緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

住んでいる場所が好きか?

2024-06-06 08:37:58 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

 現在、家を建て替えているところは両親が家を建てたところだ。母親は先祖からこの地の出身だが、父親は九州福岡の出身で、父親が須走に居たときに知り合ったそうだ。なので、太平洋戦争で日本が負けたという歴史の流れがなかったら出会えない出会いだった。

 この地に母親も自分の故郷ということで、希望していた転勤でこの地に引っ越したとき、今のように賃貸物件がたくさんなくて、県道の南側で地域の神社と道を挟んで向かいになる二階建てのお宅の二階を借りて住むことになった。最初は台所トイレと部屋二つだったがすぐにお風呂を増築してくれた。一階の屋根の上に物干し場もあった。しかしいかにしても不便だった。

 私は子どもの頃、この道はずっと行くとどこに繋がっていくのだろうとか探索することが好きだったので、向かいの神社の前を通る道をずっと北側に遡っていったところで、ぶつかった交差点を西つまり富士山側に上っていったところが今家を建て替えているところだ。道の両側は水田ばかりだったが、少し道がカーブした右側に元水田を宅地にしたところがあって、家をたてていて、その西側も空き地だった。その建てていた家が今お隣のTさん宅である。隣町の人だが、そこに家をたてようとしていた。家にかえってから、その場所の話を親にした。

 そして母親の説得で父親も納得し、そこに家を建てるということになって建ったのが両親の建てた家だ。小学校6年の9月から住み始めたような気がする。なので,子ども時代は6年ちょっとしかこの地には住んでいない。そして、この地を好きなのか?って言われればなんともいえない。私には地縁血縁がある場所ではないけれど、懐かしく思い出せる故郷のように感じられる場所が別にある。佐賀県の吉野ヶ里町だ。10歳になるまでの間では最も長く住んだ場所だ。小学校に入学してから友達も増え楽しい小学校生活を送ることができた。気温も温暖であたたかい。幹線道路が通っている所とはいえ、昭和後半に入るところだから車もそれほど普及していないし、不便といえば不便な田舎だけれども、ほとんど嫌な思い出がなかった。

 36年後にその地を一人で訪れて、吉野ヶ里遺跡の望楼に上って周りの景色を見渡すと、背振山地からなだらかに広がる筑紫平野には一面の緑の水田が広がり、その中に大きな羽を優雅に閉じて着地する白鷺の姿がまるで漢詩に描かれる世界みたいだなと思わされた。その当時も、今も、現在住んでいる日本一の富士山が鎮座するこの地の景色よりずっと私には、感動的で好ましい景色に映ったし、現在もそう感じている。再訪して良かったと思った。その後ももう一度訪れたが、その時は博多でレンタカーを借り、戻るときは背振山地を超えて博多に戻るというコースで行った。

 一度目の再訪の時は、確か仲が良かった友人の家はこの辺りにと思って訪ねてみたら、友人のご母堂がまだ健在だったので、友人の消息を聞いた。その当時は新松戸に住んでいるということで、その友人を訪ねたこともあったが、いつの間にか連絡を取り合うことが途切れてしまったので、友人が現在どこに住んでいるかも分からない。

 確か男のお子さんがお二人で、長男さんは琉球大学の学生でちょうど帰省中だった。その頃は、まだ私は上の子がやっと中学生くらいだった。そして、次男さんは友人曰く,所謂ヤンキーで散々母親として悩み苦労したということだった。でも自分の母親が元教師だったのでその悩みも打ち明けられなく辛かったそうだ。しかし、その頃はもう吹っ切れて、そういう次男さんのことも受け入れられているような状況だった。

 話がブレブレになってしまったが、その後地元に戻ってきて30年以上暮らしているが、やはり好きな場所ではない。雨も湿気も多く、冬は寒くて住みにくい場所と思っている。地震の可能性も高いし、富士山だっていつ噴火するかわからないような地なのである。ただやはり長いこと暮らしている便利さや、曲がりなりにも家族や親類や長いお付き合いの近所の方などもこの地にいる安心感でここに住んでいるだけなのだろう。今建て替えている地も幹線道路が出来たおかげで、周りにスーパーやホームセンター家電量販店なんかが進出し、私が子どもの頃よりずっと暮らしやすく便利な場所にはなってきている。

