緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

今更ながらに悩みに悩み始めたパントリースペース

2024-06-06 18:49:47 | ヘミシンク

 昨日は床を貼るっていうので、遠慮して工事現場を見に行かなかったが、昨日も行っておけば良かったと思った。それは、今日行ったら既に瓦が葺かれていたからだ。今日は、差し入れのスポーツドリンクがもう既になくなっているだろうと、それを追加するために建築現場を訪れた。2Lを3本追加してきた。

そして、今日は既に外壁のタイル貼りに入っていた。タイル貼りは難しそうだなと思った。

窓の上の所だけ、横長のタイルを縦長に貼っているのは際立たせたいからだ。とか言っていた。材料を置いてある所にはまだ大量のタイルが箱に入っておいてあった。

建物の中は、入って欲しくないということなので覗き見して写真を撮った。

最後の写真の右奥が、目下悩み中のパントリー部分である。後で図面を確認すると、冷蔵庫の幅が81cmで記入してある。それでは折れ戸が開くだけのスペースが出来ないのは当たり前だ。なぜ、冷蔵庫だけあまり確認されないままに図面おこしに入ってしまったのだろうか?他の家具については何回もサイズを伝えた覚えはあるが、冷蔵庫については一度も自分からも伝えなかったし、ハイム側からも聞かれないまま、今確認したら幅81cmで図面が書かれている。それで、戸にした場合向かって右奥の物が取り出しにくいからということで、設計のI氏が自宅でもパントリー隠しに使用しているロールカーテンで目隠しをすればどうか?ということになったのだ。

 でも、いざだんだんその空間の大きさを目の当たりにすると、いくら右奥のスペースとはいえ縦が天井からで幅180cm近くを、ペールベージュの布で覆うってどうなの?と最初は思った。そもそも単なる布だ。戸だったら、地震の時一時的に落ちてくることの防御にもなる。なので、引き戸にするのは無理か?と最初考えた。次に、せめてシェードカーテンみたいなのものの方が趣があるのでは?と思った。だが、LDK掃き出しのカーテンが大柄のものなのに、柄付きで広い部分を覆うのもかえってうるさく感じられるだろうか?と考えた。次にそもそも一人暮らしに大容量のパントリーって必要なの?と考えた。それだったら、

① LDKの掃き出しの反対側のユニットの出っ張り部分がある壁側に置こうと思っていた茶色の食器棚をパントリースペースの右側に寄せて置いた方がいいのでは?と考えた。そうすれば、白やグレー調で統一したLDKの壁・カーテン・キッチンなどの中で色違いの家具が悪目立ちがしなくてすむし、DKもより広々とする。

② あるいは、作り付けのグレーのカップボードの隣に茶色の食器棚を置いて、冷蔵庫はパントリースペースの右側に寄せておくという方法もある。のぞき込めば色違いの茶色の食器棚は目立つかもだが、一番奥ではあるし、冷蔵庫と食器棚の間も冷蔵庫とキッチンカウンターの間も66cmは間が確保出来る。

①②の方法をとると、既に納品されている可動棚の処遇に困ってしまう。別の場所で使うことは出来ないのか?例えば、寝室の壁に付けて本棚の収納にするなどということはできないのだろうか?と思った。そもそも、可動棚は両側に壁があることを条件にして設置できる物らしいから、片方は壁をそのまま利用するとしても、もう一方に壁代わりの板状の物を設置しなければならなくなり、工事が大変だし、ロールカーテン設置費用と相殺しても、費用もかかるだろう。また奥行きこそあまりないみたいだが、あまり広くない寝室に幅180cm近い棚を設置ってどうなの?ということもある。

③として、そのまま可動棚は設置するが、ロールカーテンは付けずに、なるべく見せてもおかしくない収納を心がけてどうしても隠したい部分にだけ突っ張り棒を付けて部分的なカーテンをするなどする。茶色の食器棚はLDではなく寝室に入れてしまうという方法も考えられるが、食器棚は結構下の部分の奥行きがあるので、机やベッドなどの配置を換えていく必要があり、当初予定していたコンセントの場所などが塞がってしまう可能性もある。

今の所考えているのはこの三つの方法であるが、それぞれ工事も変わってきたり、予算も増える可能性があるので、それらを出して貰って、また色々人の意見も聞いてから決めていきたいと考えている。

最後に、スポドリを買いに行ったついでに見つけたカップ麺が美味しそうだったので買った。家に戻ってきて食べたら沖縄のソーキ蕎麦を思い出させる美味しい味だった。数量限定ってなっていたので、買って良かった。


住んでいる場所が好きか?

