緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

電話占いオーディション

2018-08-30 12:49:53 | ヘミシンク
 エスペラントという電話占い師に応募した。そこは今まで応募したところと違い最低限の待機時間が特にないので、少しならやってみたいと思う私にはぴったりであった。今までのオーディションと違ってまず、人の名前と生年月日を伝えられ、その方の性格を占ってくださいということだったので、クロス十字でうらなった。結構安定した生活を送っていそうであるのに、そのごその方が転職を希望しているので、いつくらいにどんな職種に転職できるかということを占ってほしいということであった。まず転職したほうがいいかどうかを占ったが、どちらも良い結果が出ないので、どうしても転職が必要な方なんでしょうか?ということを聞くとどうしてもということであった。そこで、もうあとは直感でその方の性格からあっていそうだと思う職種をお伝えした。今日中に結果は知らせるということだったが、全然音沙汰ないのでまた落ちたのだろう。良心的そうなところだったのでそこの占いはやってみたいとおもったのだが。

みたらし ―●●●―団子の思い出

2018-08-30 10:50:23 | ヘミシンク
 幼い頃多分2~3歳の頃だと思うが、茨城県の土浦市近辺に住んでいた。ある日母と出かけた先に、お団子屋さんががあった。多分駅近かったと思う。売るのではなく、その場で食べさせるお団子屋さんで、結構お客さんが多くいた。みなお皿の上のタレに串団子を絡めながら美味しそうに食べていた。それを見た私はどうしても食べたくなって、すごくだだをこねたが食べさせてもらえずその場を母に連れられてさった。そのことをいつまでも覚えていたので、母が亡くなる多分1~2年くらい前か1年いないくらいの頃にそのことを話したら、母もそのことは覚えていた。そして実は母も食べたかったということをその時に言った。わたしが子ども時代父親が自分の実家に金銭的に援助をしていたため、母は無駄遣いをしないようにと節約をして暮らしていた。そのせいだったと思うが、みたらし団子である。今から考えても食事ほど高額ではなかったはずだ。そのくらい食べてもそれほど困ることもなかっただろうにと思われる。ただ、食べてしまっていたらそのことを覚えていただろうか?すごく食べたくて食べただろうから覚えていたかもしれないし、覚えていなかったかもしれない。
 その串団子は今売っているのより団子の大きさが大きく一串に3個が刺さっていたような覚えがある。一体どんな味だったのだろう。今私はみたらし串団子が好きだ。こし餡や胡麻だれもあるがみたらし団子が一番好きである。もし、まだそのお店が今でもやっていたら食べに行きたいなとも思う。

タロットカードも疲れる

2018-08-30 10:41:05 | ヘミシンク
 2月から始めたタロット占い。カードは鏡リュウジ先生監修のやつをヤフオクで安めに新品を買った。もう半年ほど使い込んでいると、なんか逆位置ばかり出たりすることも多く、カードも疲れてきているのかなーと思い。最近時々セージの煙で浄めたりということをしている。買ったばかりの頃はタロットカードは凄いどうしてわからないことがこんなにカードに表れるのだろう?と感激するほどだった。
 本当はもう一セットくらいフルデッキの新品は欲しいと思う。またミニタロットカードも欲しいなとは思うが、今は無収入の身なので、自分の欲しいと思うものは買わない主義になるべく徹底している。どうしても何かいるなと思ったものは商品券を使ったり、これすごく安くなっててお得だし消耗品だからなと思うような下着や靴下くらいしか買わない。もう、服は腐るほどあるが服なので腐らないからいつまでも着られる。30年くらい前の夏用カーディガンなんて肩パットがついていたりするが、それを取れば十分きられるのだ。服も捨てられないことが多いので(それでも退職後少しは古着屋にだしてはいるが)まだまだ、一夏できることがないまましまわれてしまっているようなワンピースなどもある。
 話が本題からそれてしまったが、やはりタロットカードも消耗品なのだろうか?と思う今日この頃なので、無料であるからと本当につまらないと思われること(もう今では会うことがなくなってしまった、よく話をした感じのいいコンビニ店員は私のことをどう思っていたのでしょうか?)みたいなことは占わずに、本当にこれは占ってみたいと思うことだけを占うことにしようと思う。
 今使っているカードは木箱に入っているがもう20年くらいも昔に以前言っていた英会話スクールのクリスマスパーティーのプレゼント交換で手にいれたものだが、この箱は元々タロットカード入れとして作られたのではないか?と思えるくらい大きさやサイズがぴったりのものだ。また、下に強いて使っている布は近所の人の結婚披露宴の時お持ち帰り下さい。ということで持って帰ったナプキンだったのだが、鏡リュウジ先生監修のタロットカードのあずき色の地色とぴったりあったあずき色である。まるで、木箱、カード、クロスがすべて誂えたもののように揃っているというのも、なんとなくタロットをすることになっていたのかーと思ってしまう。