 長男は蕨市にいるが、生まれ育った地元のことがやはり好きではないらしい。たとえ、家が機能不全家庭でなかったとしても、あまりこの地は暮らしたくない場所だと言う。確かに仕事上でいえば、なかなか長男のしているような仕事が出来るような場所でもない。映画館もないし、ちょっとした文化芸術的なイベントとか美術館とか行きたくても、ここでは一日仕事になってしまうが、都会及び都会近郊に住めば電車一本で簡単にいけてしまうというのだ。中途半端な田舎特有の陰湿さも嫌いだとかいう。もし、静岡県東部だったら三島なんかだったらいいと思うということだった。確かに三島は平地だし、新幹線も通っていて東京へも行きやすい。綺麗な水も湧き出していて、いい場所だと私も思うが、海も近いし東南海地震が起こればあっという間に津波も来そうなところだ。


LGBT法が可決した場合の対応策を市長へ問う。

2023-06-11 13:20:00 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

 もし、LGBT理解増進法案が可決してしまった場合、女性スペースが偽トランス女性、あるいはトランス女性を装った下心を持った男性が使用してもそれをとがめづらい状況が出来ることが予想されます。女性が安心して女性スペースを使えるように、市としてはどのような対策を考えられているのでしょうか。

 都内などでは女子トイレが減らされ代わりにオールジェンダートイレなどが増やされたため、不適切な使用法をされるトイレとなってしまいました。当該施設では、警備員を置いたりしていたようですが、とうとう仕切りなどを設置するなどの改築に追い込まれた施設もあるようです。男女共同参画社会を作るというならば、せめて外出先で女性がトイレに困らないようしてほしいものです。公衆トイレなどは最低きちんと女子トイレを確保するといったことをしていただきたいと思います。

 そして、私が一番不安に思っていることは、共同浴場の女湯です。市内にもいくつか日帰り温泉もあり、市の温泉代わりになっているような施設もよく使っています。健康増進などを考えるとやはり温泉への入浴は効果的で、市が市民が手軽に温泉を利用できるようにしてくださっているのはとてもありがたいと思っています。しかし、今後LGBT理解増進法案が可決されてしまったら、男性器のついている自認女性がずかずかと女湯に入ってきた場合、「出て行ってくださいとか、男湯を使ってください。」などと注意した場合、逆に「自認女性を差別した。」などと訴えかねられない状況にもなりかねません。そうすると、女性はせっかくある温泉施設も使いづらい状況になってしまいます。そういうことに対して、市としてはどのような対策を考えてくれるのでしょうか?弁護士さんなどと相談していい手段を考えていただきたいと思います。

 日本には伝統的に、「刺青のある方の入浴は出来ません。」などという表示があるのと同様に「当施設では男性器付きの自認女性の方の女湯の入浴は遠慮していただいています。」などという表示をするなどできないのでしょうか?


ワクチンについての私見

2022-12-09 15:15:55 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

 コロナワクチンが希望する人は無料で受けられるというニュースがあった時、「私は受けるのよそう。」とすぐに思った。その理由は、まず本来新薬などについては数年かけて安全性を確かめるという事をネット上で知り、数年かけての安全性が確保されていないのなら受けるのをよそうと思ったからである。もし十分安全性が確保されているのなら国が「受けるかどうかは本人の判断で」は言うだろうが、その他にも「安全性はこのくらい確保できています。」という報道をするはずだ。そういったことがされずに『本人の意思で・・・、ワクチン被害と認定されれば賠償します。』ってだけをいうのは、何があっても「国は本人の判断で・・・」と言ったはずだと責任逃れをするためだろうなと思ったからである。

 今までの厚生労働省行政を振り返るに、賴病が治療可能となっても「らい予防法」を続けたために違憲国家賠償請求訴訟 で負け、被害を受けた人達に賠償をすることとなった。また、薬害エイズ事件ということもあった。加熱製剤の承認等によって、安全な血液製剤の供給が十分可能になった後も、日本国政府による未使用非加熱製剤の回収措置が即座に講じられなかったことが、被害拡大の主因であるとされている。という事件である。最初から、どうせこのワクチンもいずれ国民から訴えられるような羽目になるのではないかと思っていた。