2024-06-06 08:37:58 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

 現在、家を建て替えているところは両親が家を建てたところだ。母親は先祖からこの地の出身だが、父親は九州福岡の出身で、父親が須走に居たときに知り合ったそうだ。なので、太平洋戦争で日本が負けたという歴史の流れがなかったら出会えない出会いだった。

 この地に母親も自分の故郷ということで、希望していた転勤でこの地に引っ越したとき、今のように賃貸物件がたくさんなくて、県道の南側で地域の神社と道を挟んで向かいになる二階建てのお宅の二階を借りて住むことになった。最初は台所トイレと部屋二つだったがすぐにお風呂を増築してくれた。一階の屋根の上に物干し場もあった。しかしいかにしても不便だった。

 私は子どもの頃、この道はずっと行くとどこに繋がっていくのだろうとか探索することが好きだったので、向かいの神社の前を通る道をずっと北側に遡っていったところで、ぶつかった交差点を西つまり富士山側に上っていったところが今家を建て替えているところだ。道の両側は水田ばかりだったが、少し道がカーブした右側に元水田を宅地にしたところがあって、家をたてていて、その西側も空き地だった。その建てていた家が今お隣のTさん宅である。隣町の人だが、そこに家をたてようとしていた。家にかえってから、その場所の話を親にした。

 そして母親の説得で父親も納得し、そこに家を建てるということになって建ったのが両親の建てた家だ。小学校6年の9月から住み始めたような気がする。なので,子ども時代は6年ちょっとしかこの地には住んでいない。そして、この地を好きなのか?って言われればなんともいえない。私には地縁血縁がある場所ではないけれど、懐かしく思い出せる故郷のように感じられる場所が別にある。佐賀県の吉野ヶ里町だ。10歳になるまでの間では最も長く住んだ場所だ。小学校に入学してから友達も増え楽しい小学校生活を送ることができた。気温も温暖であたたかい。幹線道路が通っている所とはいえ、昭和後半に入るところだから車もそれほど普及していないし、不便といえば不便な田舎だけれども、ほとんど嫌な思い出がなかった。

 36年後にその地を一人で訪れて、吉野ヶ里遺跡の望楼に上って周りの景色を見渡すと、背振山地からなだらかに広がる筑紫平野には一面の緑の水田が広がり、その中に大きな羽を優雅に閉じて着地する白鷺の姿がまるで漢詩に描かれる世界みたいだなと思わされた。その当時も、今も、現在住んでいる日本一の富士山が鎮座するこの地の景色よりずっと私には、感動的で好ましい景色に映ったし、現在もそう感じている。再訪して良かったと思った。その後ももう一度訪れたが、その時は博多でレンタカーを借り、戻るときは背振山地を超えて博多に戻るというコースで行った。

 一度目の再訪の時は、確か仲が良かった友人の家はこの辺りにと思って訪ねてみたら、友人のご母堂がまだ健在だったので、友人の消息を聞いた。その当時は新松戸に住んでいるということで、その友人を訪ねたこともあったが、いつの間にか連絡を取り合うことが途切れてしまったので、友人が現在どこに住んでいるかも分からない。

 確か男のお子さんがお二人で、長男さんは琉球大学の学生でちょうど帰省中だった。その頃は、まだ私は上の子がやっと中学生くらいだった。そして、次男さんは友人曰く,所謂ヤンキーで散々母親として悩み苦労したということだった。でも自分の母親が元教師だったのでその悩みも打ち明けられなく辛かったそうだ。しかし、その頃はもう吹っ切れて、そういう次男さんのことも受け入れられているような状況だった。

 話がブレブレになってしまったが、その後地元に戻ってきて30年以上暮らしているが、やはり好きな場所ではない。雨も湿気も多く、冬は寒くて住みにくい場所と思っている。地震の可能性も高いし、富士山だっていつ噴火するかわからないような地なのである。ただやはり長いこと暮らしている便利さや、曲がりなりにも家族や親類や長いお付き合いの近所の方などもこの地にいる安心感でここに住んでいるだけなのだろう。今建て替えている地も幹線道路が出来たおかげで、周りにスーパーやホームセンター家電量販店なんかが進出し、私が子どもの頃よりずっと暮らしやすく便利な場所にはなってきている。

 長男は蕨市にいるが、生まれ育った地元のことがやはり好きではないらしい。たとえ、家が機能不全家庭でなかったとしても、あまりこの地は暮らしたくない場所だと言う。確かに仕事上でいえば、なかなか長男のしているような仕事が出来るような場所でもない。映画館もないし、ちょっとした文化芸術的なイベントとか美術館とか行きたくても、ここでは一日仕事になってしまうが、都会及び都会近郊に住めば電車一本で簡単にいけてしまうというのだ。中途半端な田舎特有の陰湿さも嫌いだとかいう。もし、静岡県東部だったら三島なんかだったらいいと思うということだった。確かに三島は平地だし、新幹線も通っていて東京へも行きやすい。綺麗な水も湧き出していて、いい場所だと私も思うが、海も近いし東南海地震が起こればあっという間に津波も来そうなところだ。