緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

二人の訪問者

2024-07-31 09:09:06 | 家を建て替える

 家が出来上がるのを楽しみにしてくれているのに、出来上がった家を中々見せられないのは心苦しくて、「どうにか足の踏み場が出来たので都合がいいときに見に来て。」とラインでMさんに連絡した。その時、うっかり火曜日の午後1時を除いてって連絡するのを忘れていた。火曜日の午後1時にちょうど私が引っ越しで忙しい頃、ガーファなどの株も思ったより上がらないし株安になっているので説明に来たいとN証券K氏から連絡があり、30日の火曜日午後1時を予定していたのだ。Mさんから火曜午後1時からならって連絡が帰ってきて、慌ててどうにか再度連絡をとり火曜の午前10頃に変えてもらった。

 昨日の午前中はたまった段ボールも捨てながら買い物に行った。段ボールは9時過ぎないと捨てられなかったので、そうだガソリンも入れようと思っていたことを思い出して、近くのいつも入れているガスステーションに行った。初めてガソリンを入れるために作った出光のカードを使うのだが、使い方がよくわからなくて聞きに行くと、カードの暗証番号が分かればスマホ決済ができるしポンタカードにもちゃんとポイントがたまるって言われたが、残念ながらカード番号を控え忘れていてそれが出来なかった。でも、10円引きのクーポンは使えたのでよかった。

 買い物も済ませ、段ボールを捨てて家でMさんを待っていたが、10時頃になっても来ないので、メッセージでのやりとりではなくて電話で10時って事にしたはずなので、心配でメッセージを送った直後10時10分にMさんが来た。「10時過ぎって言ったよ。」ってことだった。色々おしゃべりしたかったけれど、お孫さん達の送りがあってゆっくりもしていられなさそうだった。一通り狭い家だから見てもらった。2階が納戸状態なのは捨てられない服がたくさんあるからなんだよと、20代の前半に友人の結婚式のために買って着ただけの服等を見せて下に降りてきた。下でお孫さん達を送ることになった経緯を聞いたり、預けている物の話になって、とりあえず預けてある布団を引き取りに行く事になった。マップでも確認したし、Mさんの車の後をついていくだけなので行きは順調。でも、帰りはどうも途中で来た時と景色が違うと思ってナビを確認したら、左折すべき角を通り過ぎていたことに気づいた。そういえば前回来た時も同じ間違いをしてしまったような?と思い出した。信号機があるとついそちらの方が曲がったところだと感違いしがちだ。帰りこそしっかり自宅に帰るナビを入れておくべきだったと思った。また元の角に戻って自宅に向かう途中でエコハウスに古いタオルや服をだしてきた。エコハウスでは、着物を物色している女性がいたので、「リメイクするんですか?」と聞くとリメイクではなくて着物として着るのだそうだ。麻でできた新しそうな着物なんかもあって確かに着物として着れるのならそれもいいなと思った。

 午後はM證券のK氏が来訪した。なんと「この辺ではみないような『お城のような感じの家』」と家の事を褒めてくれた。この小さな家をそういう『お城』にたとえる褒め方をしてくれたのは意外でちょっと褒めすぎ?な感じに聞こえたが勿論悪い感じはしない。しばらく、家の事を話題にして話していて、中々本題の『株が下がった』方の話にならないなと思ったので、こちらの方からその話題を振ると、その株が下がったのは○○ショックのような下がり方ではなくまた回復して来ているので安心していいようだった。「本当にまずいときにはすぐに来ますので。」と言ってくれた。これが、やはり大手の証券会社に任せる安心感だと思った。

「毎回貰う資産状況の印刷物もいつの物までとっておけばいいんですか?たまってしまって困っているんですけど?」と聞くと、実質どんどん処分してしまっていいらしい。でも個人情報の物もあるので、中には「持って帰ってくれ。」と返される物もあるし、新しい印刷物を要らないと貰わない人もいるそうだ。

 アメリカ大統領選挙でも株の上下の話から、トランプさんの話になったが、K氏の他のお客さんはトランプ嫌いの人が多いと聞いて、メディアのプロパガンダに騙されている人達がなんと多いことかと残念に思った。

 近代のアメリカ大統領の中ではトランプ氏が唯一在任中に「戦争をしなかった大統領」であることとか、実質彼の大統領選挙の時の我那覇真子さんの動画のトランプ氏を支持する有権者へのインタビューで、若い以前はセックスワーカーをしていた黒人女性が「彼のしてくれた政策のお陰で大学で資格をとることができた。」と語っているのを聞いた話をした。K氏も彼は元々が成功した経営者だから、彼が在任中の経済政策で景気がよかったというようなことを話していた。