 今年の2月に亡くなった父はテレビや新聞しか見ないので、ワクチンは受ける気だった。なので、父のワクチン予約をした。しかし、当日の朝6月だったが冷たい雨が降る日で出かけるのはなんか嫌だなと思ったので、父親に自分がワクチンを受けない理由を話すと、父も「ワクチンは受けないし、もうこの話は無しにする。」と言って結局父もワクチンを受けなかった。なので、父親が亡くなっても、「もしかしたらワクチン接種が死を早めてしまったかも知れない。」などと後悔することもない。本当にワクチンを受けなくてよかったと思う。そもそも、父はデイサービスと病院に行く以外外出することもなかった。コロナ下で持病が原因で二回入院はした。しかし、勿論陽性になったことは一度も無い。デイサービスに復活するときも抗原検査で確認している。

 かつて、三種混合ワクチンのあと肺炎にまでなってしまった長女がワクチンを受けるというので、心配したが大丈夫だった。しかし今年の二月オミクロン株のコロナにかかった。その後は仕事が忙しいのでワクチンは受けていないという。

 次男はそもそも「コロナは茶番派」なので、ワクチンは勿論受けていないし、マスクもろくろくしないので電車の中で車掌に注意されたり、タクシー運転手にマスクしてください。といわれて降りたりしたこともあるという。しかし、次男もコロナとは無縁だ。

 私はといえばコロナ下になって一度37度台の熱を出したことがある。原因に心当たりはあった。古い炭酸水をもったいないからと飲んだことである。発熱外来に言ったが理由を話したら抗生剤を貰ったので、それを飲んで寝たらすぐ熱が下がった。多分胃腸炎だったのだと思う。

 その後も夜喉痛かったな等と思った時は、朝になって葛根湯を飲んだりしていたが、コロナ下で風邪にかかったことも一度もない。

 義理の叔母さんの話だが、ご近所に病気一つしたことのない同年配の方がいて、その人は自分のお子さんからも「ワクチンは受けるな。」と言われていたそうだ。それなのにお節介な民生委員の人が予約してワクチンを受けさせたら、具合が悪くなり入院してすぐ亡くなってしまったそうだ。私の従兄弟もワクチン後体調が優れないらしい。

 夫も1回目は受けたがそれ以後ワクチン接種はしていない。やはり、あまり人と接することが少ないからだ。

 先日我那覇真子さんのTwitterの動画でワクチン接種後亡くなった方の遺族が色々厚生労働省の人に質問する動画を見たが、厚生労働省側の役人は一体ワクチンが原因かどうかを判断する人が医師免許を持っているかどうかもどのような資格がある人かも言わずただ「専門的な知識がある専門官」といういい方で答えをはぐらかし続けるのを見て、やはり賴予防法の訴訟や薬害エイズ事件などと同様の事にいずれなるだろう。いや、きちんと国に責任をとらせるようにしないと「国を信じて亡くなった方がとその遺族が浮かばれない。」と思った。


山口百恵の幸せと松田聖子の不幸

2021-12-21 07:23:46 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

18日の午前中にTwitterで知った神田沙也加さんの訃報はショッキングだった。まだ、35歳、私の長男が早生まれで同学年であるからなおさらだった。まだまだこれからの人で将来を嘱望されていたのにと思うと残念でならない。

