緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

誰も来ない年末年始

2018-12-31 18:30:38 | ヘミシンク
 アルバイトしながらの和太鼓奏者の長男は年末年始に仕事が入ったということで、年末年始には帰らないと父親に連絡があった。長女は美容師の国家試験前ということでこないということだった。妹は受験生相手の仕事なので、年末年始は仕事が佳境に入ってしまう。4月になるまでがその年の成果を決める大切な時期になるということで、年末年始は来ないということだった。おまけに、夫も今日は来ないと言っていた。来たら去年と同様年越しそばくらいご馳走してあげようと思っていたのだが。
 
 今日は、栗きんとん、筑前煮、紅白なますを作った。栗きんとんは夫が小学校卒業祝いにもらって、植えた栗の木が毎年よい実をたくさんつけるのだが、それを夫が拾って分けてくれたものの残りを甘露煮にしたものを使った。栗の甘露煮は買うと高い。皮をむくのが大変だが、自分で作れば、中国産を買って不安に思うこともなく、安心してたくさん使える。黒豆は3日くらい前からストーブの上で少しずつ煮詰め、今日煮上げた。黒豆は半分以上くらいいつも捨てているので、今年は買った半分だけを煮ることにした。残りはまた別の使い道を考えようと思う。
 
 まだ、はんぺんで作る伊達巻はまだ作れていない。明日作ろうと思う。今年は筑前煮にタケノコを入れなかった。日本産は高いし、そのくせ少ししかない。中国産はなんか心配で買う気がしない。筑前煮は具も種類が多く作るのに、すごく時間がかかって面倒だなあと思いつつも毎年作ってしまう。おせち料理を作る際は、普段使っている出しのもとは使わずに、天然だしをとってそれでつくるようにしている。婚家にいたころは、昆布巻きなんかもニシンを買ってとぎ汁でふやかしておいて芯にして昆布を巻いて、かんぴょうで縛って自分で作っていた。嫁入り道具の圧力鍋があったので短時間でできた。実家に戻るときに、実家に台所用品があるからと他の物は持ってきたのに、圧力鍋は持ってこなかった。義母が気に入ってカレーを作ったりするのによく使っていたからということもある。自分の圧力鍋がないということもあり、実家に戻ってからは昆布まきは作らくなったように思う。お店で買ってしまう。
 真夜中の年が変わるころ、近くで花火を上げるのでいつもその音でせっかく眠って年越ししようと思っているのに、それがうまくいかない。いっそのこと、近くの神社に年が変わる時間帯を狙って初詣に行ってしまっておこうか?とも思う。もう、年越しそばも食べたし、シャワーも浴びた。屠蘇散も日本酒に漬けた。紅白は見ないので、ヘミシンク聞き納めでもして時を過ごそうかと思う。

餅つきと富士山頂熟成茶

2018-12-30 12:45:14 | 日記
 今日は恒例の○組△班の餅つきだった。私の住んでいるところは田舎である。区が東西南北の組に分かれ、その中の△班というのが、私の住んでいるところだ。昔からの農家が田圃を売って宅地にしたところの土地を借り家を建て、今はその土地は購入済みだ。そういった後から来たできた家が何軒かあり△班ということになっているが、昔からの農家の家が自分の家で取れたお米を一軒2000円で提供し、希望する人たちに餅つきに参加してもらってそれぞれの家で食べる分ののし餅とお飾り餅をもらうということを続けている。その家は古くからの家なので自分の家だけで、七つ半もお飾りを用意する。そうすると、臼で搗いた餅をお正月に食べられるということになる。
 お嫁さんは私より一つ年下の幼稚園教諭だった人、ご主人は農協に勤めていた人だ。昔からの農家なので、餅つきに適した一階が納屋、二階が息子夫婦の住まいになっている納屋の前で餅つきをする。私は退職一年目の去年初めて参加した。自分たちも搗きたてのお餅を食べたりしながら、必要なだけ餅つきをみんなでするのだ。
 9時からということだったが、10分前くらいに行った。お嫁さんがお茶を飲んでもらおうということで湯飲み、お茶の入った急須、ポットを用意してくれてあったが、そのお茶がすごくおいしかった。飲む人がいないで、冷えて捨てているお茶がもったいないくらいだった。ご主人が「富士山のお茶」と言っていたので、どうして富士山のお茶なんだろうと思ったら、取れたお茶をブルトーザーで山頂の室にわざわざ運びそこでお茶の葉を熟成させるのだそうだ。一袋200円で売ってくれていたので私も一袋購入した。昨年は鶯粉も500円で買ったが、お餅には使いきれず、パンケーキに入れていたが、どうもおいしくなくて不評だったので、今年は鶯粉の購入は避けた。