 K氏が来た時に、夫に手伝いを拒否されて二階の重い荷物を下に下ろせなかった事を話したら、快く二階のアルバムの詰まった重い箱を下に下ろしてくれた。なんで、体格にかかわらず男性はあの重い箱を運べるのだろうか?と思う。やはり人間の性別はきちんと生物学的性で区別してほしいものだとそういったことからも思う。

 ネットの時代になってもまだまだ、旧メディアを中心とするプロパガンダに騙されている人達が多いのは本当に残念で心配なことだ。そんなことだから、日本も少しも国民の暮らしも良くならず、頑張って働いている若い人達が海外旅行へ行くとしても近場の安くいける東南アジアくらいしかないという話をS氏がベトナムに行くという例を出してした。そのくせ、あまり観光地でもないところにも随分と外国人が日本に入り込んでいる。K氏がその日、お昼を松屋で食べていたらそこにも外国人がいたそうだ。

 姪からラインがあって、8月6日にインドネシア人の年下の彼氏と以前DVで離婚した人との間に出来た娘を連れて、祖父母のお墓参りに来てくれるそうだ。それまでに少しは家が片付けられていればいいけどと思う。片付いていてもう少し床の部分を広げられていたら泊めてあげることもできる。でも、新居に泊まるのは申し訳ないからと静岡市内のホテルに泊まるらしい。どちらにしろ、その時までにはもう少し家を片付けたいものだ。

 インドネシア人の年下の彼氏のビザは1年単位でしかとれないらしく今回は観光ビザで来るのだそうだ。

 


二人目の家族の訪問者は頭に来るあの人

2024-07-29 19:35:08 | 家を建て替える

 午前中、登記手続きの人が家の写真を撮り来たので対応したり、母親の遺影を祖霊舎の上に付けたり、片付けをした後、お昼ご飯を食べて見かけていた韓国創作歴史ドラマの続きを見ながらくつろいでいたら、突然電話がなった誰かと思えば夫だった。「今、どこにいる?」って聞かれたので、「川島田の家にいるよ。」と答えると「涼みに行っていい?」と聞くので「いいよ。」と答えた。エアコンを付けていない婚家はとても暑いらしい。月曜日なので家に居るはずの90代の義母の事も気になって「お義母さんは大丈夫?」と聞くと、「知らないよ。」みたいな答え方だった。もう、96くらいでこの猛暑のなか、自分は私の家に涼みに来ようっていうのに、いくら頭に来ることを色々されるからといって自分の母親を

ほっといて平気なのだろうか?

 家に来たら、まず裏の方に回るのを見てどうしてだろう?と思った。帰る時に分かったが,朝顔の支柱用に裏の水路の土手に生えている笹竹が欲しかったようだ。私はソーラーライトを付けるためのアーチを運良く見つけたことや、家を建てるときに、パナソニックHOME'Sとハイムで迷ったような話をした。夫によるとパナソニックHOME'Sは鉄骨が細いしブレス構造だから良くないみたいなことを言っていた。どちらにしろこの間取りはパナソニックHOME’Sでは出来なかったし、壁の色も真っ白になってしまっていただろうから、ハイム木造で正解ではあったと思う。後、恒例の義母がせっかく植えた花の芽を摘んでしまう話だとか、以前御殿場市長を務めた内海重忠さんが亡くなった事を話した。内海さんは義父が二の岡神社の総代なんかをしていた関係があるので、夫は葬儀に参列するという話だった。私は同報無線が受信できるはずの装置も電源を切っているし、岳麓新聞も取っていないのでしらなかった。次男が来て少し荷物運びなんかも手伝って貰って4泊したことを伝えると、「次男の事を話題に出されると気分が悪い。」とか言うのでそれ以上は何も話さなかった。次男が荷物になって大変なのに夫に渡るくらいならとエクセルでプログラミングの練習をするからという口実で、意地で持って帰ったパソコンのことも言わずに済んだし、パソコンの事も聞かれなかった。

 夫は4時半くらいに帰ったのだが、「帰る前に手伝って欲しいことがある。」って言ったら即座に「嫌だ。」と言われたのでそれ以上は話さなかった。涼みに来させて貰ったら普通はちょっと自分ができそうな手伝い普通はするよな。って思ったけどまた人間関係がこじれても嫌なのでそれ以上は何も言わなかった。とりあえず、新しい家の鍵だけは預けておいた。

 家の片付けは、少しずつ床の部分が増えてきているという感じである。

 午前中、物置に入れる物を持って行こうと玄関から出たらちょうど宅配便の人が来たところだった。なので、運ぼうとした荷物は玄関に置いて荷物を受け取った。熊本に住む従姉妹が送ってくれた新築祝いの品だった。