 彼女は母親は自分の歌手としてのキャリアや自分自身の恋愛を最優先で生きてきたから、娘の沙也加さんはそれに振り回されて何度も転校を繰り返してその先でいじめにあったりだとか物には不自由しないだろうが心の安らぎを得られない子ども時代を経て育ってきたというような記事を読んだこともある。どうしても、子ども時代が安定しない人はどうしても、メンタルが弱くなりがちだ。母親の聖子さんは、娘を愛しているといっても安定した娘の子ども時代を犠牲にして自分のしたいことにまっしぐらだったといえる。最愛の人は娘でなくて、自分のような生き方だ。それだったら、親権は夫に渡せばよかったのにと思ってしまう。メンタルが強いか弱いかは育ってきた環境ばかりが要因とはいえないかもしれないが、やはり大きいと思う。しかも、彼女の三度目の結婚は略奪婚で人を泣かせて成就したという話も聞く。仕事上の成功や名声も、恋愛も、結婚も、素晴らしい子どももとすべてを手に入れたように見えたが、土台のところがぐらぐらだったのだ。やはりすべてを手に入れる維持ことはできないし、ましてや人を泣かせて得た物があれば、いつかは回り回って大きなつけを払うことになるのだろうと思った。そういう意見もよく目にする。欲張って多くの物を手に入れたかのように見えた松田聖子は本当に幸せだったのだろうか?そもそも、神田正輝は石原裕次郎の圧力で松田聖子と結婚したという説さえ目にした。なので彼は、結婚の初期からそれまで付き合っていた人との交際が切れなかったという話まで聞いた。それではチャールズ皇太子と同じではないか?それが事実なら、結婚後様々な人と浮名を流した松田聖子ばかりが責められることではない。

 山口百恵は松田聖子と正反対の生き方を選んだ人だ。相愛の人との結婚を機に芸能人としてのキャリアをすっぱり諦め、一主婦として生きる道を選択し、一切仕事の誘いには乗らずに生きてきた。彼女の人生の中にも幸せな時期ばかりでなく、悲しいことや辛いことはあっただろうが、誠実な夫ともにそれらを乗り越え今がある。三浦友和は結婚するとき浮気はしないと決意しそれを実践してきた人だ。百恵は総じて幸せな結婚生活を続けられた人だと言える。そして今は初孫の誕生を心待ちにしているという話を聞く。

 やはり、自分にとって何が一番幸せなのかということをよく考えて、それだけを堅実に追い求める生き方が、土台がしっかりした本当の幸せを手に入れることができるのだと今回の悲しい知らせを聞いてつくづくと思った。神田沙也加さんのご冥福をお祈りします。


運動は心身ともにいいらしい

2021-08-02 10:09:02 | 日々の出来事に関して思ったことや考えたこと

まるの日さんのライブで、「パワハラされたときのフラッシュバックを起こしてしまう場合どうしたら良いのか?」という質問をしたら、「そういう場合は嫌な記憶が身体にまできざまれてしまっているので、身体を動かすことが良い、タッピングなどでもいいが、ダンス等身体を動かすこと、今の時期だったら水泳なんかがいい。」という答えだった。

 少し娘の状況などを話したら、甥のお嫁さんが「そういう場合は運動がいいですよ。私は今朝も15キロ走ってきました。すっきりしますよ、身体も疲れてよく眠れるし。」と言った。まあ、選手時代から今に至っても走ることが仕事でもあり、日常の一部になっている。運動は身体を良い状態にキープするための手段でもあるのだろう。身体に染みついた穢れを落とすのには運動が最適であるというのは、普段身体を動かしている人に取っては実感として感じられることなんだろうなと思った。

 また、姪を家まで車で送ってきてくれた70過ぎのロジェさんは、姪によく「手伝えることはない?」と言ってくれていたそうだが、70過ぎのロジェさんに家屋内の片付けなどの重労働を頼むのも悪いと思っていたそうだが、とうとう頼まざるを得なくなって助けを求めたところ、一日色々重い物を運び出したりしても全然平気で本当に助かったと話していた。その方もヨガとか呼吸法を教えていると言うことなので、今でも身体を動かすことが日常になっているのだろう。そういう人は70を過ぎていても、一日身体を動かして働いても平気なのだ。

 私なんか普段最低限の家事くらいしかしないので、ちょっと出歩いたりするともう次の朝疲れを感じたりする。なので、なるべく車に頼らず1㎞内外の所は自転車に乗ったり、歩いたりするようにしているが、そのくらいしか身体を動かしていない。やはり、年を取ったら取ったで運動することが、心身共に健康をキープする一つの方法なのだろうなと二人の事例から思った。