苦手のF15

2018-12-29 10:58:51 | ヘミシンク
 福井幸せ元気国体の馬術競技事務所に勤めていたころ、お弁当を食べた後隣の部屋でヘミシンクF15のフリーフローをよく聞いていた。その後、嵐の日の駐車場で隣の車のドアに自分の車のドアが風であおられてぶつけるという事故を起こしてしまい。それがきっかけで、そのほとんどその当時することもない仕事を辞めたり、離婚すると言っていた夫と関係再構築をスタートさせたりするという人生の変化があった。
 とはいうものの、いつもF15のフリーフローは意識を失っているクリックアウト状態であった。昨日もそんな感じである。それでも、今日もまた過去や未来の自分を探ってみようとやってみた。ガイドっぽい人が出てきたが、いつものほっそりした2次元的な若者ではなく。がっしりした筋骨隆々のこげ茶色のカーリーヘアーの男性だった。特にそのガイドとかかわることはなかった。過去の扉を開けると、なんとなく中近東っぽい女性。イスラム教徒の女性が被る目の部分のみ空いているような布をかぶっていたけれど、市場で乾物ぽいものを売っているようすだったから、イスラム教が出てい来る以前の人で、たぶん日差しをよけるためにそういうものをかぶっていたのだと思う。あと、未来の扉も開けてみると農場で働く人ぽかった。でも働くのは3時間くらいでいいらしい。その後は自分の好きなことをする時間だ。そしてなんと育てられているのが、一つが小玉スイカくらいある大きさの豆だった。ここに長くとどまるわけではなく。次は鉱山で働こうかな?と思っているようである。世界中を回りながらしてみたい仕事をいろいろ体験しているようだった。そういう生き方ができるようだ。男女の関係も出会ってお互いに合意すれば簡単に関係を持つらしいが、それはエネルギー交換をしているといったような位置づけであり、一度そういう関係になったから交際とか結婚となるものではなく。一時的なもののようだ。移動するのにバイクのようなものがつかれている。空中の道が使われていて、自分で運転しているような気分を味わえるが、事故がないように道にコントロールされているらしい。そのころは人の行き来は今より盛んであまり定住はないようだ。それぞれが「心の欲するところに従えども矩を喩えず」といった感じで、むしろそれぞれが心の欲するところに従うことによってバランスが取れているような世の中のようだ。つまり、私が農場を離れた時に農場で働きたいと思う人が来て、鉱山に行けばちょうど鉱山で働いてくれる人が必要になっていたというような状態なのだ。まあ、この未来はもしかしたら半霊半非物質の世界なのかもしれないけれど。

雪がぱらついていた。

2018-12-28 11:14:07 | ヘミシンク
 今日午前中に農協のお店に行こうと思って、外に出たらすごく寒くて、自転車で行こうとしたことを少し後悔した。車も週一くらいはのるようにしているが、今は家にいて家事をしているだけなので、どうしても運動不足になりがちだと思い、買い物程度はなるべく自転車に乗るようにしている。裏がもこもこのパーカーを着たけれど布なので風が通る。首にフェイクファーの襟巻つけておいて正解だと思った。毛糸の帽子とムートンの手袋もした。
 農協で大根と、小松菜の張りのあるのを選んで買った。両方ともお雑煮に入れる野菜だ。今ある大根だけでは紅白なますとかも作るのでどうしてもちょっと足りないだろうと思い買った。毎年、黒豆は甘くておかずにも向かないし(昔は甘いというだけでごちそうだったかもしれないが)半分以上捨てているような感じなので、今年はカップ一杯分だけ煮ることにした。去年の栗きんとんと紅白なますがまだ冷蔵庫に残ってて、さすがに捨てようか?とおもったがきんとんはがびがびに乾燥しているが、カビも生えていない。なますに至ってはまだ食べてみると何ともない。ということでまだ捨てていない。
 買い物からの帰りがけ斜めに白いものが走った。しばらく走ると他にもそういうものを目にした。やはり雪がパラついていたのだ。空の7割くらい雲が出ていて、北のほうは雲がないので晴れているようだ。でもちょうど私の家あたりは太陽が雲に隠れているところだった。その鉛色の雲から雪がパラついていたのだ。もう少し太陽が移動するとちょうど雲の薄くなっているところから陽は差し込みそうではあった。

とりあえず、出きることをせっせと行う

2018-12-27 13:17:38 | ヘミシンク
 起きなかった過去を想像してあれこれ考えてもエネルギーの無駄遣いであるので、まるの日さんのように淡々とやるべきことをこなす。ただし、常により大きな自分とともに生きていることを自覚しながらということで日々を過ごそうと思う。
 とりあえず、ナンバーディスプレイ対応の電話機を父のお金で買い。電話番号を登録した。まだ、迷惑電話防止機能の設定がうまくできているかどうかは自信がない。相手に告げる文言が選べるらしいのだが、それがうまくできないのだ。