日は天気予報は良かったので、自分で建築現場を見にいくつもりだったけど、S氏が良かったら・・・って送迎を申し出てくれたので、送迎して貰った。迎えに来て貰う頃になると雲行きが怪しくなってきたので、洗濯物も半分くらい家の中に入れておいた。昨日も午後から大雨になってしまったし、梅雨入り前のこの時期は天気が変わりやすい。

車を先に降りて、家に向かってたら上の方から挨拶の声を掛けられたので、見上げたら屋根の工事をしている方だった。

 

緑の瓦屋根だけど、本当はもう一種類の曲面の瓦で光沢がある方がよかったのだが、ちょうど私が使いたいタイミングで生産停止になってしまっていた。

家の中の仕事をしている大工さん達は居なかったので、鍵がかかって入れない状態だったから、送迎して貰って本当に良かったと思った。また、建築に使う部品のような物を届けに来ているトラックドライバーの方も居て、その方の対応もS氏がしてくれていたので来てもらって良かったと思った。

 悩んでいるパントリーの棚の前の仕切りはどうするかを、S氏が実際の行動で、こうやって物が落ちてしまえば戸の隙間からとるのは中々難しいと思うなどと実演してもらえた。やはり何か、これはどうして?とかどうしたら?っていうときに相談にのって貰える人と一緒に家を見た方が安心できる。台所の収納もたっぷりあるので、パントリーは言葉通りのパントリーではなくただの収納として使ってしまいそうな可能性もある。そもそも、一人の食事に使う食器なんかは二三種類で済んでしまっている。庭に置いてある普段使わない大きなお皿とか、引き出物で貰っただけの食器とか、処分してしまった方がいいのかも?とも思う。

 そもそも昔の日本人は箱膳なんかでミニマルに暮らしていたのだ。母親も子どもの頃自分用の箱膳があったと言っていた。つまり,昭和一桁代の人達はまだ箱膳で食事していたわけだ。

 外に出て外観を眺めながらS氏が

「2階を東側にしたから、屋根が眺められていいなと思う。」と言った。確かに西日の事だけでなく、2階を東側にしたので、家の敷地への出入り口からすぐに緑色の屋根が眺められていいなと私も思った。お隣のように総二階であれば、自分の家の敷地からでは屋根が眺めにくくなってしまう。『緑の切妻屋根』というところは私の子どもの頃からの愛読書にまつわるこだわりの部分でもあったので、それがすぐに目に入るところも良かったと思う。

お隣の方は三匹の子豚のレンガの家がこだわりの部分だったので、一階外壁をレンガにできたので、別に屋根が見えなくても、外壁を見る度に満足できているのだろう。そのレンガはちょうどお隣の家の使用が最後の時期と重なり、使用に間に合ったと言うことだった。

あと、玄関ホールも本当に人が通るのに必要な戸の幅の広さに縮小してもらい、父母の建てた家の玄関前のもったいないスペースのリベンジができているのもよかった。

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久しぶりに長男と話した

2024-06-03 12:19:07 | 家を建て替える

 板橋区の近くの蕨市に住む長男に、長女の様子を見に行ってもらうのはどうだろうか?と思い、電話を掛けてみた。やはり「そっとしておいてほしい。」との長女の言葉通りにした方がいいのではということで、結局は長男も見に行かないことになった。長男が大学生の頃逆のことはあったが、鬱だっていう長男の様子を旅費、宿泊費を出して長女に京都まで見にいってもらったことがあり、私も安心したことがある。

 ついでにどうして家を建て替えるかの理由に、古い祖父母の家を残されても、貴方たちが困るだろうからっていうのが大きいという話をしたら、その辺は助かるというようなことを言っていた。後、あまり「機能不全家庭だったから。」とか言っても言われた方がなんて反応したらいいか分からないからあんまり言わない方がいいとも言われた。

 それが子どもの立場の人が言ったとしたら「それは大変だったんですね。」って答えれば済むけど、子どもにそういった環境しか与えられなかった親の立場の発言だと、どう答えたらいいか難しいと思われても仕方がないと思う。実際、親の方だって望んでそうしているわけではないのだが、親自身が子どもに居ない親の分まで頑張って不安な思いはさせないようにしようより、この先どうなってしまうんだろう?ってそちらのことにばかり私の場合は気持ちが向いてしまっていたと、済んでしまった後になればそれを反省できるが、あの頃はそれで精一杯だった。私が父親がいつ戻れるか分からない状況でも、平気そうにしていれば、子ども達にも迷惑が掛からなかったのだと思う。

 片付けの大変さを理解して貰えなくて腹立った話したら、20代なんてまだまだ子どもなんだからしょうがないよ。そんな自分の子どもより若い人に腹立ててどうするの?等とも言われてしまったが、まあ自分が体験してないからこそ言える言葉だと思う。私にとっては頼りにしていた人でもあり、切実な問題だった。

 また、HM関係者にメルカリに出品する品のモデルになって欲しい等と言うことを頼んで、娘にたしなめられたり、それは言われた方が反応に困るよみたいなことを言ってしまったり、あまり良く考慮しないまま片付けのように物事に手を付け始めてしまったりする私自身の軽率な所が人から軽んじられてみられるような一因になってしまっているのかもしれないとも思う。

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