板橋区の近くの蕨市に住む長男に、長女の様子を見に行ってもらうのはどうだろうか?と思い、電話を掛けてみた。やはり「そっとしておいてほしい。」との長女の言葉通りにした方がいいのではということで、結局は長男も見に行かないことになった。長男が大学生の頃逆のことはあったが、鬱だっていう長男の様子を旅費、宿泊費を出して長女に京都まで見にいってもらったことがあり、私も安心したことがある。
ついでにどうして家を建て替えるかの理由に、古い祖父母の家を残されても、貴方たちが困るだろうからっていうのが大きいという話をしたら、その辺は助かるというようなことを言っていた。後、あまり「機能不全家庭だったから。」とか言っても言われた方がなんて反応したらいいか分からないからあんまり言わない方がいいとも言われた。
それが子どもの立場の人が言ったとしたら「それは大変だったんですね。」って答えれば済むけど、子どもにそういった環境しか与えられなかった親の立場の発言だと、どう答えたらいいか難しいと思われても仕方がないと思う。実際、親の方だって望んでそうしているわけではないのだが、親自身が子どもに居ない親の分まで頑張って不安な思いはさせないようにしようより、この先どうなってしまうんだろう?ってそちらのことにばかり私の場合は気持ちが向いてしまっていたと、済んでしまった後になればそれを反省できるが、あの頃はそれで精一杯だった。私が父親がいつ戻れるか分からない状況でも、平気そうにしていれば、子ども達にも迷惑が掛からなかったのだと思う。
片付けの大変さを理解して貰えなくて腹立った話したら、20代なんてまだまだ子どもなんだからしょうがないよ。そんな自分の子どもより若い人に腹立ててどうするの?等とも言われてしまったが、まあ自分が体験してないからこそ言える言葉だと思う。私にとっては頼りにしていた人でもあり、切実な問題だった。
また、HM関係者にメルカリに出品する品のモデルになって欲しい等と言うことを頼んで、娘にたしなめられたり、それは言われた方が反応に困るよみたいなことを言ってしまったり、あまり良く考慮しないまま片付けのように物事に手を付け始めてしまったりする私自身の軽率な所が人から軽んじられてみられるような一因になってしまっているのかもしれないとも思う。
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