中身は上等そうな室内履きとタオルだった。

 


やはり、一人暮らしが一番いい

2024-07-29 08:16:10 | 家を建て替える

 昨日、次男は高速バスで三重に帰った。以前名古屋で働いていたときは、よく新幹線で帰ってきたが、今回希望して異動したところは、住宅補助がなくて実質給料が下がったからだそうだ。

 今回、24日から28日と「○○には遊ぶところもないし、一緒に遊べる友達もいない。」と文句を言いつつも最長の滞在だった。やはり浴室も最新で綺麗になったので、段ボールの箱だらけの部屋に寝起きすることになったが、それなりに快適だったからだろうと推測する。休みの日程が良ければ8月にも来るようなことをいっていた。彼が居る間に引っ越し屋さんに二階に一度運んでは貰ったけれど、物置にしまっておきたいような物を下に下ろしたり、高いところに保管しておく壁紙を載せて貰ったりなどということはしてもらった。少しずつ二階の洋室の中の物を片付けていったら、また下から自分では運べそうもないアルバムの箱が出てきてしまった。

 夫と次男の関係は最悪で、もう家の敷居を跨がせないと言っている。次男は私の最後の子だから今度こそしっかり乳幼児期の子育てをしたいと思っていたが、ちょうど再就職する2ヶ月半前に生まれた子なので、義両親に預けることとなり、結局何から何まで面倒を見られてしまう育てられ方をしてしまった。そのせいか、普段の生活でも出したら出しっぱなし、何か使ったら使いっぱなし等ということが多く、一緒に暮らすには多少ストレスになるだろうことは予測される。たまに帰ってきて数日を一緒に過ごすくらいだからいいのだと思う。長女と長男はそれぞれ自分のやりたいことを見つけてそれを生業に生きていけているが、次男はそういう生き方がいまだにできていない。良い点は上の二人の子達よりメンタルが強い所だ。


どうやって物と折り合いを付けて暮らすのか?

2024-07-27 21:13:06 | ヘミシンク

 古い家を解体するにあたり、本なんかは多分、1tくらいは処分している。物置に置いてある引き出物の食器なんかは家の敷地内に箱詰めしてブルーシートを被せておいてある。仮住まいに持っていたのは母屋にあった食器と車庫においてあった食器棚の中にあったものだった。衣類はほとんど自分の物だ。中々捨てられない性分だから、まだもう着れないだろうと思う物もある。そういった物を処分していかなければ、結局二階の二部屋は現在納戸状態だ。よくも、まあ、4部屋あったとはいえ、押し入れは一畳分しかない仮住まいにこれら全部の荷物が収納できていたのかと驚いてしまう。そして、逆に古い家がどれだけ収納できる場所が沢山あったのかということに驚く。車庫の和室に一畳分の押し入れと半畳分の開きの押し入れがあり、和室の横の廊下も8畳二間くらいの和室も物を置き放題に置いていた。物置にあった物は、引き出物の食器以外はほとんど捨てた。収納が多ければ多いほど捨てるという選択をしなくなってしまう。

 引っ越しの片付けをしていて驚いたことに、黒のタイツやストッキングの穴の空いていない使える物だけで小さめだけど段ボール箱4箱くらいにぎっしりあった。多分あるのに,しまってある場所を忘れて冬になる度に新しく買ってしまっていたからだろうと思う。もう、黒タイツやストッキングは一生買う必要はないだろう。それどころか、減らすために少し棄てた方がいいかもしれない。

 こんなに物に溢れているのに、処分せずにとっておいた布団や毛布類、次男の買い集めたプラモ等の箱詰め、ゲーム用テレビ、長女の猫のために買ったゲージ、自分が読んでないから読もうと思って捨てなかった本8箱くらいを預けてあるので、引き取っていかなければならない。一坪弱の物置ではとてもおさまりきれそうもない。これからどうやって物との折り合いを付けて暮らしていけばいいのだろうか?

 


家の中で快適

2024-07-26 19:21:35 | 家を建て替える

 以前の家でも、東北の角にあり二階建ての車庫の横にあり、しかも大きな白木蓮の木陰となっている自分の部屋は夏でも30度以上になることもなく、めったに夏場でエアコンを付けることもなかった。新居となって自分の部屋の位置はやはり東北の角ではあるが、二階建ての車庫もなくなり白木蓮の木も大分枝を切られてしまって、日当たりのいい部屋となってしまった。しかし、リビングのエアコンを付けてドアを開けておけば快適な涼しい風が入ってくる部屋となった。