記録しないと空の雲のように過ぎ去ってしまう

2018-08-29 12:08:56 | 日記
 毎日ふと思ったこと、考えたことは記録しないで置いておくと、空の雲のように形を失って流れさってしまう。なので、面倒くさがらずになるべく記録しておこうとは思う。
最近つくづく思うのは生老病死の老病死である。50代の終わりに近づき以前はまではほぼ「生きる」事の方を考えることが多かった。退職しても働かないとね。とか しかし還暦を過ぎて、まず思うのは食べられなくなってきたということだ。お昼に吉牛のミニ天丼つきざるそばを食べたらもう夕飯は要らないって思うくらいお腹にズシンと響く。夫とお昼にラーメンと餃子を食べた時ももう夕飯は要らなかった。昔はもっと食べられたはずなのになーと思う。また、癌で亡くなった母も死期が近づくにつれて、どんどん食べることができなくなって言った。最後に食べたいと本人も言って、実際少し食べられたのはメロンをスプーンですくって食べたいといったことだった。まだまだ世の中に食べてみたいと思うものが沢山あるのに食べられなくなってくるのは寂しい。あと、行ってみたいところ見てみたいものもあるのに、4月に旅行してちょっとした距離を歩いて、足が痛くなったのもびっくりした。9月~10月には世界遺産を見たいと思っていたのに、父親の体調不良が明らかになって、それもおぼつかなくなってしまい残念だ。せっかく10年旅券にしたのに、またまた一回の旅行でしか使用しないということにならなければいいのにと思う。

迂闊だった

2018-08-22 15:07:05 | ヘミシンク
 父親が倒れた、夫はそんな言い方はするなという。土曜日の午後トイレのドアの前で尻餅をついている父を発見し、夫にも来てもらい土曜日午後もやっている病院に連れて行ったところ尿路感染症で高熱が出たことが原因だったことがわかった。なので、帰ってから泌尿器科を変えようという話をしたが納得しなかった。次の日頓服を食後の薬ケースに入れてる父を見ておかしいと思い次の日、父のかかっている病院に相談に行くと、今年に入ってから血糖値を測れていないことや、うまく刺さらないという父の訴えに特別のホルダーと針を渡したのに、一度も使わないままなくしていることなどがわかった。また糖尿病の定期にかかる時期にも今回は来ていないということで、次の日父と一緒に病院へ行くと、実はもう何年も前から腎臓も心臓も悪く大動脈弁狭窄症で手術も必要なのに断っていたことなどがわかった。そして突然死の危険もあるからウォーキングはやめるように言われていたことも初めて知りショックだった。
 高熱が出た日に妹に「母の死後3年間お墓掃除や墓参りきたことあるの?」とメールをしたあと事実を伝えたら、来なかったことなどをお墓参りはいいけど家など来て欲しくないということを言った私とお正月も家業が忙しいだろうと「来なくていいぞ。」と父親に言われたことを、行かなかった理由として言っていた。その後は感情的なやり取りが続いてしまった。
 
 妹が何か許せない原因として「妹は調子いいし、ずるい」というのがあったと気づいた。今まで自分が散々経済的に親から援助してきてもらったのに、残ったものは半々でいいよね?とぬけぬけと言った妹の言葉が私の心に火をつけてしまったのだ。妹は自分が援助してもらったことを母親の虐待の罪滅ぼしと考えているところも気に入らない。そんな場面があってそのことを覚えているとしたらわたしは一回だけである。遠足の前日に母親が買ってきた副食が気に入らないと怒った妹に母親が暴力をふるったということだ。私もそのことは覚えている。しかし、そのくらいだ。いつまでもそれを盾にとって自分の信じていた宗教団体の手記のようなものにもそんなことを書いたものや自分が苦労してきたことを知らせる資料を私に大量に送ってきた。問題はそんなことではない。一言わたしは今まで親にたくさん援助してもらってきたから、その分はまず姉に渡してからその残りは半々でもらおうという私に対する気遣いが何もないところに私は腹を立てているのだが、自分がしてもらうのは当たり前の甘ったれた性格に生まれた妹はそのことに気づきもしない。

 父親のことは私も迂闊だったと思うし、なによりショックだった。これからは注意をして見守り、なるべく長生きさせたいと思っている。