私が結婚するとき、夫側、私側、鉄漿親(かねおや)と三組の仲人をたてるとたいそうなことになってしまった。私側はそのころ実家の立っている土地の持ち主だった夫婦に頼む予定が、その息子夫婦にした欲しいということで、その人たちが仲人になった。そのご主人側の母親が95歳(実年齢は94?)でなくなったということで、お通夜にいった。
たぶん今日の葬儀にも行くことになると思う。
私の母親の葬儀がきっかけで、行き来が途絶えていた夫との関係復活の足掛かりになった。
今回、仲人さんの母親のお通夜がまた、少し途絶えていた夫と会話をする機会となった。
神道でのお通夜だった。
この辺りは日本では少ない神道での葬儀がかなりある。それは宝永噴火の時にお寺とのおつきあいはお金がかかって大変だからと神道に切り替えた家が多かったからだと聞く。
神職さんは夫婦で来たが、その祝詞を聞いて思い出した。以前参加した誰かのお通夜でもそうだったが、その神職さんの祝詞は普通ではない、その方が考える今の科学の宇宙観のようなものを祝詞調にえんえんと述べるので、聞いている人は何がなんだかよくわからず、ありがたみがあんまりない。
やはり葬儀は仏式で普通にお経を唱えてもらうのが、亡くなった方にも参列する人にもわかりやすくていいと思う。
たぶん今日の葬儀にも行くことになると思う。
私の母親の葬儀がきっかけで、行き来が途絶えていた夫との関係復活の足掛かりになった。
今回、仲人さんの母親のお通夜がまた、少し途絶えていた夫と会話をする機会となった。
神道でのお通夜だった。
この辺りは日本では少ない神道での葬儀がかなりある。それは宝永噴火の時にお寺とのおつきあいはお金がかかって大変だからと神道に切り替えた家が多かったからだと聞く。
神職さんは夫婦で来たが、その祝詞を聞いて思い出した。以前参加した誰かのお通夜でもそうだったが、その神職さんの祝詞は普通ではない、その方が考える今の科学の宇宙観のようなものを祝詞調にえんえんと述べるので、聞いている人は何がなんだかよくわからず、ありがたみがあんまりない。
やはり葬儀は仏式で普通にお経を唱えてもらうのが、亡くなった方にも参列する人にもわかりやすくていいと思う。