 朝起きて,相変わらず脹ら脛の痛みは治っていないので、以前腕の関節付近の神経痛に効いた亡くなった父親が処方されて使わずに残ったロキソニンの湿布を左右の脹ら脛に貼ってみたら、やはり痛みがなくなった。もっと早く使うべきだったなと思う。

 朝ご飯に鮭の切り身を焼いたが、仮住まいの時にやっていたように、フライパンで鮭の切り身を焼いた。本来の魚を焼くところで、次男もチーズトーストを焼いた。もっぱら、魚焼きのところは、新居ではトースターとして使われている。午前中は二階に運ばれた箱の中から整理ダンスの中に入っていた物をまた整理ダンスに納めたり、昨夜食洗機で洗った食器類を食器棚に入れたり、掛け時計の入っていた箱のクッションになっていた発泡スチロールを剥がしたりして過ごした。10時に丸八真綿の営業マンの人が、打ち直した布団を持ってきてくれた。こんなに長く保管していたお客さんはいないと言われたそうだ。丸八真綿で羽毛布団を8万円で打ち直しをお願いしたお陰で、もう不要と思った夜具は全て引き取って貰え、実家の片付けが凄く楽になった。二階で作業しているときに、次男に暑くない?と聞くと別に暑くないよと答えるが、エアコンがある生活となってから、私はついつい暑いと感じてすぐにエアコンを付けるようになってしまった。まあ、三重県に住んでいる次男にとっては御殿場の暑さなど暑さのうちに入らないようだ。

 お昼過ぎても片付けていたため遅めの昼食となり、次男はちょっと散歩に出かけると言って出て行ってしまった。私はちょっと一休みしようと思って自分の部屋でごろごろしていたら、突然インターホンがなった。今日は3時くらいまで、だれも訪問予定はないはずだが?いったい誰だろう?とドアを開けてみると、営業のS氏だった。確かに、私がカーテンがついたら見に来てくださいとは言っていたが、事前に連絡なしの来訪だったのでびっくりした。後で携帯を見たら着信履歴はあった。とりあえず上がって貰った。どうせ、旧居の片付けの時のごちゃごちゃな様子も見ている人なので、新居のごちゃごちゃを見られてもいいやと思って、一階も二階も全部見てもらった。来て貰って、実はキッチンカウンターの自分が無いと思っていた引き出しがあったことが分かって良かった。でも、そこにはしっかり使うと判断した物だけ入れようと思う。本当にもう使いそうもないものを収納するのは、親の二の舞になるのでそれは避けたい。

 S氏は8月に彼女とベトナム旅行に行くそうだ。円安のため結局はその影響をあまり受けずにいけるベトナムに旅行するということになったという話だ。本当はヨーロッパなどに旅行をしたかったらしい。全く頭に来る話だ。最近は、調整区域で観光地も近くにはない私の住む付近でも外国人旅行者と見られるような外国人が歩いていたりするし、昨日はジョナサンに入ろうとする絶対日本人ではないなと思われるアジア人の人達が居て、入って隣から聞こえてくる会話を聞いていると中国語だった。外国人はどんどん日本に来ているのに、日本人の若い人達は円安のためにその影響があまりない近場の国にしか行けなくなっているなんて本当に、残念で悔しいことだと思った。でも、S氏は彼女との初海外旅行、しかも彼女にとっては初の海外旅行ということで、期待と多少の心配をしている様子だった。ベトナムは細長い国なので、今回はハノイにだけ行き、ハロン湾とかには行かないということだった。私としてはタイの方がお勧めだと思った。綺麗なお寺も沢山あるし、バンコクはインフラの整備された近代的都市だ。仏教国なので、年配者と見られれば確実に公共交通機関で席も譲って貰える。というか、私はグラブが上手く使いこなせなくて、公共交通機関しか使えなかった。タイではチャオプラヤー川クルーズなんかも出来る。それにしても、いつも1人旅の私としては、彼女と初海外旅行とは楽しみで羨ましい話ではある。既に、ヨーロッパ旅行の経験が二回もあるS氏なので上手く良い旅行にすることができるだろう。

 S氏が居る時に戻ってくるだろうと思っていた次男がS氏が帰った後も戻ってこないので、どうしたのか?と思ったら、お客さんが来てたみたいだからと遠慮して一度家に戻ってきたのに、また出かけてしまったということだった。本当に変なところに次男は気を使ってしまう。近くまで次男を迎えに行ってから買い物をしてきた。買い物に行きながらS氏に「結果オーライ」と言われた話をしたら、次男も「やはりそこは『お疲れ様でした。無事終わりましたね。』」と言うべきだろうと言っていた。他人のことばかりは言えないが、S氏には人の気持ちを慮れる人になれるように、今後とも精進していってほしいところではあるなと改めて思った。